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京夜日記  作者: 京夜
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第十三話 「愛するということ」


 あらためて題名にすると、何か気恥ずかしい感じがしますね。

 ただ、この「愛する」ということに悩み、調べ、考えたことがあります。

 もし今そのことに悩み、あるいはぼんやりとしている人へ、何らかの考えが届けられるのではと思い、書いてみたいと思います。


 最初に「愛する」というのは、いわゆる「好きになる」こととは別です。

 誰か異性を「好き」になったあと、その人を「愛する」解りやすく言えば「大事にする」にはどうしたら良いでしょうか。


 相手が喜んでくれそうなことをあれこれと想像して、やってみるのではないでしょうか。

 あるいは、自分がしたいことを一緒にやろうとしたり。

 でも思ったような反応が返って来なかったり、あるいは大事な人に対してイライラして怒鳴ってしまったり。

 「好き」な行為の延長線上にストーカー行為やDVも存在したりしますが、これはけっして「愛すること」ではないと思います。


 「愛する」のも「大事にする」のも、意外に難しいものです。


 では、「愛する」とは何でしょうか。


 私が長く、ひとつの支えとしている言葉は、


「愛するというのは、知ることである」


 です。

 これは、心理学でも有名なエーリッヒ・フロムが著した本、「愛するということ The Art of Loving 」に書かれている言葉です。


 そこに書かれている例として、花を育てることが書いてありました。

 その花のことを愛しているならば、愛していると話しかけても、撫でても、そばに置いていても駄目です。

 陽を当て、水をやり、肥料を与えないといけません。

 当たり前のことですが、「その人・物にとって愛するということはどういうことかを『知る』ことが必要なのです」と書いてあります。



 私の妻となった人は、私とは全く違うタイプの人でした。

 どちらかと言えば私は無口で、妻はよくしゃべる人です。

 私はずぼらで気にしないたちですが、妻は色々なことに気づきます。

 当然ですが、生い立ちも背景もまったく違います。

 お互いにそんな全く違う存在に興味を持って一緒になったのですが、生活を共にするとそんな違いを埋める作業をしないといけません。


 医師としてあるまじき行為ですが、私は結婚するまで外に出て帰ってきたときに手を洗う習慣がありませんでした。

「食べる物に好き嫌いはない」と言いながら、ピーマンや椎茸など嫌いなものがありました。

 妻は手を握って歩いたり、べたべたすることに興味はありませんでした。

 妻は任せられた仕事は完璧にやろうとして、何事にも全力を尽くします。


 ある時、どうしても妻の言うとこの正しさが理解できなくて、離婚したほうが良いのでは、と思ったこともありました。

 その時は、恐らく何百時間と話をしたと思います。

 質問を繰り返したり、昔からの話を聞いたり、妻もあきらめずに言葉を尽くしてくれたことには、今も感謝しています。

 自分の常識、正しいと思っていたことが変わるには、本当にたくさんの話す時間と、考える時間が必要でした。


「ああ、私の方が間違っていた」


 と思えた瞬間を今でも覚えています。

 両親との過去を持つ自分から、妻とこれからを生きていく自分に変わった感触がありました。


 もっとも、それからも何度もぶつかり、話し合いは繰り返しましていますが、恐らく妻も私も離婚して生きていくという未来は想像せずに生きています。

 これだけ長い時間をかけて話し合いを繰り返してきた相手は、他に誰もいません。

 これをもう一度繰り返すことは、時間的にも意欲としても無理でしょう。

 代わりがないのです。

 それに、今もってなお知らない一面、変わり続ける新しい一面の発見があります。

 おそらく、いつも同じではない、と知ろうとし続ける一生なのだと思います。


 子供達とはもっと発見の連続です。

 産まれた瞬間から知っているというのに、聞いてみると知らなかったことの連続です。

 妻は話すのも好きで、私は聞くのが好きなので、幸い子供たちは大きくなっても毎日その日にあったことを話してくれます。

 ついつい私も自分の過去の話をしたくなったり、自分の尺度で判断してしまったりしがちですが、その瞬間はちょっと自分の気持ちを脇に置いて、「知ろう」と心がけています。

 そのうえで、相手が「成長できる」言葉を返すようにしています。


 先ほどのエーリッヒ・フロムの著の例でも出ていた花の話で言えば、成長して元気な葉や花が咲けば、愛している行為は正解だったということです。


 もちろん、多くの親が子供の成長を願っていることは解っています。

 ただ私はその時ほど、「知ろう」とすることが大切であると心にいさめています。


 子供が勉強をしないとします。

「勉強しなさい」とは言わず、なぜ勉強をしないのか、知ろうとします。

 今の子供たちは大変ですね。

 昔と比べて情報量が多すぎます。やることも増えています。

 楽しい魅力的なことも周りにあふれています。

 この中で勉強をやる子は稀だと思います。


 でも子供達も学校でいい点数を取りたい、という思いもあります。

 長い時間の授業も少しでも興味を持ってできれば、という思いもあります。

 私は嫌にならない程度に塾などの勉強をする環境を整えてあげて、家では好きなことをさせたりしています。

 好きなことに集中して楽しめていれば、いつか勉強にも、人生にも役に立つと心から思っています。

 本来は勉強も楽しいものですし。

 そんなスタンスですので、この勉強量で大丈夫かな、と思うことはありますが、自分なりに今後を考えて頑張り成長していく子供達に、時に夫婦で感動したりしています。



 仕事場でもこんな出来事がありました。

「こうして欲しい」「これが不満だ」と声を上げるスタッフの話を聞いていたら、声を上げない真面目に仕事をしていたスタッフが辞めてしまいました。

 声を上げる人に意識は向きがちですが、私達は広く関わる人に目を向け、知っていかなくてはいけません。

 すべての人のすべての事柄に応えることはできませんが、なるべくこぼれの無いように話を聞き、知り、そして組織で最も大切にしている「理念」……何を大切にしているのかを言葉にしたもの、に照らし合わせて方針を決めています。

 世の中ではいろいろな正解があるし、あなたにとっての正解があるかも知れない。

 ただ、この組織はこの「理念」の方向性を正解とするので、今回はこの方針を取ります、決定します、と話します。

 合う方が残り、合わない方が去り、組織全体で「理念」が熟成されていきます。

 そうして、スタッフを愛しているつもりです。


 愛するということに、本当の明快な正解はないとは思いますが、この本もまた沢山のことを教えてくれる良書と思いますので、お勧めします。



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