凪 2
あれから傭兵(仮)でありアウルの部下であるネイが、凪の運搬役となって一路東へと馬首を向けた。見る限り集団の中でネイは上位ではないけれどかといって下位でもないらしく、周囲に命令することもなく命令されることもなく。いい意味で中途半端な立ち位置のようだった。
けれど一番危険な人質の運搬を請け負ったことで、それだけを役目としていていいという風になった様だ。
二回目の休憩の今も、火を焚いたり準備に手を出すことなく常に凪の傍にいる。周囲も何も気にしないのか、馬用の水を持ってきただけでそのまま焚火の傍へと戻っていった。
「なぁ、あんたは何もしなくていいのか? 俺とばっかいたら、怪しまれねーの?」
馬の背と仲良ししていた最初とは違い、普通に二人乗りをしている凪の手首は紐で括られている。それでも力を入れて動かせばほどけるほどの緩さで負担は一つもない。
さすがに馬からは降ろされないけれど、人質としては良すぎる待遇だ。
状況は凪にとって好転し、最初に感じていた不安も恐れも息をひそめた。それがネイのお陰だと気付かない凪でもなく、少し悔しいと思うくらいはプライドも持ち合わせていた。
ネイの存在に甘んじることなく囮としての役目をちゃんと遂行しようと、心を落ち着かせる。
凪の言葉に、ネイは下から見上げるように顔を上げた。
「いいんだよ、別に。元々俺は途中から入ってきたんだし」
ただの傭兵崩れの集まりの中でも、少し中心から外れている状態。
「ふーん……」
ある意味、間諜としてならば一番いい立ち位置にいるわけだ。それはきっと、気づかれないよう調整しながらその立場に収まったんだろう。囮としての凪の、命を守る為に。そして想定以上の情報を手に入れ、敵に食い込むために。
これが十軍の本気で、さっきまで自分達と一緒に行動していた奴らも凪がワザと人質になったと見えないよう隙をいくつも作って立ち回っていた。
「やっぱり、俺に十軍は無理だよ隊長」
「ん? なんか言ったか?」
思わず呟いた言葉に、ネイが顔を上げる。凪は頭を横に振ることでそれを否定し、小さくため息をついた。
「そろそろ出発だから、これでも食べときな」
そういうと、懐から出した小さな袋から何かをつまみ出して凪の口に放り込んだ。
「? 甘い」
何を入れられたかわからなかったけど、口の中に入ったきたそれは歯を立てる前に舌の上でほろりと崩れた。
後に残ったのは、少し癖のあるけれどとても甘い欠片。
口をもごもごさせる凪の頭を軽く撫でて、ネイは馬の背にまたがった。
「黒砂糖でできてる、ソクラートのお菓子だよ。俺、好物なんだよねぇ」
馬上でネイも一つ口に含んで、にんまりと笑う。
「ほら、頭使う時は糖分が必要っていうじゃない?」
ね? と笑いながら、馬の腹を足で蹴って先に走り出した集団を追い始めた。
―甘党ってわけじゃないけど、頭使う時は甘味が食べたくなるんだよ
ネイの言葉で、黒砂糖のお菓子を食べて……イルクを思い出した。
確かここに来るって命令が出た時、ネイと同じようなこと言ってた。黒砂糖を買いに行くって。
頭を使う時、か。
凪は口に残った甘みを舌の上で感じながら、目を瞑った。
森の中であまり早く走らせられないとはいえ、馬の上。体勢的にも口を閉じていないと舌を噛むし、馬に乗せられている身としてはただただ暇なだけ。何をするでもない凪は、ネイに寄り掛かかって楽をしながら目を瞑る。
音だけを耳で拾いながら、凪はぼんやりとイルクの事を考えていた。
―王子殿下を暗殺するなら、平民の方が周囲への影響がないからです
イルクがうちに来る前に、隊長から告げられた事。
隊長は国がイルクを暗殺するだろうことに気付いていて、その上でイルクの身を守ろうと彼が来る前から動き始めていた。それはきっと、あの腹黒軍師もそうなんだろう。
うちの国に人質として来たイルクの生い立ち、そして自国での立ち位置を語った隊長の言葉を聞いて凪でさえ自国どころかソクラートにも怒りを感じたのだから。
大体、戦争への抑止力として人質になったイルクに、ただの一人も従者がいない時点でソクラートでのイルクの扱いが透けて見えた。
普通に考えれば、一人ぐらいは従者をつけるべきだろう。命を守ろうとするならば。
現にうちから人質としてソクラートに行った王弟殿下には、誰だか知らないけど一人ついていった人がいたはず。
王族という同じ立場だというのになぜだと思うけれど、知識を重んじる国で軍事を司る立場は王子とはいえ王族の中でとても低く見られてしまうんだろう。
そうでなければ、死んで来いとでもいうような人質交換に一人で出されることはないはずだ。
ちらりと聞いた話だと、王族の中は仲が良かったと確か言っていた。
「……」
ならば、イルクは納得済みでここに来たんだろう。生きられるだけ生き延びて、国の……家族の為になんとか戦を回避できるように。
その果てに命を落としたとしても、きっと後悔はないのだろう。
……それは、俺だって同じだ。
凪には、小さい頃の記憶がない。
今の凪の記憶の最初は、真っ黒い鳥から始まっている。何かに頭をつつかれて目を覚ますと、生成りの布に包まれて船のてっぺんに括りつけられていた。
布の袷に指を突っ込んで何とか頭を出すと、目の前に真っ黒い鳥がいた。
そしてその黒い鳥に代わるように、顔を出したのが隊長。
だから今の凪が初めて会った人は、隊長だ。
隊長に拾われた時に自分が話せた言葉は、西大陸の共通語で「何もわかりません」だけ。
凪という名も九歳という歳も、全て隊長が付けてくれたもの。
ある程度の一般常識が備わっていたことを考えれば、多分記憶を失う前、普通に暮らしていたんだろうと思う。それがどうして記憶を失うことになったかわからないけれど。
だから自分は、隊長に大きな恩義と貸しがある。隊長はそんなこと考えちゃいないだろうけれど、凪にとってその恩は何よりも大きい。
イルクが家族の為に、そして国の為に命を投げうる覚悟があるというのならば、それは自分も同じ事。
拾ってくれて育ててくれて、何もない自分の居場所を作ってくれた隊長に貰った幸せを返したい。レイノールやトンノ達九軍の為にも、役に立ちたい。
命と引き換えだとしても、後悔はない。
だからイルクの気持ちは分かる。分かるから、だからこそ。
「ぜってー、死なせねぇ」
思わず呟いた言葉に、ネイが「どうした?」と聞いてきたけれど首を振って別にと答える。
確かにイルクは、この国にとっては敵なのかもしれない。けれど、隊長はイルクを害する気は毛頭ない。
それははっきりと口にされなくても、九軍全員が分かっている事。そして他軍(十軍は配下みたいなものだから、それは除くけれど)には、決して気づかれてはいけない事。
でも、そんな事よりも。
「生きて、生きて、生き抜かせるために」
凪にとって、イルクはもう守るべき人間。笑って、命を捨てさせるなんて絶対にさせない。怒鳴られようが恨まれようが、そんなことはさせない。
イルクがどう思っていようが、そんなのは凪にとって関係ない。
命を捨てても役に立ちたいと思っているけれど、そうなった時、隊長は決して喜びはしないはず。
きっとそれは……、ソクラートの事なんか知らないがイルクの家族にとっても同じだと思う。イルクからたまに伝え聞く家族の話は幸せそうなそれだった。
凪は瞑っていた目を微かに開いて、前へと視線を走らせる。
真っ暗な林の中、月明かりが微かに浮かび上がらせる風景。この先に、戦を終わらせるために必要な敵がいる。凪の役目は、そこまで味方をある意味道案内すること。敵方で、多くの情報を得る事。
そして。
—必ず生きている事、だ。
ご無沙汰をしております。
今年もどうぞよろしくお願いします。←遅っ




