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京夜日記  作者: 京夜
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第二十一話 「綺麗」

 この話も、学生の頃に書いたものです。

 人はいろいろな感情を持っているが、「綺麗」だという感情についてだけは僕は理解することができなかった。


 ライオンを見て「恐い」と思う。

 映画を見て「悲しい」と思う。

 試合に勝って「嬉しい」と思う。


 すべての感情が、ステゴザウルスがやったとしてもおかしいとは思わないような、本能的なもののように受け取ることができる。


 でも、「綺麗」だけは違う。


 ステゴザウルスが、遥かなる夕暮れを見て「綺麗だ……」と呟いたとして、それがいったい何になろう。生きていく上で必要な感情だとは、とても考えることはできなかった。


 こういった考えが幼心についた頃からあった僕は、何を見ても「綺麗」だと感じることはなかった。

 そういった意味でこの「綺麗」だと感じる気持ちは、僕にとって後天的なものであり、学習して得たものであった。


 いちばん最初に「綺麗」だと感じたのは、おそらく中学の頃だったと思う。

 どんな些細な感動でも涙を流してしまう母親と一緒に青葉茂る庭をながめていると、母は「もっと、感受性を持ちなさい」と言った。

 あまりにも感動薄いこの息子を心配しての一言のようだったが、僕にはまったくこの言葉の意味が解らなかった。


 何はともあれ部屋にひきこもり、辞書で「感受性」というものを調べ、「感じること」であることを何はともあれ憶えた。それが実際に体感に変わったのは、それから1週間ぐらい後のことだったと思う。


 あれは確か、日曜日に家族一緒にぶらぶらと町内を歩いていたとき、夕暮れ近い空に黄金に輝く雲が散らばっていた。

 沈みかけた太陽がまともに雲の表面に光を当てたせいで黄金色に見えたのだが、ドイツに行って初めて憶えた言葉が通貨単位の「マルク」だった僕にとって、それはとても「綺麗」な色だった。

 お金を散りばめたような黄金に輝く雲………それが最初の「綺麗」だったと思う。


 それから段々と「綺麗」だと感じる回数は多くなっていったが、単純なことに最初はほとんど空に関してだった。


 見上げる空の限りなく透明に近い青、

 限りないグラデーションを見せる夕暮れの色合い、

 太陽が沈むほんのわずかな間だけ、深い青色に没する街。


 そういったものを見て、「綺麗」だと感じていた。


 そして次はちょっとは成長して、小賢しくも絵を見て「綺麗」だと感じた。

 これまた家族で、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画展を見に行った。

 その数多くの習作の中で、二つ心に残る絵があった。

 1つは、木々の隙間から本当の太陽がのぞいているような絵。そして、もう1つはゴッホ自身の部屋に奇妙に置かれた椅子の絵だった。

 その椅子の絵を見たとき、何と下手な絵だろうと思った。

 なんでこんなおかしな風に椅子を描いたのだろうかと理解できずに、しばらく考え立っていた。

 しばらくじっと立ってその絵を見つめていた僕に、横にいた母がこう説明してくれた。


「変わり者のゴッホにもたった一人だけゴーギャンという友達がいて…………会えばいつも喧嘩して彼はこの部屋を出て行ってしまうのだけれど、また来てはこの椅子に座っていたんだって。でもとうとうゴーギャンが旅立って二度とこの椅子に座らなくなって、ゴッホは寂しくしょうがなくてこの絵を描いたみたいよ……」


 ゴッホの人となりは、何となく理解していた。

 天才故に狂人で、一人ぼっちで、寂しがりやで、貧乏だった。

 理解されずに、一枚も絵が売れなくても描き続けていた。

 そしてとうとう、喧嘩ばかりするけど大切な友達がいなくなって、苦しいほどに寂しくなった。


 どんな思いで、この椅子を描いたのだろう。

 どんな願いを込めて、一タッチ、一タッチ、描き入れていたのだろう。

 そう思ったら、ふいに胸がしめつけられた。

 その奇妙に置かれた椅子が他のものを圧倒して、目の前にあった。

 綺麗だった。

 激しく綺麗だと、そのとき思った。


 数年後、僕は受験に失敗した。

 最初のテストで絶望的な成果を残したとき、迫りくる結果に恐怖して、夜になっても震える体を止めることができなかった。

 生まれて初めてのことだった。

 何もすることができず、ただライト一つの闇のなか机の前で僕は震え、マリアナ海溝の底にたった一人残されたような孤独感におおわれていた。

 その長い夜が明け、初めに見たのは、木々を切る庭師の姿だった。

 頼まれてやってきた庭師が、庭の木々の手入れをしていた。

 海での嵐のように荒れた心が、そのごく普通の、何でもない光景をとらえた。

 涙が出そうだった。

 すべてが平和だった。

 その平和な姿が、極度に緊張し疲れきった意識がほんの少し休むことを、許してくれた。

 ちょっとだけ安堵して、凍えたときにふともれたため息のように、涙が出た。

 多くの光の中にいる時はその光の存在に気が付かなくとも、闇の中にいる時は一筋の光でも気が付くのと同じ原理なのかもしれない。

 本当に何でもない光景かも知れない。

 でも全てが平和で、綺麗であった。

 何を見ても美しくて、涙が出そうだった。



 どんなに落ち込んでも、いや落ち込むほど「綺麗」であることが胸にこたえる。そして、僕を深い底から蜘蛛の糸のように引き上げてくれる。

 すべてが綺麗でありますように。

 すべてが平和でありますように。

 強く、生きるために。

 微笑むために。



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