209話
不機嫌そうにため息を吐くバンピー。
「遅いのよ」
「失礼。場所が悪かったものですから」
そう言いながら、エルロードは動きの止まった天使に視線を送り「貰っても?」とひと言。
バンピーが肩をすくめると、エルロードと一体の天使は幻のように溶けて消えた。
『ナニ……?!』
突然の乱入に動揺した様子の天使。
バンピーは微笑を浮かべながら、まるで地面を撫でるようにして手をついた。
「神の使いだか何だか知らないけれど、人を不幸にするような神なんて居ない方がマシよ」
手をついた先に小さな穴が生成され、バンピーはその漆黒の中へと手を沈めていく。
そして、まるで地獄から何かを引き抜くようにして、禍々しい杖を持ち上げてゆく。
「今度はそちらが防御する番ね」
そう言って杖を振るうバンピー。
彼女の周りに夥しい数の魔法陣が浮かんだ。
◇
「ミサキさん」
ミサキの耳に懐かしい声が届く。
ずっと探し、憧れ続けたその声の持ち主は、ミサキの生態感知に〝青色〟で表示された。
背後の階段から誰かが降りてきた気配。
感極まったミサキの目に涙が浮かび、しかし彼女は振り返ることができずにいた。
(この声は間違いなく――でも、でもどうしてだろう……すごく冷たい声……)
あの坑道内で出会った時は包み込むような優しい声音だった。しかし今、彼女の後ろにいるその人は、氷のように冷たい声を発している。
「ケットルはあの奥だね。ありがとう」
そう言って、ミサキ達の間を抜ける修太郎。
ミサキは初めて生身の修太郎を目にすることとなった。
(やっぱり全然年下の子……でも、少しだけ強くなれた今ならハッキリ分かる。私よりも、ううん、今まで会ってきた誰よりも強い――!)
小さくも頼もしいその姿に見惚れるミサキ。
誠はただ困惑の表情を浮かべている。
「ケットルを迎えに行こう」
修太郎の言葉を合図に、ミサキと誠の体を縛っていた何かが解かれた。誠はケットルの名前を叫びながら、弾かれるように修太郎の後を追いかける。
(でもどうしてだろう……ずっと、ずっと会いたかった人なのに……声が掛けられない)
修太郎の雰囲気に呑まれ、ミサキは未だ声を発することができずにいた。複雑な心境を抱えながら、彼女も皆を追いかける。
「この下にケットルがいる……」
ガラス張りの空間前へとたどり着いた修太郎。
分厚いガラスの奥は暗闇が続いている。
「……」
ふいに、後ろを振り返る修太郎。
天使と睨み合うバンピーと、どこかで戦っているであろうエルロードの身も案じていた。
(もし二人に何かあったら……)
未知の強さを持つ敵との遭遇。
天使を見た修太郎は、ひと目で「自分よりも遥かに強い」と察することができた。
このレベルまでくると、魔王と天使との実力の差を測ることは不可能。
ケットルと同じくらい魔王達を大切に思っているからこそ、修太郎の心は揺れる。
「二人なら心配いりません」
心を見透かしたようにシルヴィアがそう言った。そのまま、光の剣でガラスを切り刻む。
「我々はやるべきことをやりましょう」
二人を信じて自分の勤めを果たせ。
そう言われたような気がした。
「ごめん――行こうか」
修太郎は気持ちを切り替え、力強くそれに頷いた。




