第37話 久しぶりの再会で
ダノーギ子爵が逃亡した、という報は私たちに大きな衝撃をもたらしました。
ルナル様や奥様である子爵夫人を西の大国シカードへ逃がしたとのことですから、ダノーギ子爵の裏にいるのがシカードであることはほぼ間違いないだろうと、私たちは考えています。
収監していた人物を逃がしてしまったことで、ヤクサナの国内はダノーギ子爵の協力者を捜せと大荒れだそう。それに何より、ヤクサナとシカードという二つの大国が争うこととなったら、我が国もただではすみません。
そのおかげで陛下の影であるドリス様は大忙しみたいで……。
「三日も連絡がないだなんてよっぽどですね」
「三日でよっぽどだと思われるくらいの連絡が今までは来ていた、ということに驚いてるわ」
ローザが私の朝の支度を手伝いながら眉をひそめます。
ヤクサナから戻って以来、ちょっとした天気の挨拶だとか、誰それの婚約がまとまったとか、そんな些細なお話でも花束に添えて贈ってくれるのです。それはもう本当に大切にしてくださってるので……はい。
「あら、なんの音でしょう」
キョロキョロするローザ。私も耳を澄ませてみたところ、どうも窓のほうからガラスを叩く音がしているようです。
一瞬だけ顔を見合わせてから、ローザが恐る恐る窓へと向かいます。カチッと音をたてて窓が開かれ、レースのカーテンがふわりと広がりました。窓の外を右、左、上下と確認するローザの肩のあたりを、白くて素早いものが横切ります。
「きゃぁっ」
「わ、なにかしら」
白い物体は真っ直ぐに私の元へ飛んできて、座る私の膝の上に落ちました。いえ、落ちたというより止まったのです。ふわふわでまん丸のそれは鳩でした。
「この子は何かしら……」
「お嬢様、それ……伝令鳥ですわ! まぁ、なんて可愛らしいのでしょう」
「鳥を愛でてるの初めて見たけど」
「伝令鳥は別格ですもの! 見ず知らずの相手にもしっかりお手紙を運んでくれるだなんて、素晴らしい奇跡ですわ!」
実にローザらしい回答に笑ってしまいます。
私は鳩に手を伸ばし、その小さな頭蓋を人差し指で撫でました。
「さて、あなたはどんなメッセージを持って来てくれたの?」
「クルル……」
そっと彼があげた足には細く畳んだ紙が結び付けられています。私がそれを外すと、鳩は一声クルっと鳴いて再び外へと飛び出したのでした。
「行ってしまったわ」
「返事を求められてないときはすぐに戻るのだそうです。本当に賢い子だわ。それで、誰からのメッセージですか?」
ローザに問われて紙を開きます。
どこかで見たことがあるような、ないような字。少なくともドリス様ではないですね。
「ええと……『急遽、ヤクサナへ戻ることとなった。アプシル伯爵にも同行いただく予定だ。長くなりそうだからその前に少し三人で話がしたい。これからバートンパークで会えないだろうか』ですって。ノヒト殿下からだわ」
「まぁ。きっと公園でお話をしたら、その足でヤクサナへ行かれるのでしょうね。白い鳩はヤクサナに多い種類なのですけど、それなら納得ですわ」
しっかり綺麗にしなくてはとローザが意気込んで、私の髪を結っていきます。
なんだかモヤっとするのは、ドリス様が私を置いて行ってしまうから? それとも、二人きりで会えないばかりか、手紙さえドリス様ではなくノヒト殿下が書いているからでしょうか。
でもすっかり準備を整えた私は、馬車に乗り込むころにはウキウキしていました。やっぱり好きな人に会えるって嬉しいですから!
バートンパークは、キェル様に襲われかけたのをドリス様に助けていただいた思い出の場所です。
正門をくぐったところで、聞き覚えのある声が私の名を呼びました。
「ニナ? ニナじゃない!」
「……アネリーン?」
駆け寄って来たアネリーンはそっと私の手をとって、小さく飛ぶようにはしゃぎます。以前とは違って身なりは派手さがなく少し落ち着いた感じ。
「ずいぶんと久しぶりじゃない。ドレスも前よりいいのを着てるみたい」
「アネリーンはどうしていたの?」
「お互い積もる話もあるってことで、向こうで少し話をしない?」
「でも、私ちょっと待ち合わせで……」
周囲にドリス様やノヒト殿下の姿を捜しましたが、見つかりません。今日も正門左手側の広場では高らかに演説する人がいて、聴衆が多く集まっています。まさかあの人混みの中にはいないでしょうし……まだ来ていないのかしら。
「じゃあお相手が来るまでならいいでしょう? ほら、飲み物買って、ここでお話してたらいいじゃない」
「うーん、まぁそういうことなら……」
婚約破棄の一件もあって、アネリーンのことは好きとは言えない気持ちなのですが……それでも友人が貴族でなくなって、どのような生活を送っているのかは気になります。
親のしでかした罪は大きくても、アネリーン自身は何も関わっていないわけですし。同情してしまうというか。婚約破棄になったばかりの頃は、本音を言えば机の角に小指ぶつけてしまえばいい、くらいは思ってましたけど。さすがにここまでの不幸を願ってはいなかったので。
アネリーンに手を引かれ、広場のほうへと向かいます。軽食などはそちらで売られていますからね。
それにしたって今日は人が多い。ちゃんと手を繋いでいないと、アネリーンとすぐにはぐれてしまいそうです。いえ、手を繋いでいてもはぐれてしまいそう。だってほら、手が離れて……。
「あれ。アネリーン?」
「ニナ、こっち!」
どこかでアネリーンの声がします。少し離れたところでフリフリと振られる手が見えました。もうあんなところまで行ってしまったのでしょうか。人波に押されてしまったのかもしれません。
私はどうにか人をかき分けながらアネリーンのいる方向へと進んで行きました。ら、なんと。
「きゃ……っ」
口に布を突っ込まれ、頭から大きな袋を被せられてしまいました。え、待って、何が起きてるんですかこれは?




