第二十三話 「方言」
これも大学生の頃です。
大学2年生の夏休みのことである。
僕は友達に誘われ、筋ジストロフィーの方々のお世話をする旅行に、ボランティアとして参加した。
もっともその活動内容は「ボランティア」という言葉ほど格好のいいものではなく、ほとんど力仕事のようなものだった。
大した知識はないが筋力はあまっていた僕にはうってつけといえばうってつけの旅行であり、今でもいろいろとその時の経験が記憶に残っている。
その中の出来事のひとつ。
参加した子の「方言」が何となく忘れられず、今こうして日記を書いている。
重度の筋ジスになると、寝返りをうつことができないため、夜はつきっきりで誰かが寝返りをうたせなくてはいけない。
4人1組で2時間の当番制で、そうして、筋ジスの少年達の寝床に座っていた時のことである。
割り当てられた4人はそれぞれほとんどお互い知らない者同士で、最初は自己紹介のノリで話し合っていたのだが、そのうち郷里はどこかという話になった。
「私は四国なの。だから、こっちに来たときは、口が開けられなくて困っちゃった」
長い髪の女の子が、なぜかちょっと恥ずかしそうに打ち明けた。きれいな顔立ちで、優しい感じの笑顔をする。
「何故ですか?」
隣に座る生真面目な男の子がそう聞いた。
言葉遣いまで妙に丁寧だが、非常に活動的であることは他の3人もよく知っていた。
「だって方言が出ちゃうもの」
「四国に方言なんてあったの?」
短い髪のちょっと活発そうな女の子が、何となく嬉しそうににじり寄ってきた。この子は根っから明るく、目につく子だなと思っていた。
「けっこうバリバリ」
「へえ」
「それで一生懸命直して家に帰ったら、今度は標準語を使って笑われちゃった」
そう言って、髪の長い女の子は笑った。
会話の途中で筋ジスの子が痛がり始め、寝返りをうたせるとやがて部屋はまた静かになった。
だいたい1時間に1度ほど痛がる。
大した苦労ではなかったが、両親がこれを毎日やっているかと思うと、頭の下がる思いだった。
「ねえ、さっきの話。なんて言ったの?」
「え? うーんとね……雨が降り始めたんで、『あっ、雨が降ってる』って言ったの。そうしたら、『なに、すかしとぉ!』って」
何となくその場面が想像できて、波のさざめきのようにみんなで静かに笑った。
窓ガラスの前で呟いた彼女、そしてそれをからかう友人の姿。
そんなところだろうか。
「四国ではなんと言うのですか?」
「んっとね」
長い髪の女の子はちょっとだけためらった後、静かにこう言った。
「『雨がふっとぉ』」
静かになった部屋に、しとしとと雨の音がしたような気がした。気のせいであることは確かなのだが、他の人もその音が聞こえたらしく、しばらく誰も口を開かなかった。
「………へぇ。なんか感じるね」
「やっぱり、『方言』っていいですね」
そう言われると、彼女はまた恥ずかしそうに笑った。
その時の、『方言』の持つ独特のあたたかさと、あの雨の音を、いまだに忘れることができない。
ところで、わが郷里「名古屋」のもっとも特徴的な『方言』は、
「どぇりゃあ~でいかんわぁ!」(たいへん~で困る)
という。
少々情緒に欠けるが、好きな言葉の一つになっている。




