第43話 ちゃんと確認すべきだった
「後天的に魔力を得ることは非魔術師にとって永遠の憧れだよな。俺も欲しい、すげー欲しい」
と、ノヒト殿下が続けます。
我が国の騎士たちの表情には緊張が滲み、気が付けば私も両手を強く握っていました。
周囲の家々もこの騒ぎに気付いたらしく、窓からこちらを窺う人がちらほら。ノヒト殿下の返答次第で、この後に起こる戦闘の規模が大きく変わります。ぜひ窓際から離れてほしいものです。
「そうでしょう。わたしが研究データを持ち込むのだから、きっと早々に――」
「でもそのデータ、古いじゃん」
「……は?」
ダノーギ子爵があんぐりと口を開けたまま止まってしまいました。
ノヒト殿下は薄らと笑みを浮かべながら、ドリス様の名前を呼びます。
「だよな、ドリス?」
「そうですね。非魔術師への後天的魔力付与に関する研究……そろそろ生体、つまり魔獣および一般動物での適応実験に移ると聞いています」
「は? 君はその実験を取りやめさせただろう? まさか我々の成果を盗んだのか」
「なんの話です?」
「き、貴様が私の悲願を邪魔したのは、そうか、そういうことなのだな! わたしの成果を盗むつもりで」
混乱しているせいかダノーギ子爵は満足な説明ができないようでした。各々の主人の命令を待つ騎士や護衛兵たちの間にも戸惑いが生まれます。とはいえ、ダノーギ子爵の一言で状況が一変するのは確かで、緊張感もまた高まっていくのです。
「……時間の無駄つったのアイツか」
近くでそんな呟き声が聞こえてきました。
私に着替えを用意してくれた黒髪の人です。確か彼は私と一緒にダノーギ子爵の話を聞いていたから……。あ、そういうことか。ダノーギ子爵はドリス様が自分を追い落とし、育てていた研究の成果だけを横取りしたと思ってるんだわ。
黒髪の人の言葉はダノーギ子爵にも届いたようで、彼は大きく頷いてドリス様へ指を差しました。
「その通り、あの男こそがわたしの研究を意図的に頓挫させ――」
「いいえ違います。ドリス様はそんなこと言わないわ、絶対に!」
「ニナ、一体なんの話をしているんだ?」
今一度、訂正しようと声をあげた私にドリス様が微かに振り返って問います。
「ヤクサナの、例の魔導省管理エリアでの研究について……ドリス様がダノーギ子爵の進めるプロジェクトを『時間の無駄だ』と一蹴した、と」
「僕が?」
「そうだ。ドリス・リッダー、貴様がそう言ったからわたしの研究は闇に葬られ、わたしは担当を外された」
「違います、僕は『魔素の研究をある程度進めれば、もう一方の研究を劇的に飛躍させられるはずだ』と言った。だから、『今は魔素の研究を優先しましょう』と。予算規模こそ偏りがあったものの、どちらの研究も中止になった事実はありません」
ああ、こういうことか……と、ヤクサナで聞いたドリス様の言葉を思い出しました。
確か彼は「言葉を拡大解釈されたり、違った意味に捉えられたりするのに疲れた」と、そう言っていたはずです。
きっとそれは、こんな勘違いが何度も起こったということで。
「そんなはずはない! 確かにわたしは――」
聞く耳を持たないダノーギ子爵の姿に、私まで胸が苦しくなってきました。いかに多くを語っても言葉が届かないのでは、言葉を発するのが怖くなるだろうな、と。
けれどドリス様はどこまでも静かに、ダノーギ子爵へと語り掛けます。
「誤解です。あなたが誰からそんなことを言われたかわからないが――」
「誰もが口をそろえて、だ!」
「しかし、あなたの進めていた研究はいま『ダノーギ論』と呼ばれ、研究所の中で最も大きな予算と人員が組まれています。少しずつ形になっているんです」
「なんだって? わたしの名が?」
「ええ」
自分の間違いに気付いたのでしょうか、なんだか一気に年をとったように見えました。
「非魔術師が不当な扱いを受けなくなるのか? ヤクサナの歴史にわたしの名が残るのか……?」
「ヒトに適応されるまでにはまだ時間がかかるでしょうし、先のことはわからない。しかし派生研究も広がっていますから、あなたの名が残ることは間違いないでしょう」
そんなドリス様の言葉に「そうか」と表情を和らげたダノーギ子爵でした。が、しかし。ノヒト殿下のお気持ちはそれでおさまらなかったようです。
「いーや、違うね。お前の名は確かに残るが、それは研究を推進したからじゃあねぇよ。未来永劫、ヤクサナの歴史には『犯罪者』として刻まれんだ」
「な――」
それを否定できる人はいません。これだけの事件を起こし、あわや三国がぶつかり合うところだったのですから。
「わっ、わたしは犯罪者などではない! 非魔術師として非魔術師のために……っ! くそ、わたしはここで人生を終えるわけにはいかんのだ! もういい、やれっ、奴らを殺せーっ!」
一転、ダノーギ子爵は腕を振り上げてご自分の連れて来た男たちに戦闘行為を命じます。ダノーギ子爵側にはヤクサナの魔術師や兵士だけでなく、恐らく我が国で雇ったであろうゴロツキも多い。
対してこちらはしっかり訓練された騎士や兵士ばかりです。相手方よりも早く、そして鮮やかに抗戦態勢に入るのを見て、思わず「おお……」と声を漏らしてしまったくらい。
相手方が慌てて武器を構え直す中、たったひとり黒髪の男性だけが剣を投げ捨ててしまったのです。
「はー無理無理。やめやめ、降参でーす。結局ダノーギのおっさんの勘違いから始まったんだろ、義もないのに命賭けてらんないよ。交渉材料の研究データだって使い物にならないんじゃ、シカード行って要職につけてやるって話も無理でしょ」
黒髪さんの言葉に、ダノーギ子爵側の兵たちは戦意喪失。パラパラと武器を捨てて投降を選択し始めました。
敗北を悟ったダノーギ子爵もまた、肩を落としてその場にへたり込みます。勝負はついたようですね。
よかったと胸をなでおろす私を、ドリス様が強く抱きしめてくれたのでした。




