第二十四話 「風」
これは高校生の頃の出来事ですね。書いたのは大学の頃と思います。
中二病を引きずっていますが、本当にあった出来事でした。
中学の頃、一番好きなものは「風」だった。
窓から入ってくる頬を撫でるような優しい風も、夕暮れの屋上に吹く川の流れのような風も、台風が近づき勢いよく体にぶつかってくる風も、みな好きだった。
その包み込むような柔らかな感触と、暖かな匂いをかぐたびに、強く優しい愛に囲まれているように感じて、ついつい笑みをこぼしていた。
何より、風が好きだった。
僕はいつも、風の側にいた。
風の神を信仰しよう――当時の僕は、そこまで風に対して思いをはせていた。
風の神、といっても大した扱いをするでもなく、実は友達気分で語りかけたりしていた。
「お元気ですか。今日の上の様子はいかがですか」
少々危ない感じもするが、小学の頃から空想癖が強く、心の中でよくそんな会話を交わしていた。
答もちゃんと返ってくる。
「まあまあだね。風たちを早く北へ送ってやらなくちゃいかんで、忙しいわ」
時折入る名古屋弁が、今となっては笑える。その時は、疑問にも思っていなかったが。
神様のいないときはしっかり風の使いが、
「今、神様は遠くでお仕事中です」
と言ってくれる。
ほんの二言三言会話を交わし、日常生活に戻ると、心が安らかになるのだった。
ある日の、学校でのこと。
「雨降ってくれんかなぁ」
降れば体育の授業が中止となるため、みな口々にそんな話をしていた。
空は一面の曇り。
今にも降り出しそうな厚い雲なのに、雨は一滴も落ちずに時ばかりが過ぎてゆく。
こんな時は概して夕方までもってしまうもので、みんな気を揉んで落ち着かない様子だった。
僕は窓辺に行き、風の神に頼んでみた。
「どうか雨を降らせてください」
頬に風を感じ、意識は空の彼方に飛んで、やがて「わかった」という低い声が聞こえた。
僕は嬉しくなって、近くの友達に声をかけた。
「雨が降るってさ」
「誰が言ったの」
「風の神様」
友達は妙に納得してくれた。
そして、雨が降りだした。
それは「わかった」という声がしてから、5分ぐらいしてのことだった。
体育の授業は中止になった。
しかし、雨は台風並の豪雨となり、下校中に水浸しになった友達にお前のせいだと小突かれた。
その時から、神様と僕の不思議な関係は続いた。
願ったことは、百発百中すべて叶うのだ。
「晴れてください」
と願えば、ほとんど快晴。
「雨を降らせてください」
と言えば、豪雨。
……適度に降らすことができず、必ず豪雨となるため、この願いはあまりしなくなった。
しかし七回も連続で当たるにしたがって、やがて友達も気味悪がるようになった。
時折外れたりすればいいのだが、願えばすべて叶うのだ。
まさか中学生一人の力で、天候を変えられるとは思わないが、予知能力めいたものがあるのかもしれない。
七回目の願いを最後に、僕は風と話をするのを止めることにした。
こういった力は持っていない方が幸せであることを、その頃からよく知っていた。
それから2年が過ぎたある冬のこと、友達と一緒に八ヶ岳へスキーをしに行った。
天気予報は晴れマークが続き、山の斜面は雪が次第に溶けて土が見え始めるというひどい状況だったが、僕らは転びながらの下手なスキーを楽しんでいた。
朝食を食べ、スキーをし、中腹のロッジで昼食をとり、夕方頃まで滑って、大浴場に浸る。風呂から上がると夕食が待っていて、高校生のくせにビールを少し飲んだりして、いい気持ちになっていた。
その後は町を探索していたのだが、僕はあるゲームセンターを見つけた。
ホテル内に設置されたゲームコーナーといった程度のものだったが、奥にあるスロットマシンがとても気に入ったのだ。
確率計算をしてみると、千円ほどで確実に一回当たる。
当たりが出ると、下の受け皿が一杯になるほどのコインが出て、あるいはそれでまたかかる。
初めてやったときは、なかなか終わらなくて、とうとう近くの子供たちに全てあげてしまったほどで、気分のいい僕はしばらくそこに毎晩通うようになった。
天気は晴れが続き、顔は日焼けがひどくなる一方だった。
「一度ぐらい新雪を踏みしめたいよな」
一日一回はそんなことを呟きたくなるほど、雪の降る気配はなかった。
よし、ここは一つ神様に祈るしかない。
心に決めた僕は頂上から広い青空に顔を向け、久しぶりに声をかけてみた。
しかし、神様の声はそっけなく、
「ここら一帯に、雪を降らすような雲はないよ」
その言葉どおり、小さな雲が漂うことはあっても、雪を降らすような雲はとうとう帰る日の前日まで現れなかった。
その日、待ちに待った雲が、昼頃からあたりを覆い始めた。新雪を踏めるかと意気込んだが、神様の答えは
「雪が降るような雲じゃないよ」
とのこと。雪は降らないまま夜がやってきて、みんな意気消沈して宿へ帰った。
最後の夜ということもあって、僕らはしこたま酒を飲み、部屋で寝そべって「風と共に去りぬ」を見ていた。
ビビアン・リーは好きだが、僕は友達と二人でスロットをしに行った。悔いのないよう、スロットを存分にやってやろうと思ったのだ。
片手にお金を握りしめながら、寒い夜道を二人で歩いているとき、僕は何度も何度も神様にお願いしていた。
「雪を降らせてください。今回はとても楽しい旅行でした。心残りなのは、新雪を踏めないことだけです。どうぞお願いします」
神様は終始無言だった。
「何て言ってる?」
「……何も言ってくれない」
「そうか。無理かなぁ」
何度も天気を当てたことがあるのを知っている友達は、残念そうに空を見上げた。
長い坂道を抜け、ナイターの終わった黒い斜面を横手にしながら、僕らはようやく目的地に着こうとしていた。
こうなったらとことんスロットをやってやろう、と意気込んだその時、
「ほんの少しだけ」
と声が聞こえた。
振り返って空を見てみたが、もう神様は何も言ってくれなかった。
「少し降るらしい」
「本当?」
「解らないけど」
僕にも自信がなかった。
ここ数日、僕はホテルの子供たちの間では、この時間帯にスロットをやりに来る兄ちゃんはコインをくれるという評判が広まっているらしく、僕がスロットに着くとどこからともなく現れた子供たちが周りをおおった。
当てては子供たちに分配して、子供たちがゲームをする。無くなるとまた僕の周りに群がってくる。
「餌を運ぶ親鳥の気分だ……」
4回ほど当て、十分に満足した僕は残りのコインをみんなに分け、友達と共に外に出た。
雪が降っていた。
「雪だ」
「おい、本当に降ったなぁ」
「うん」
僕は嬉しくなって神様にお礼を言ったが、
「ここらにある雪雲をかき集めただけだ。悪いがすぐに止む」
という答えが返ってきた。
それでもいい。僕は十分に満足した。
願いが叶ったことに。
そして、疑いかけていた神様の言葉が正しかったことに。
雪がすぐに止んでしまうことに、僕はもう何の疑問も抱いていなかった。
雪は一時間ほどで止んだ。
風は今でも変わることなく好きで、いつでも体中に感じている。
でも、あれから6年以上も、風の神様とは言葉を交わしていない。




