第15話 ひっつきむしを剥がすのって大変
エメラルドのネックレスと、侯爵夫人とのお喋りの時間は確かに私のお守りになりました。
というのも、招待客の中にアネリーンがいたのです。さらに言えば、彼女はドリス様にべったりで。本当にべったり。ひっつきむしみたい。
ずっとドリス様にゼロ距離でくっついているのが不快で、私はそっと彼のそばを離れて侯爵夫人の元へと移動しました。侯爵夫人や、未来の義姉と言えばいいのでしょうか、ご長男の奥様が仲良くしてくださるので寂しくはないのだけど……なんだか周囲の視線がちょっとだけ痛い。
もしこのネックレスがなかったら、私はもっともっとドリス様のことを疑っていたと思います。任務のために私に近づいたうえ、アネリーンと相思相愛になりましたって言われたら本当に耐えられないもの。
つまりドリス様はこうなることを分かっていたわけで。彼はお考えがあってアネリーンをご自身にくっつけているということになります。と、わかってもいい気分にはなりませんけど。
あぁ腹が立つ、と三杯目のグラスを空にしたとき、背後で私の名を呼ぶ人が。
「ニナ」
「わぁモニカ! 来てたのね」
「もちろん。彼も一緒よ」
モニカの視線の先には彼女の婚約者の姿がありました。他の参加者に挨拶をしているみたい。モニカはそっと私の耳元に口を寄せます。
「ねぇ、あの女何してるの?」
「ちょっとわかんない」
「わかんないって――殴ってこよっか?」
「待って待って」
私の代わりに怒ってくれる友達がいるって、幸せなことだと思います。
大丈夫だと伝えたところで、ドリス様がこちらへやって来ました。もちろん、ひっつきむしはひっついたままですけど。
「ニナ。顔が赤いな。飲み過ぎてない?」
「大丈夫でぇーす!」
「まぁ! ニナったら怖いお顔。あのね、ドリ……アプシル伯爵があたしのことをもっと知りたいっておっしゃったの。だからね、たくさんお喋りをしましょうって言ってたのよ」
「そう」
私が頷くと、アネリーンは目を丸くして首を傾げました。
「それだけ?」
「他に聞くことある?」
「あ、そっか。ニナはひとりの男の人じゃ満足できないんだもんね? 今も他にイイ男がいないかなって探してたんでしょ」
「――どういう意味?」
腹が立つあまりに魔力を乗せそうになって深呼吸を挟みました。大丈夫、まだ冷静。たぶん冷静。けれどそこでドリス様が思い出したように口を開きました。
「そういえば、ゲールツ伯爵令嬢が言うには婚約者を放置して別の男性を侍らせていたんだっけ?」
「はぁ?」
渾身の「はぁ?」が出ました。モニカもすっごい形相でドリス様を二度見しています。私の大きな声に驚いてか、周囲の人もこちらに注目し始めた様子。
ドリス様はそれらに怯むことなく言葉を続けました。
「それから、デクラーク侯爵令嬢の婚約者とふたりで夜会に出席したとかも言っていたような?」
「モニカの婚約者? 待って、ドリス様は一体何を仰ってるのか」
見上げると、彼はパチリと片目をつぶって見せたのです。まさかと思ってアネリーンへと視線を移せば、彼女は少しだけ気まずそうな表情。
「そ、そうよ。あたし間違ったこと言ってないわ」
少しずつざわつき始めた周囲の様子に、アネリーンは開き直ることにしたようです。
一体何事だ、とモニカの婚約者もこちらへやって来ました。アネリーンは彼を見てさらに顔を引きつらせましたが、開き直った後ではどうすることもできません。
心を落ち着けて魔力の流れを確認します。ほんの少しでいいから、言葉に魔力を乗せて。
「本当のことを教えてほしいのだけど、アネリーンはドリス様になんて言ったの?」
「なんてって……ニ、ニナは男好きの浮気性だって」
「何言ってんのよ、ニナがそんなわけ――」
「モニカ、ありがとう。大丈夫よ」
我慢ならなくなったのかモニカが声を荒げましたが、一度は落ち着いてもらいましょう。
「他には?」
「アプシル伯爵が言った通りだわ。キェル様をほったらかしにして男の人と喋ったり、モニカの婚約者のエスコートで夜会に出たり」
「確かに間違ってないけど……モニカの婚約者って、私の従兄だわ! 確かエスコートしてもらったのはモニカが風邪をひいたときよね?」
「そう。仲良しだけが呼ばれた小さな夜会だからキェル様は招待されてなかったのよね。都合よく血縁の男女が余ったから、ふたりで行って来たらどうってわたくしが言ったの。どうせ事情を知ってる人しかいないしね」
なんだそんなことか、と周囲の人々が笑い出したようです。会場の空気がふんわりと軽くなりました。
それに焦りだしたのはアネリーンのほう。
「で、でもキェル様をほったらかしにしたのは本当じゃない!」
「それは違うと僕は思いますね。普通の紳士なら婚約者のある女性にむやみに声を掛けないし、もし声を掛ける不埒な人物がいれば、それを助けるのが男の役割でしょう」
「一応言っておくけど、一緒にいられるときはわたくしがニナの傍から離れないようにしていましたわ。アネリーンみたいな変な虫がひっつかないように、ね」
とドリス様が持論を展開し、モニカはモニカでここぞとばかりにアネリーンを睨みつけます。
そう。私がキェル様を放置したのではありません。キェル様が私を放置したのです。
「だ、だ、だけどあたしは別に間違ったことは言ってな――」
ドリス様がそっとアネリーンの身体を押しのけ、私を抱き寄せました。
これで一件落着かしら、と思ったそのとき、エントランスホールのほうから大きな声が聞こえて来たのです。




