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きっとそれが、あなたの幸せなのでしょう。  作者: 篠宮 楓
時は進む。

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イルクという男 1

お久しぶりでございます。

本年もよろしくお願いします。

 イルク=タイス・ソクラート

 智の国ソクラートの現国王第三王子。タイスはソクラートの古語で、三番目のという意味。

 王妃の息子である第一・第二王子に続く第三の王子であり母は第一の側室ではあるが妃の中では身分が低い為、王位継承の順位は王女を含めて最下位となる。

 智を重要とするこの国で王子として教育を受けた彼に知識がないわけではないが、細身で文官・学者風の王族が多い中、大柄でがっしりとした体躯のイルクはある意味異彩を放っていた。

 その体躯に関しては、側室である母の出身がソクラートの中でも軍事を司る数少ない一族だからなのだが、知識を重んじるこの国はいなければ困ると理解していながらも軍事を下に見る風潮が根付いていた。


 王家の分家筋である公爵には軍事を司るものはおらず、侯爵に一家、伯爵に二家、後はこの三家から分かれた子爵・男爵。そして一般市民の中で武で身を立てる事を志し大成した一代限りの士爵まで入れても、国を構成する貴族の中で過半数に及ばない。



 その理由は、ソクラート建国の時代にまで遡る。

 古い時代、知識を持った一族……現王家……が、武力でその知識を搾取しようとした軍事国家から逃れて来たことからこの国は始まる。その際、現王家一族を護り従ってきたのが、今現在この国で軍事を司る一族なのだ。それは分家や統合を繰り返してはきたが、現在では大きく三つの家系に分けられる。

 そのトップの一族……建国時に現王家に従っていた一族の直系が、イルクの母の出身「タルガ侯爵」。そして数代前にタルガ侯爵家より分家した「グレア伯爵」「ザイナン伯爵」、この三家が国を護っている。


 古のと呼ばれる通りソクラートは数百年と続いてきたが、基盤となる思考もまたあまり変わっていない。

 この国の忌むべき悪習である。



 知略で外交を切り抜けてきたソクラートに、ある日難題が飛び込む。

 隣国ランディアとの境界付近にある中立地であるベガリア地帯を両国で治める代わりに、人質を交換するというものだった。

 その白羽の矢は、まっすぐにイルクにたった。考えるまでもない、と満場一致の決定だった。

 それはイルクも同じ考えであった。

 他国へ、しかも人質として赴くのなら自分が適任だろうと。

 王家の最下位だからというだけではない、人質生活を長く生き抜かなければならないから。自分が死ぬことで、戦端が開かれてはならないからだ。


 けれど。


 きっとそれは難しいと分かっていた。犬死にはしたくないが、生きることは諦めようとそう決めた。できる限り長生きをして、戦になるだろう時を引き延ばす事だけが自分の命題だと決めた。


 そして臨んだ両国の人質交換の場。

「初めまして」

 相見えたのは、儚くも華奢なランディアの王弟殿下だった。


 ランディアの非情さ……王弟を犠牲にしても国益となるベガリアを手に入れる為、戦を望んでいることを知り失望した。

 





「イルク? 凪の見舞いですか?」

 寮の前で、声を掛けられ足を止めた。抱えていた籠を手に持ち替え、声のした方へと振り返る。

「隊長殿、おはようございます」

 寮から然程離れていない場所にある第九軍の執務棟で寝起きする隊長にしては珍しく、ここに用があるようだ。イルクの挨拶にひらひらと手を振ると、隊長はひょいっと籠の中を覗き込んだ。

「この匂いは、鶏の照り焼きを挟んだサンドウィッチですね。凪の好物です、喜びますよ」

「……そうだと嬉しいです」

 およそ人の上に立つ者としての態度ではないけれど、それを許されるのが第九軍の隊長であるこの方なのだろう。違う隊なのに慕っている者達も多いという。それは隊長としてトップに立つ人も含めて。


「あなたは……不思議な方ですね」

 思わず、口をついて出てしまった。

「おや、そうですか? ミステリアスというのも、いい響きですねぇ」

 きょとんとした表情を浮かべた隊長が、指先で顎をさすりながらにやにやと口端を上げる。

「あ、いえ、あ……あの」

 口ごもりつつも何か言葉を続けようと、ぐるぐると思考をめぐらせる。

 そうだ。しまったとも思ったが、それでもずっと疑問に思っていたことを聞く絶好の機会だと気を取り直した。


「凪の事を、とてもよく理解されています。隊長は、凪のご家族かご親戚なのでしょうか」


 からかいながらも時に優しく、そして厳しくも接している凪。他の隊員への態度もあまり変えないけれど、それでも凪が特別手を掛けられているのは新人の自分でもわかる。

 今回の王や近衛の件に関してもそうだ。慌てるでもなく飄々と後から出て来て、窮地を救ってくれた。凪が転がっていることに怒りもせずに、四面楚歌に陥っていたあの場で王が近衛を取り成すというこれ以上ない保険を凪に掛けた。

 普段の口調や態度では推し量れない、頭脳と精神力、そしてそれ以上に場数を踏んでいることが感じられた。そうでなければ、一国の王を目の前にしてあんなに堂々とした態度ではいられない。


 隊長への尊敬と更なる認識の上方修正を脳内で行うとともに、凪を護れなくてとても悔しかった。あの場を切り抜ける方法が、ただただ頭を下げるだけしか思いつかなかった自分がとても情けなかった。


「隊長の行動を拝見して、自身の未熟さに改めて気づかされました。今後精進していかねばと思います。隊長がとても信頼できる方だと、とても勉強になる方だとお教えくださった方に感謝するばかりです」


 そう。九軍入りを勧めてくれたのは、他でもない王弟殿下だった。

 この国にいる間、信頼できる人間として隊長の事を教えてくれた。それも他にそうと気取られないよう、言葉遊びのような会話の中で。

この方が、どのような日常生活を送ってきたか伺いしれた。


 しっかりと目を見て伝えると、隊長は小さく肩を竦めて「かいかぶりですよ」と笑った。「その方」の名前を出さずとも、誰がというのはきちんと伝わっている。本当に頭の回転がいい。智の国である自身の故国でも、引けを取らないほどの人物だと確信を持って言える。

 だからこそ、謙遜の言葉に視線を少し伏せる。

「自分はあの場にいて何もできませんでした。自身の益体の無さに、恥じ入るばかりです。そして……悔しくもあります」

「悔しい?」

「私は……凪を、護ることができませんでした。それが悔しいです」

「……悔しい?」

 隊長が、同じ言葉を繰り返す。けれどどこかニュアンスの違いを感じて下げていた視線を上げると、笑みを浮かべた隊長と目が合った。


「凪を護れなくて悔しいと」

 なんだろう。何か圧を感じるんだけれど。

 口ごもりそうになりながらも、首を縦に振った。


「はい」

「イルク」

 

 食い気味に名を呼ぶと、隊長は口端に笑みを浮かべたまま目を細めた。


「貴方はあの場でできる限りのことをしました、ですので後悔することはありません。すべてはおバカな凪の責任です」

「たいちょ……」

「そして凪は私の家族です、イルクもレイノールもこの隊の隊員は皆、私の家族です。でも凪はやりませんからねっ!」


「え?」


 隊長はそれだけ言うと、書類を持ち直して寮へと入っていった。

 イルクはぽかんとその後姿を見送って、こてんと首を傾げる。


「やりませんって……」

 

 えーと、ん? それって?


「俺の恋愛対象って女性ですが……?」


 そう呟くと、もう一度首を反対側に傾げながら凪の休んでいる部屋へと向かっていった。






「だから女の子なんだってば!!! まだ気づかないの殿下!?」


 二人のやり取りを聞いていた九軍の隊員たちの声なき声が、いたるところから上がったとか上がらなかったとか。


 うん、上がってた。(トンノ談)

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