185話 s
「10時の方向に大型モンスター! 恐らくボスです!」
腐敗したような酷い匂いを撒き散らす異形。
鯨のような形をしたアメーバのようなそれは、紫色の体を地面に這わせながらゆっくりと戦場へと上ってきた。
《boss mob:腐敗のミ=ダン Lv.52》
巨人よりも更にレベルの高いボス――
多くの者が絶望するのにそう時間はかからなかった。
「上空から……もう一体来ます!」
それは空を切り裂くようにして飛来した。
巨大な蝙蝠の翼を持つ、人の形をした悪魔。
フルフェイスのヘルメットにも似た頭を持ち、ヘラジカの角のように骨が突き出している。
《boss mob:天殺のラギナス Lv.50》
戦場に三体のボスが会する。
彼等は互いが互いを敵視しているものの、共通の敵としてプレイヤーおよび城を認識しているようだった。
「スライムの化け物は我々が請け負う!」
アルバの怒声がこだました。
弾かれたように動き出したプレイヤー達は、隊列を組んで《腐敗のミ=ダン》に向かってゆくアルバ達の姿を見た。
「悪魔は我々が請け負います!」
ほぼ同時に、ワタルの声が響いた。
飛翔する《天殺のラギナス》の敵視を早々に奪うと、ワタルは剣を天へと掲げた。
空から降り注ぐ大量の光の剣。
《天殺のラギナス》が地上へと堕ちると、ワタルと共に控えていた部隊が一斉に攻撃を始めた。
紋章主力部隊が二つに分かれて畳み掛ける。
残りの紋章メンバーを指揮するのはフラメだ。
貴重な盾役と回復職の配置を振り分けながら、ボス以外のモンスター殲滅に注力している。
ミサキと誠の配属もそこだ。
情報の要であるミサキをボス戦に集中させるわけにはいかない、という理由が主であった。
(一般兵や魔導兵も確実に減ってきてる。機械の竜は一匹落とされたし、混戦の中に砲撃は落とせない――)
目まぐるしく変わる戦況の中で、黄昏の冒険者マスター白蓮は、駒としての自分をどこに置くかを考えていた。
複数ボスの出現も、紋章が素早く動いたおかげで、幸いにも大勢の戦意喪失には繋がっていない――しかし、このボス達がいる限り、ふとした何かで戦況がひっくり返る可能性は高い。
雑魚殲滅のペースも落ちている。
八岐が抜けた穴が大きい。
ならば、行くべき場所は決まったようなもの。
「A班は私と八岐に加勢し巨人を一気に叩く! B班はkagoneとこのまま、モンスター達の挙動に注視しながら、引き続き数を減らしてほしい!」
戦闘前に決めていた作戦を実行に移す。
黄昏の冒険者精鋭11名と白蓮は、八岐に合流し《雷の巨人王 ザウロン》と対峙した。
一度全快したボスのLPは、既に60%を割っている――しかし、ザウロンを取り巻く巨人達によって思うように攻めきれない様子。
「雑魚敵は任せてもらおう」
ハイヴの隣へ来た白蓮が言った。
ハイヴは「……悪いな」と呟いた。
*****
《腐敗のミ=ダン》が周囲に放つ瘴気と毒は、プレイヤーのみならず、モンスター達をも苦しめていた。
(なんと戦いづらい……)
心の中で悪態を吐きながら、アルバはボスの敵視を一手に担って耐えていた。
当然、一番近くにいるアルバは、常に毒と呪いのバッドステータスに侵され続けている。
憎たらしいことに、このボスは魔法防御型。
物理で叩くのが一番ダメージが出るのだ。
しかし、近付くためには回復職――もっと言えば、解呪と解毒の治癒が可能な支援職が圧倒的に足りていなかった。
フラメの指示でそれらの人員も徐々に増えつつあるが、前衛が思うように近付けないのは痛手だ。
「毒の雨注意!」
アルバは大剣を頭を守るように構える。
回復職の周りには防御結界が張られ、後衛職はその結界に入ってやり過ごしている。
前衛達の治癒が済むと、再びジリ貧な戦闘が開始となった。
(ワタル達の合流は期待できないが、ここでこのボスを釘付けできているだけ他が楽になるはず――)
苦悶の表情で状態異常に耐えながら、アルバは気の遠くなるようなボスのLPから視線を逸らした。
「《流星の太刀》」
ズババン!!という鋭い斬撃音が響く。
ボスのLPが一気に7%も減少し、ミ=ダンは初めて苦しそうなうめき声を上げた。
「aegisサブマスター松。助太刀致します」
ずらりと並んだaegisの制服。
刀から血潮(正確にはゲルだが)を払うようにしながら、松は忌々しそうにミ=ダンを見上げた。
*****
《雷の巨人王 ザウロン》そして《腐敗のミ=ダン》討伐の知らせに戦場は大いに湧いた。
天使の恩恵によってレベルが6も上昇している八岐およびaegisのメンバー達は、ボス特性(ボスよりレベルが低いプレイヤーの攻撃が半減される)を無視することができるため、高いダメージリソースとして活躍した。
「敵の数も半分以下に減っています!」
ミサキの報告に士気は更に上がった。
全部で六体いたボスは既に二体倒れている。
八岐が加勢した《天殺のラギナス》の討伐も時間の問題だろう。
誰もが勝利を期待した。
しかし、その誰もがソレに気付かなかった。
生体感知を持つミサキでさえも――
「……え?」
スキルではなく、勘というべきか。
獣の額から銀の矢を引き抜くミサキは、戦場の中心に、巨大な何かが佇んでいる事に気付いた。
巨人よりもはるかに巨大な、半透明の騎士。
遅れて皆がそれに気付く。
まるで最初からそこにあったかのように、いままで誰も存在に気付けなかったそれは――引き抜いた剣を引き絞るように構え、甲鉄城目掛けて振り下ろした。
戦場が真っ二つに分たれる。
不運にも斬撃の延長にいた者達は、自分の身に何が起こったのかを理解する暇もなく、絶命した。
サンドラス甲鉄城の城門、町、そして城。
斬撃が通過、砲撃が止み、しばらくの沈黙。
そして――全てが破壊された。
《boss mob:古代騎士リンペラー Lv.100》
甲鉄城は火の海に包まれた。
魔導兵達が崩れるように倒れる。
空から機械の竜が落下する。
遅れて轟く斬撃音と爆発音。
甲鉄城は火の海に包まれた。
幸いにも城はまだ原型が残っているものの、城門の損傷が著しい。
斬撃が通過した場所には何も残っておらず、深く抉れた大地だけが刻まれていた。
「なにが……」
何が起こったのだろうか?
誰もがそう思った。
何もない場所から突如現れた巨大な騎士。
ミサキのスキルにも未だ反応はない。
古代騎士リンペラーは、沈黙するプレイヤー達に向け、再び無慈悲な一撃を浴びせる。
「避けろおおおお!!!」
誰かの怒号は、轟音によってかき消される。
雑魚敵と剣を交えていたプレイヤーが、
魔法詠唱で動けなかったプレイヤーが、
危険を察し一心不乱に逃げたプレイヤーが、
勇敢にも向かっていったプレイヤーが、
斬撃に轢かれ、砕け散るように消えてゆく。
「嘘……」
戦場を駆け抜けた斬撃は、敵味方関係なしにその多くの命を奪い去った。
ミサキだけがその被害数を把握していた。
マップ内にいた多くの赤点と、約数十個の青点が、その一撃によって死亡したのだ。
古代騎士リンペラーが甲鉄城のさらに先――アリストラスの方角を見た気がした。
「たおさ……なくちゃ……まもら……なくちゃ」
よろよろと弓を構えるミサキ。
他の者は、ただ呆然とその動作を眺めている。
放たれた銀の矢が鎧に当たり、砕ける。
LPには全く変化が見られなかった。
無効化というわけではなく、単にほとんどダメージがない、といった動きであった。
割れた城門にモンスターが群がってゆく。
町の中から悲鳴や怒号が上がりはじめた。
必死に争った時間はなんだったのか。
怪物の出現は、最前線組の心を折るには十分だった。
「だめ……」
残り一本となった銀の矢を掴み、引き絞る。
震える手を制し、毎日毎秒やってきた動きを思い出しながら、ミサキは矢を放った。
銀の矢は大きく外れ、弧を描いて消えてゆく。
弓を持つ手をぶらんと下げ、ミサキはその場にへたり込んだ。
流れる涙が頬を伝って地面を濡らした。
「泣いてばかりだな」
どこか懐かしい声が聞こえる。
傍に人の気配を感じたミサキが顔を上げると、そこには鈍色の鎧を纏った誰かがいた。
「だが、戦意を失っても武器は離さなかったな」
そう言って、セオドールは微笑を浮かべた。




