第5話 ~エスガルの命を奪った女の話をしろと言っているのだっ~
ノイシュは高鳴る鼓動を感じながら、強い陽差しを受けて立つ幕舎を見すえた。それはここに着くまでに見たどの宿舎よりも明らかに大きな規模を誇っているのが分かった。
「油断するなよ」
すぐ傍らに立つバスティの声が耳に聞き、ノイシュは静かにうなずいた。自分達の両側にはレポグントの屈強な戦士達が居ならんで迎えており、こちらに無言の威圧感を放ってくる――
「ヨハネス様、どうぞ中へ」
不意に幕舎の中からパウエルが現れると、すぐに姿を消していく。
「皆さん、行きましょう」
背後から大神官の声が聞こえるや、彼の左右に控えていたバスティとロンデが先に歩を進めていく。ノイシュは息を吸い、彼等に遅れぬよう土を躙った。後ろで聞こえるヨハネスの足音から離れないように留意しながら入り口となる亜麻布を頭からくぐると、眼前には予想以上に高く奥行きのある空間が広がっていた。周囲には錦繍で紡がれた絨毯や意匠を凝らした刀剣などが設えてあり、芳しい香料も焚かれている。軍陣でありながらも特別な場であるという雰囲気が強く感じられる反面、居並ぶ面々は誰もが甲冑をつけた姿で腰掛けており異様な雰囲気を醸していた。自分達に用意された座席は無く、彼らレポグントの面々の中央に据え置かれた絢爛な肘掛け椅子は、未だ空位となっている――
「いや、すぐに陛下はやって参りますのでな」
そういって愛想笑いを浮かべているのはパウエルだった。とっさにノイシュは小さく頭を下げる。正直に言って、彼がこの場に同席するのはとても心強い。あれから彼には子供達のために回復術士や休息する幕舎を手配してもらい、更に彼らを助ける際に濡らしてしまった自分達の新しい衣装までも手配してくれた――
「パウエル殿……今、陛下とおっしゃいましたか。という事は」
ヨハネスが厳しい顔つきでレポグントの使節を見やっている。ノイシュは大神官の言葉の意味に気づき、思わず眼を見開いた――
――まさか……っ、レポグント王国の国王ラードヘルンがここにっ……――
「なるほど、此度の戦いにはラードへルン陛下も参陣されていたのですね」
ヨハネスの声は穏やかな中にもどこか険を含んでいた。パウエルは後ろ手で頭を掻きながら微笑み続けている。とっさにノイシュは奥歯を強く噛んだ。
――国王自らが参陣していたという事はつまり、これまでの戦いはラードへルンの強い意向があったということだ。もし、ここで交渉が決裂でもしたら再び追撃があるかもしれない……っ――
不意に複数の足音を聞いてノイシュが振り向くと、入口の幕が大きく開かれていく。瞬く間に外からの陽光が差し込み、思わず手を顔の前にかざした。そこには戦士や法衣に身を包んだ神官ら数名が整列している。そして彼等の間から二人の男が中央から姿を現した。一人は甲冑の上に煌びやかな羽織をまとい、肩にかかる程の長い金髪をした三十歳前後の男性だった。もう一人はまだ十代であろう少年で、両手には宝冠を載せた台座を握っている。
――ラッ、ラードヘルン……ッ
そう直感してノイシュは思わず息を呑んだ。不意にヨハネスが道を開けてひざまずく。慌てて護衛の戦士達とともにノイシュは大神官にならった。レポグントの王は速足で空いた長椅子へと向かい、こちらに振り向くと勢いよく着席した――
「その方等が降伏の使者か」
中央の椅子に自分が着席すると、すかさずラードヘルンが声を発した。
「はい、私はヨハネスと申します」
リステラ王国の大神官が恭しく敵国の王へと頭を下げる。
「陛下におかせられましては、ご機嫌麗しく……」
「余計な挨拶は良い。エスガルが取り込まれた時の話を聞かせろ」
遮るように発せられるラードヘルンの冷たい口調に、僅かにヨハネスが少しずつ顔を上げていく――
「まずは両国の和睦条件を提示する事から始めるのが――」
「エスガルの命を奪った女の話をしろと言っているのだっ」
すかさずラードヘルンが語気を強めた。一瞬にして周囲の空気が張り詰めていくのを感じ、ノイシュは奥歯を噛んだ――
「分かっているのかっ、貴国の存亡は、こちらにかかっているのだぞ」
――これは交渉戦だ、ヨハネス様と国王との……っ――
自分の鼓動が強く脈打つのを感じ、とっさにノイシュは胸をつかんだ。ラードヘルンの表情は固く、吊り上がった眉尻から彼の本気が伝わってくる――
――ラードヘルンは自軍の有利な立場を利用して、無理やり有益な情報を引き出そうとしているんだっ……――
「これ以上は告げぬ、早くエスガルを殺めた女の事を聞かせろ」
レポグント王の声に全く容赦の響きは無かった。大神官ヨハネスの静かにため息をつく姿が視界に入り、ノイシュは眼を細めた――
「……分かりました。では、その場に居合わせたノイシュより申し伝えます」
そう言ってヨハネスがこちらに視線を向けて来る。
「……はい」
ノイシュははやる鼓動を抑えながら頷いた。
「そなたがノイシュとやらか。子細を伝えよ」
――落ち着くんだっ……
ノイシュは敵国の国王に一礼し、ゆっくりと口を開いた。
「――あの日、私はグロム河の岸辺で防備の任についておりました。貴国からの侵攻に備えるためでございます」
無意識のうちにノイシュは眼をつむった。言葉にすると、あの時の戦いの情景が脳裏にはっきりと浮かんでくる――
「――対岸にいたエスガル猊下は術連携を用いて大河を凍結させた事により、貴国の術戦士隊が渡河を開始……我が軍は勇敢に戦うも衆寡敵せず、やがて守備隊は壊滅状態となりました……」
ノイシュはうつむいていった。あの時僕は……いや、あの場にいた戦士達はみんな死を覚悟して戦っていた――
「不肖私も手傷を負い、危うくその場で討ち取られようとしたところミネア……すなわち義妹が助けに来てくれました」
不意にその場にいる者達が小さく声を上げるのにノイシュは気付く。おそらく話の流れからこの義妹こそ暗紅の悪魔であると推測したのだろう――
「義妹はエスガル様と同じ魂吸収術の使い手でした。それに気付いたエスガル猊下は味方の魂を吸収しながら義妹に迫って参りました」
ノイシュは大きく息を吸うと、顔を上げてラードヘルンを見据えた――
「……エスガル猊下はまるで楽しむかのように部下の魂を取り込んでいました。猊下があの様な末路をたどったのも当然の帰結と申せましょう」
「な、無礼な……っ」
不意に頭上から怒鳴り声が届き、ノイシュが顔を向けると敵国王の傍にいた老神官が肩で息をしている――
「エスガル様はレポグント王国随一の大神官っ……お前のような若造に何が――」
「静粛に、シュマ殿」
敵神官の言葉を遮ったのはラードヘルンの声だった。シュマという老神官は驚愕の表情を主君に見せる――
「しかし……っ」
「ノイシュ、続きを申せ」
そう告げる敵国王をノイシュは見すえた。ラードヘルンは指で顎をさすり、話の内容を品定めするような目つきを見せている。
――この方はたとえ重臣がどうなろうと全く動じない……あくまで事実を見極めながら交渉を行おうとしているんだ……っ――
ノイシュは目をつむった。あの様な言い方をしたのも、彼の非道的な行いを責めたからだったけれど……残念ながらこの国王は僕の手に負える相手じゃない――
「……二人はともに相手の魂を喰らうべく超高位秘術を放ち続けました。その結果、ミネアが大神官を打ち破ると彼の魂を取り込んだのです」
ノイシュは口をつむぎ、うつむいた。レポグントの側近達からも驚きの声が漏れ聞こえてくる。
「しかし、義妹はエスガルや彼が取り込んできた魂を吸収しきれず……霊力と精神が暴走したのです」
「なるほどな。それで、彼女はどこに行方をくらませたのだ」
ノイシュは静かに眼を細めると、ゆっくりとかぶりを振った。
「分かりません……残念ながら」
「それにしても、君の義妹御は凄まじい魂を宿しているのだな」
国王の言葉を聞き、思わずノイシュは眉をひそめながら顔を上げる。そこには唇を吊上げてこちらを直視しているラードヘルンの姿があった――
「君も彼女と同じ能力を備えているのか」
「いえ、義妹とは血が繋がっていないのです。私は一介の戦士でしかありません」
「そうか」
直後にラードヘルンはこちらからヨハネスへと視線を向けていく。まるで全く興味を失ったかの様に――
「ヨハネス殿、講話の話といこうか」
ラードヘルンの視線を受けて大神官ヨハネスが頷いた。
「はい」
「私は細かいことが嫌いだ、率直に言おう。もはや勝負は見えている。さっさと武器を手放し、我が軍の統治を受け入れたらどうだ」
無意識にノイシュは強く奥歯を噛み締めた。はやり、というのが本音だった――
――でも、それではリステラ王国を守る戦士達や聖都に住む人々の命が保証されない。そんな簡単に呑める話なんかじゃない……っ――
不意にラードヘルンが椅子から立ち上がった。
「もちろん貴公らの言い分もあるだろう。ここに居並ぶ者達と存分に話し合いたまえ」
そう告げると恐るべき敵国の君主は歩み出し、従者とともにこちらの横を通過していった――
「お互いの意見がまとまるのを、心から祈っている」
ラードヘルンは軽く後ろ手を振ると、こちらを振り返ることなく幕舎の外へと姿を消していった。
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。
バスティ……リステラ王国の術戦士。ヨハネスの護衛。
ロンデ……リステラ王国の術戦士。ヨハネスの護衛。
パウエル……レポグント王国の密使。
銀髪の少年……バデォン部族の男子。
銀髪の少女……バデォン部族の女子。
ラードヘルン……レポグント王国の国王。男性。
シュマ……レポグント王国の神官。男性。




