第3話 ~たとえ敗れても、全てを失っても、この絆だけは、きっと……っ~
「実はその事で、皆さんにお願いがあります」
不意にヨハネスの声が耳朶を打ち、ノイシュは顔を上げた。そうだ、こんな内密な話をしてまでもヨハネス様が自分たちに話したい事とは――
「明朝にも私は交渉の使者としてレポグントの軍陣へと赴く予定ですが、皆さんの中から誰かに同行して頂きたいのです」
とっさにノイシュは眼を見開いた。胸の中では疑問より驚きの方が勝った――
「何故ですかっ、猊下には警護の衛兵がいるはずではっ、なぜ我々が同行を……っ」
素早くその言葉を発したのはマクミルだった。隊長の言葉を聞き、静かに眼を閉じる大神官をノイシュは視認した――
「暗紅の悪魔」
「ミネア……ッ」
思わず声を上げてしまい、とっさにノイシュは口許を片手で抑えた。周りの仲間達が一斉にこちらへと視線を向けてくる。ヨハネスもまたゆっくりと双眼を開いていく――
「あの日、大神官エスガルを取り込んだ後にいずこかへと消えた女性の術戦士……レポグント軍は彼女を明確に脅威ととらえ、和睦する条件の一つとして彼女の正体を明かすよう求めています」
「それがミネアなのか……っ」
頭上からウォレンの声が降ってくるのを感じつつ、ノイシュは静かに目の前の机へと視線を落とした。一枚板でできたそれは、表面に歪んだ木目を映していた――
「……はい。あの時義妹は赤黒い光芒に包まれながら空高く舞い上がり、何も告げないまま飛び去っていきました」
――そう、彼女は僕の手の届かない所へと……
「一体、ミネアはどこに向かったんだ」
隊長の声に、ノイシュは静かに首を振った。
「あの時、ミネアは自分を見失っていた。余りに多くの魂を宿してしまって」
「そんな……っ」
そう言ってノヴァが息を呑む音を立てた。
「この話、レポグントの軍陣でもお話頂けますね」
大神官の言葉にノイシュは顔を上げると、ゆっくりとうなずいた。
「有難うノイシュ君……それでは明日、神官廟の鐘が八回鳴らされる刻限に我が邸まで来てください。よろしくお願いします」
ノイシュが見つめる中、ヨハネスは踵を返して部屋を出ていった。しばらく誰もが口を開かず、その場には静寂が佇んでいた――
「みんな……っ」
不意に絞り出す様な声が耳朶を打ち、ノイシュが振り向くと隊長が目を伏せながら震えていた――
「すまない、本当に……っ」
そう言って隊長が頭を下げてくる。
「ずっと俺の指示通りに動いてくれたのに……っ、みんなを勝利に導けなかった……っ」
「隊長……」
思わずノイシュはそう呟いた。眼前でマクミルがさらに深く頭を垂れていく――
「レポグント軍が聖都にやってきたら、ここに住む人々に彼等がどんな仕打ちをするか分からない……っ、でももう俺達は抵抗する事さえできないっ……」
突如として隊長が握った拳を机に強く叩きつけた。暴力的な音が耳朶を打つも、ノイシュは動く気にもならなかった。そっと仲間達を見渡すが、彼等もまた為す術なくうなだれている。ノイシュはゆっくりと眼を細めた。
「隊長は、よくやってくれました」
そう胸に浮かぶ思いのままに言葉を発すると、マクミルが静かにこちらを見上げてくる。ノイシュは真っ直ぐに彼を見据えた。
「これまで隊長に従い、戦ってきた事……僕は後悔していません」
「私も……っ」
「俺もです」
仲間達が顔を上げながら口々にそう告げていく。彼らの真摯な眼差しにノイシュは強く奥歯を噛み締めた。
――そうだっ……僕達はあの激戦の中、互いの命を預け合った者同士なんだ……っ
ふと誰かの視線に気づいて振り向くと、そこにはビューレがいた。涙で頬を濡らしつつも眼差しを向けてくる彼女に向かい、ノイシュはたた微笑んでみせる――
――たとえ敗れても、全てを失っても、この絆だけは、きっと……っ
「すまないっ、みんな……ッ」
マクミルの声が耳に届き、ノイシュはゆっくりと顔を向けた。彼は瞼に手の平を当て、小刻みに肩を震わせていた。静かな室内に彼の嗚咽が漏れ聞こえてくる――
――ミネア、戦争を終わらせる協力なんて僕にできるかな……――
ノイシュは静かには眼をつむった。
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手
ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主
ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手
ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手
ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。




