白のひと。 2
ローブの男が、目を丸く見開いて後ろを振り返る。この男が、初めて表情を崩した。
「お前さえ消えれば、ベガリアもソクラートもランディアの……いや、俺のものだ!」
おっさん隊長は、叫ぶ。
信じられないという表情を、浮かべたまま。
「俺の話も聞かずにソクラートと和議を結びやがった国王など、役に立たん!」
え? なんで?
ローブの男が間の抜けた顔で、声を出さずに口をはくりと動かした。
その間も、おっさん隊長はぎょろぎょろと目をせわしなく動かしたまま大声で叫び続ける。
「俺の方が、白軍師殿の方が国の為に動いている!」
「ふーん? じゃぁ、これも白軍師の指示なんですね?」
「私が進言した策の為に、白軍師殿が北の皇国とのつなぎを付けてくださったのだ!」
ふと割り込んできた声に、おっさん隊長は勢いよく答えた。そうしてすぐに、両手で口を塞ぐ。それは子供の仕草のような、余裕の一つもない行動だった。
それにくすりと笑いを零し、軽い足取りで凪達の後ろから長身の男が歩いていく。それに最初に反応したのは、片手で顔を覆っているイルク。
「隊長殿……」
手のひらの向こうからかすかに聞こえるどこか上の空のような声音に、隊長は仕方がない子だねぇと呟く。
「先に行きなさいと、誰が言ったの。ホントうちのイルクくんはきかん気の強いお子様だ」
「ぐぅ……、すみません」
「あとでお説教ですよ。……さて、第一近衛隊隊長 サハラン=リンド。国王陛下に対する不敬、そしてこの度の国境戦の黒幕。言い逃れできると思わないでくださいね」
さっと片手を上げると、九軍の隊員がばらばらと闇の中から現れて傭兵崩れ達を捕縛していく。彼らはすでに諦めているのか、抵抗もせずに隊員達の指示に従っていた。
「本当に馬鹿な事をしたもんですねぇ」
うちの隊長が、にこやかな笑みを浮かべておっさん隊長に近づいていく。
「黙れ! お前の言葉など、誰が信じるか……!!!」
やっと自由に動くようになった口を開けて、後ずさりしながら唾を飛ばす。隊長は微かに肩を竦めながら、じゃあねぇ……と視線を上に向けた。その瞬間、
「はーい、どうもー。十軍主長でーす。こんなとこで会うとはなぁ、第一軍の隊長さん」
足音もさせずにおっさん隊長の目の前に、一人の男が降り立った。それと同時に、ネイが手元からナイフを取り出しておっさん隊長の首元に突きつける。
おっさん隊長は何が起きたかわからないように目をぎょろつかせたけれど、刃を向けてきたネイの姿に自分の内情が漏れていることを確信したらしく口を閉じた。
悔し気に唸り声を上げながら、じっと十軍主長を睨みつける。
「あんたの計画は綻び酷くてね、芋づる式に白軍師までたどり着けましたよ。証人はあんたのとこに忍ばせていたうちの隊員、そしてダラン子爵。とある伝手を使って商会から、市井の情報も手に入れられたし」
指を一本ずつ折り曲げながらしゃべるアウルに、おっさん隊長は見えないくらい微かに口端を上げた。
「……あぁそれと、あんたが放っていた第一軍のボンクラお坊ちゃんたちな。イルク殿下と凪を怖がって、おっかなびっくり尾行だけしてるから思わず笑っちゃったよ」
わざわざ国境まで出張って見守るだけってどこのストーカーかと思っちゃった……そう続けたアウルの言葉に、おっさん隊長は今度こそ力が抜けて地に座り込んだ。
「第一軍のお坊ちゃんなんて、役に立たない上にしがらみ多すぎて扱いにくいのに。裏で使える人手がなかったの? 捕まっちゃってどうするの、お坊ちゃんたちの後ろにはお貴族様がわんさかいるんでしょう? ねぇ?」
隊長が呆れたように苦笑して、最後アウルに問いかける。アウルもまったくだと肩を竦めて、ため息をついた。
「ホントになぁ。総勢十五名、結構上級貴族さんとこの令息くんもいたけどねぇ。やばいんじゃねぇーの? 拍付けで入った近衛でまさかの牢獄送りとか」
息の合った茶番を二人で繰り広げた後、アウルはどうでもよさそうな視線をおっさん隊長に向けて教会を指さした。
「ま、今さっきそこの教会も調べてみたら、色々証拠になるものも見つかったしな。大人しく捕まってくださいよ。まったくあんたらの所為で、俺までこき使われる羽目になった」
ひらひらと手を振ると、ネイが力任せにおっさん隊長を引きずり立たせて縄を打つ。教会の裏に隠してあっただろう馬車を接収したらしく、そこに先の傭兵崩れと共に詰め込んだ。
「こんな感じでいかかですかね、九軍隊長さん」
「うん、そうだね」
若干イルクから距離を取りつつ、アウルが隊長に了解を取る。そしてそのまま二人して、近くで佇む男に目を向けた。
「それで。貴方は皇国の使者っていうことで、捕まえてもい――」
アウルがそう言い放ったその時。
「貴方の望みは何でしょうか?」
にんまりと口端を上げたローブの男が、アウルの言葉を被せるように打ち消した。
「は?」
アウルは驚いたように口を開けたまま、瞼をぱちぱちと動かす。そうして何か音を発したと同時に――
「あ、あれ……?」
困惑の表情を浮かべた。
ローブの男はアウルとその横にいる隊長を交互に見遣ると、にやりと笑う。
「なるほどね、あなたか」
「何がなるほどね、だ。妙な術を使いやがって」
今まさに何かされた……途中でその効力が掻き消えたが……アウルが、忌々しそうにローブの男へと近づく。そうして手を伸ばしたその瞬間。
「は?」
その男の姿が掻き消えた。
アウルは傍にいるはずのフィアとゼルに、男を追うように指示を飛ばす。木の上から様子をうかがっていた二人は、即座に追跡を開始した。
アウルは後頭部を手でガシガシとかくと、大きくため息をつく。
「現場が久しぶりとはいえ、後れを取ったなぁ」
「いやまぁ、今のはちょっとびっくりな逃走でしたね。皇国も凄い人間を送り込んできたものですねぇ」
のほほんとした隊長の言葉にアウルは苦笑を返して、視線をすっとずらした。そこには、まだ呆けたようにぼんやりとしている凪とそれを心配そうにのぞき込んでいるイルクの姿。
凪も心配だけれど、イルクが盛大に怒り狂う状況だけは避けられたなと妙な所にほっとした。
第一近衛隊長をみれば凪の状態もそこまで心配することじゃないと、そうため息をつく。
「さーて、凪はどんな望みがあるのかなー」
隊長はちょっと楽しそうに笑顔を浮かべると、イルクの横へと膝をつく。
「あの、凪は、凪への術は消えてないのですか?」
眉間にしわを寄せて、凪と隊長の間に視線を動かしているイルクの頭を軽く撫でる。
「消えてないみたいだね」
「なぜ、私のほうは消えたんでしょうか」
「うーん、さぁて」
隊長は凪を見たまま、肩を竦める。
「まぁ、いつも可愛くない口をきく凪ちゃんの、望みなんて聞いてみたいじゃないですかー」
ねー? と笑う隊長に、イルクが視線を固定する。
「……もしかして、隊長殿が……」
「ん? 凪がなんか言ってますよ」
自然なのか不自然なのか、どこか違和感の残るやり取りにイルクも引っ掛かりつつも確かに凪の声が聞こえて口を噤んだ。
「うふふ。凪、お前の望みは何ですか?」
まるでローブの男のように、隊長が優しげな声で問いかける。
すると凪は目を細めて、ぎゅっ……と隊長の上着を握り締めた。
「深青と一緒に、號玖のとこに、帰る」
「え?」
楽しそうに聞いていた隊長の表情が、一瞬固まる。
「號玖、の、とこ……」
そのまま、凪の意識が落ちた。
かくり……と力を失った体躯を、イルクではなく横から掻っ攫うように隊長が支えて抱き上げて立ち上がる。
「うーん、さすがにここ数日の事もあって疲れちゃったんですかね。さて、イルク行きましょうか」
「え、隊長殿?」
突然の話題変換にイルクが驚いて問いかけたけれど、隊長はそれに答えず凪の右手に視線を留めた。
「おや、手のひらに怪我してますね、これで意識を保ってたのかな?」
「え、怪我ですか?!」
慌ててイルクが凪の掌を持ち上げれば、刃物で切られたようなけれどどこか歪な切り傷があった。もしかしてとズボンのポケットを探れば、抜身のナイフが小さな袋と共に出てくる。
「あぁ、あのローブの男の妙な術が今まで発動しなかったは、凪が自分の意識をこれで保ってたからなのかもしれないですね。まったく、危ないことを」
そう苦言ともとれる言葉を零しながらも、よくやったとでもいうように微かに満足気な表情を浮かべていて。
「イルク、帰りましょうか」
自己完結したかのように隊長はイルクにそう声を掛けると、自分の馬がつないである方へと足を進める。イルクはその後を追いながら、あのっ……と声をかけた。
「あの、ごうくとは、あの」
先程凪の言葉に対して何も言わなかった隊長に、慌てて問いかける。あの話の流し方は、やっぱりおかしい。隊長は何か知っているんじゃないか。
隊長は横に並んだイルクを見ることなく、肩を竦めた。
「彼女には子供の頃の記憶がない事は、前に話しましたね? だから私も分かりませんし、あまり聞かないでやってくれませんか?」
そう言い切られたイルクは、それ以上言葉を続けることができなかった。
「さて、凪。帰りますよ」
穏やかな声音と共にその視線を凪に向ける隊長の姿は、どこか今までと雰囲気が変わっていて。
様子を伺っていた九軍の隊員たちに指示を飛ばし、アウルと軽く打ち合わせを終えて北方辺境伯の護る拠点へと馬上の人となっても。
彼は凪をその手から離す事はなかった。
いつの間にかその肩に、黒い鳥をのせたまま。
今年の更新は、これにて最後となります。
次回は1月の末の予定になりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
本年もお読みくださり ありがとうございました
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