イルクという男。4
凪が隊に復帰してから、数カ月後。懸念されていたベガリアではなく、北方の国境地帯で隣国との小規模な戦闘が勃発した。
それは思いがけない場所だったので少し驚いた上層部だったが、手柄にもならない小競り合いと判断され庶民中心の隊の第九軍に出動命令が下った。
「うちは何でも屋ですからねぇ。明後日出発です、準備を整えておくようにね」
そう呑気に……、まるでどこかに遊びにいくような気軽さで隊長からそう告げられた。
イルクはその内容を、心を静かにして聞いていた。
この隊に来てから……、この国に来てまだ一年弱。さすがにまだ自分を暗殺するために立てられた計画ではないだろうと察することはできるが、それで安心できるというわけでもない。
ソクラートで過ごしていた間、国内の小さなものから国同士の小競り合いなど鎮圧させたこともある。古王国でもあるソクラートは、古いからこそ内包している問題も少なからずあり、陳情や提訴など大人しい意見具申もあれば、暗殺や反乱など武力行使する人々もいた。また国同士が表立って戦をすることがなくとも、戦争に発展しないような規模の小競り合いなら日常茶飯事だ。
それを鎮圧する国軍の王族責任者が、イルクに任されていた。王族の中で武闘派だったのが、イルクとその母だけだったから。
小規模だろうが小競り合いだろうが、ただ一度失敗すれば人は簡単に命を落とす。現に大したことのないものと判じた小競り合いで地方責任者が命を落とし、国軍に救援を求めてきたこともある。
それに何よりも……。
イルクは、ちらりと視線を横に向ける。そこにはいつも通り、凪がいた。隊長からの達しもあり、隊に復帰して以降も凪は常に誰かと共にいた。主に、イルクと。
世話をしてもらった覚えはないけれど一応イルクの世話係という立場なので、一緒にいてもおかしくない。
さすがにもう何か月も前の事で今更近衛隊長が何かしてくるわけはないだろうと、凪が隊長に何度か言っているのを聞いたことがある。けれどその度に執念深いから諦めてーという隊長の言葉に、貴族は暇人だなと吐き捨てるように悪態をついてそれでも諦めて頷いていた。
自分が原因だったというのがやはりネックらしく、いつものように強く出られないようだ。
今も、横で面倒くさそうに足元の砂をざりざりと払ってる。
イルクは凪から視線を戻すと、そのまま隊長へと向けた。一瞬かちりとあったそれに、隊長の意思を感じ取り小さく頷く。仲間を疑うわけではない……自身への暗殺命令は置いといて……が、第一近衛隊隊長の意を含んだ「誰か」が、イルクの暗殺にかこつけて凪を害するかもしれない。命までいかずとも、傷を負わせるために。一番怖いのは世話係という事を逆手にとって、イルクの暗殺を凪に背をわせて先日の一件のうっ憤を晴らされることだ。
人質だろうが庶民の中に自ら希望を出して所属しようが、腐っても自身は王族。何かあれば、罰せられるのは相手方だ。
ただ口答えをしたというただそれだけのことで、凪が国家の重罪人に仕立て上げられることが恐ろしい。だがあぁいったプライドの高い奴は、そんなくだらない事でも根に持ってやり返してくるだろう。
プライドの高い執念深い高官など、部下にとっては迷惑この上ない。
今回暗殺されないのであれば、自分の傍がきっと安全だ。けれどもし今回がそのタイミングだとしたら、その時は凪を逃がさなければ。
自分が死ぬ未来さえ飲み込んでここに来たが、凪を守りたい。せっかくできた弟分を、そんなくだらないことで失くしたくない。
トンノが聞いていれば「いやだから、さすがに気付いてくださいよ……」と頭を抱えそうな事をイルクは真剣に考えていた。
「はーい、かーいさーん」
隊長が解散を口にしたことで騒がしくなった修練場では、早速準備に戻る者やその場で話し込むものに分かれて各々が戦への感情の起伏を発散させようとしている。
そんな中、イルクは少しの緊張を内包したまま凪の頭を掴んだ。
「凪、お前俺の世話係なんだからちゃんと傍にいろよ?」
「あ?」
何言ってんだこいつと、ありありと現れている顔をこちらに向けて凪は眉を顰める。
「どんだけお坊ちゃん発言だよ。平時はまだしも、戦の時にそんなこと気にしてられっか」
「いや、俺間違いなくお坊ちゃんだから」
「へーへー。まごうことなく王子さまでしたねー」
面倒くさそうに口を突き出したまま、凪は肩を回して息をついた。
「んじゃ、おぼっちゃま。俺は自分の得物振り回してくるから。イルクはどうする?」
「お前の得物? ナイフじゃなくて?」
凪は普段、足や腰回りなど邪魔にならず服に隠れる場所にナイフを忍ばせている。それは本人は否定しているが、まだ身体が出来上がっていない為に剣を振り回す力が足りないからに違いない。
修練中、ほぼナイフで応戦しその他は体術で躱していく凪に、何度細身の剣でもいいから得物を使えと苦言を呈してきたか。
ナイフは手に持って応戦できる上に投擲できるという利点があるが、相手にその手の内を読まれてしまえば命中率は確実に下がる。それでも頑なに扱ってこなかったのに、戦の前に得物を振り回しに行くという……。振り回すというなら、少なくとも短剣やナイフの類ではないのだろう。
「俺も行く」
凪は少ししかめ面を浮かべてため息をつくと、はいはいおぼっちゃまー……と失礼な返事をして歩き出した。
ちょ、ちょっと頑張ってる。




