デオラリへ
ニッキとサンディプに見送られながら、ゴパルが民宿を出立した。
雨はまだ降り続いていて、分厚い雨雲のせいで薄暗い。雨雲を見上げたゴパルが、少し荒れ気味の眉をひそめた。
「懐中電灯が必要になるかも知れないな。急ぐとしよう」
レインウェアのポケットに、発光ダイオードの懐中電灯を入れておく。
セヌワの集落と宿屋街は、すぐに歩き抜けてしまい、泥道になった。
かなりの傾斜がある斜面を横切る道なので、道幅も狭い。森の中を歩いているのだが、この急斜面の影響で土壌が浅いのだろう、低い木々ばかりだ。
さらに、竹やぶも加わっているので、あまり視界が良くない。
「シャクナゲの林が点在している。花が咲く時期になれば、きれいだろうな」
観光情報によると、この辺りのシャクナゲは、それほど見応えは無いという評価だった。ゴレパニ周辺が、花見の観光地として有名らしい。まあ、それでも楽しみにするゴパルだ。
谷は、東西から迫ってくる絶壁に押し潰されるように、次第に細くなっていく。絶壁の上は、両側共に雨雲で覆われていて、崖の高さが分からない。
道も崖に追われるように、谷底に近くなり、ついにはモディ川沿いの道になった。
「あ、でも、思ったよりも水量は無いな。かなり上流まで来ているという事か」
ナヤプルで見たような、激流では無くなっていた。それでも強い流れには違いないが。道も大きな岩石を迂回するように曲がり始め、上る傾斜もきつくなってくる。
コンコンと、測量ポール杖をついて上っていく。ふと、周囲を見回すと、いつの間にか森林と竹やぶが見当たらなくなっていた。視界が良くなっている。
「森林限界ラインを越えたか。レク入りしたって事だな」
レクとは、ネパール語で高地という意味だ。自然環境が厳しくなり、木や竹が生えなくなる高度である場所が多い。高山性の灌木と、草やコケの世界に切り替わる。
突然、ぱったりと森が無くなり、灌木混じりの草原になる傾向がある。
「さすがに、花畑になる時期は過ぎていたか。ま、スラワン月の終わりだしなあ……」
がっかりするゴパルであった。雨期のヒマラヤ散策の楽しみは、高山植物の花畑なのだが、時期が過ぎていたようだ。スラワン月は、ネパール暦で四月。西洋の太陽暦では、七月中旬から八月中旬の間に相当する。
灌木の葉も、緑が濃くなっていて、もう一部では実が成り始めていた。
途中の道では、いくつかの民宿街を通り過ぎた。急いでいるのだが、やはりチヤ休憩は欠かさないゴパルである。
高度が上がるにつれて、水の質が変わり始めたのを感じる。森や竹やぶが無いので、ヒマラヤ山脈の岩盤の味が、直接舌にぶつかってくる。
この山脈は、大昔は海の底にあったので、アルカリ性の岩石が多い。沢水もアルカリ成分の多い硬水になる。ポカラの水道水は、ネパールでも屈指の硬水なのだが、その原水のようなものだ。
チヤの色合いも黒っぽくなり、香り成分も微妙に変わってくる。
そのチヤをすすって、満足そうな笑みを浮かべるゴパルである。
「チヤとしては、硬水の時の香りの方が、個人的には好みかな。ま、この茶葉は安物だけどね」
煮出す形式の紅茶なので、枝や茎の多い紅茶になる。葉や芽が多いと、香りが高まるのだが、長時間ヤカンの中で煮ているので、飛んでしまうのだ。枝と茎主体で渋味成分の多い紅茶の方が、茶店としては使いやすい。
茶葉や芽に渋み成分が多い、スリランカやアッサムの一部の低地紅茶では、チヤにしても十分に香りが期待できる。が、輸入品になるので高い。安い早い手軽が売りのチヤでは、少しもったいない茶葉だ。




