第三十一話 「自閉症スペクトラム」
自閉症スペクトラムについても書いておきたい。
私はちょっとおかしな子でした。
幼稚園では集団行動に慣れず、いつも来た格好のまま何の行事にも参加せずに、窓際で母親の迎えを待っていました。
運動会の大会開始の合図の号砲で、走り回っていたのは犬と私だけだったそうです。
小学校の時は勉強ができず、他者とのコミュニケーションも苦手で、いわゆる特殊学級にいれるか学校で検討されたそうです。
もともとゆるやかな公立小学校なので、結果的には普通学級で様子を見ることになりました。
今でいうアスペルガー、あるいは軽度自閉症、広義言えば発達障害と言われる病態だったと思います。
その後も、空想に浸りがちだったり、一つのことに集中すると他を忘れてしまったり、悪筆で読める字が全く書けないなど、社会生活不適合状態でした。
そんな私に変化が訪れたのは、小学校で起きたふたつの出来事でした。
一つ目は、運動せずにブクブク太り始めた身体を痩せるために入ったスケート教室、そしてその後のアイスホッケーでした。
あまりにもきつい練習に逃げ出したい一心でしたが、辞められないことを悟ると、ひたすら「どうしたら練習が楽になるか」と考え始めました。
どうしたら、もっと楽に走れるようになるか。
足をどう運べば、力を無駄にしないか。
次の一歩がスムーズに出せるか。
走り込みの練習をするのも嫌で、ただひたすら考えることばかりをしていました。
チームで一番の鈍足だったのに、少しずつ足が速くなっていきました。
ちょっとずつ練習が楽になり、早くなることが楽しくなってきました。
二つ目は、学校のテストでした。
いつもはクラスの最低点ばかり取っていたのに、ある時なんとなく興味が出て憶えた都道府県の名前で、産まれて初めて100点を取りました。
そのことを先生に褒められたことが、本当に嬉しくて、嬉しくて。
単純なことに、それがきっかけで勉強が好きになりました。
コミュニケーションでの変化は、恋愛と結婚……要するに深く人と関わった経験でした。
相手のことを理解したくて、自分の今まで気づいてきた考えをすべて壊すつもりで、ただひたすら話を聞いて、質問しました。
何時間も、何時間も、何時間も。
そうした中で初めて、自分のおかしさ、外の世界とのつながりが解ってきたように思えます。
こんなことに付き合ってくれた妻には、本当に感謝しています。
この途中で精神科を受診して、下された診断が「自閉症スペクトラム」でした。
要するに、軽度の自閉症があるよ、ということです。
今までの経過に合点がいきました。
同時に、そのために本当にたくさんの人に迷惑をかけてしまったな、と思います。
何とか、残りの人生は恩返しをしていきたい。
そして、こんな足枷の疾患があって、運動も勉強もコミュニケーションもとれないところから、何とか人生を生きているよ、と伝えたいと思い、小説を書いています。
自分自身あるいは、家族でこうした疾患あるいは勉強や運動、コミュニケーションのことで辛い思いをしている方に、少しでも自分の経験を楽しんで読んでもらって、何らか心の中に残ればな、と願っています。




