第20話 ~大丈夫だッ……た、立たなければっ~
「生きていたか、ノイシュ」
不意に名を呼ばれて脇に視線を向けると、そこには身体中を血糊で染めたマクミルが剣呑な表情で佇んでいた。
「隊長……ご無事でしたか」
「あぁ」
そっけない返事だったが、その頬の刀傷や各所で裂けた鎖帷子が激戦だった事実を如実に語っている――
「お前もだいぶやられた様だな。斬り込みは俺に任せろ」
「……すみません、お願いします」
「援護を頼むぞ」
マクミルが静かに歩を進め、こちらに背を見せながら槌矛を構えていく。
不屈の闘士の先では、敵部隊の先鋒があと二十歩程の距離にまで迫っているのをノイシュは視認した。
ざっと三十人はいるであろう彼等の喚声が激しく耳朶を打ち、周囲の空気が緊張で張り詰めていた――
「うおおぉぉぁッ」
次の瞬間、マクミルが雄叫びを上げると同時にその身体が一閃した。
直後、高く跳躍しながら敵部隊へと駆け出していく。
重装備とは思えない敏速な動きで進む彼の先には、鱗状の甲冑をまとった戦士の姿があった。
相手もマクミルに気づいたらしく、両者はそのまま距離を縮めていく。|
間違いなく向こうも敏捷増強術の使い手だった。
ノイシュは詠唱を始めながらも眼前で繰り広げられる光景に眼が離せなかった。
次の瞬間、二人の戦士が互いの武具を大きく振り上げる――
「はあぁぁぁッ」
「イヤァォォァッ」
両者の気合いが重なり、振り出された互いの武具が衝突するや周囲にけたたましい剣戟が響き渡る。
そのまま二人は鍔迫り合いを演じるが、やがて互いが武器を捌くと激しい乱打戦となった。
相手の手数に押し切られた方が命を失う――
不意にノイシュは異なる方向から複数の喚声を聞き、とっさに顔を向けると別の敵戦士が凄まじい速度で駆け寄ってくるのが見える。
おそらくマクミル達の激戦に気づいたのだろう、その重装備とは釣り合わない脚力でこちらとの距離を縮めてくる。
――く……ッ
ノイシュは心中でうめきながらも術句を紡ぎ続けた。
次第に光芒がこの身を包んでいくが、彼等の動きに比して歯噛みするほど遅い。
敵戦士達がマクミルとの距離をあと五歩程にまで近接した時、ようやくマクミルも彼等の襲来に気づいた様だった。
すかさず彼が身を翻して後ろに飛び退いた瞬間、その場所に幾つもの鋭い剣筋がはしった。
マクミルはそのまま数歩後退して距離を取るが、敵戦士の一人がその動きを読んでいるかの様に素早く跳躍して追い縋り、剣を再び構えていく――
――隊長……ッ
ノイシュは背中が粟立つのを感じた。直後、術句を結ぶと剣を大きく後ろに引く。
四肢にまとった燐光が刀身へと移っていく――
「はああぁぁッ!」
ノイシュは叫び声ともに大きく剣を横に薙ぎ払った。
途端に片刃の剣から光芒が掻き消えた。
同時に周囲の砂塵が巻き飛び、衝撃波が放出されたのが分かる。
甲高い音が大気を切り裂き、マクミルや敵戦士へと肉薄していく――
――どうかっ、間に合ってッ……
ノイシュがマクミルを見据えた次の瞬間、敵兵が隊長を袈裟斬りにする光景が網膜に焼き付いた――
――たっ、隊長……ッ
金属の裂かれる音が耳朶を打ち、大量の鮮血が隊長の身体から飛び散るのをノイシュは視認した。
まるで静止画をめくる様に、ゆっくりとマクミルが倒れていく。
マクミルに深手を負わせた敵戦士が、どどめを差すべく剣を振り上げた。
次の瞬間、敵戦士の顔面が、陽炎のように揺らめていく。
その直後、その両眼が奇妙に歪み、の顔面との間から血しぶきが噴き上がった。
衝撃破に眼球を砕かれた敵戦士がその場で狂乱の舞いを繰り広げていく――
「ガアァェぁッ、眼がっ、眼がぁぁあ……ッ」
「マクミルッ、しっかりっ」
ノイシュは急ぎ手負いの隊長へと駆け寄り、血で滑るその傷跡を強く抑えた。
「大丈夫だッ……た、立たなければっ」
マクミルは震える左手を地につけて何とか起き上がろうとするも、すぐにその場で崩れた。
そして喀血すると、うめき声を発したまま動かなくなる。
――そっ、そんな……ッ
不意に視界が滲み、ノイシュは堪え切れないほどの痺れが胸を掻き乱していく――
鎮魂歌を思わせる低い旋律が耳に届き、とっさに顔を上げると眼前で二人の敵戦士が術詠唱を行っているのが視界に入る――
――隊長は最後まで立とうとした、僕だって……っ
ノイシュは無理に感情を脇へ押しやり、急ぎ剣を構えた。
直後に彼等の身体が一閃、光芒が刀身へと伝っていく――
――あれはっ、衝撃剣……ッ
「来い、僕が相手だっ」
そう告げながらノイシュは急いで隊長から離れた。
このままでは隊長まで巻き添えを喰ってしまう――
次の瞬間、二名の敵戦士達がほぼ同時に剣を振り払うのをノイシュは視認した。
瞬く間に空気が唸りを上げ、旋風が下草を斬り刻んでいく。ノイシュは全身に冷たい緊張が張り詰めていくのを感じ、とっさに大きく右脇へと身体を転捻させた。地へと身体をつけた直後に剣を振るう様な風切り音が耳許を擦過し、頭上へと多量の土塊が降り注がれていく――
何とか振り切った事に気づいたノイシュは素早く身を起こして前方を見据えるが、眼前には既にこちらへと飛び込んでくる敵戦士の姿があった。すかさず剣を突き出すと薙ぎ払われた相手の大剣に激突し、けたたましい音が鳴り渡るとともに重い衝撃が広がる――
「ぐっ、うぅ……ッ」
幾筋もの火花が眼前で飛び散り、不意に焼けつく感覚を受けてノイシュは顔をしかめた。何とか相手に抗しようと腕に力を込めるが、敵戦士の膂力があまりに強く、自分の両肩が細かく痙攣し始める。徐々に剣を胸元まで押し込まれていく――
「どうした、その程度か」
刀身ごしに敵兵の勝ち誇った声が降り注がれ、ノイシュは思わず剣を大きく脇に引いて相手の力を無理に別の方向へと逸らした。ようやく自由を得ると必死に飛び退り、荒い息を整えつつ体勢を立て直す――
「……貴様の名を、聞かせて貰おうか」
眼前の敵戦士が頬を吊り上げながら剣を構えた。
「俺は自分が殺す相手の名を、覚えるのが好きでね」
ノイシュは思わず胸に嫌悪感を覚えるが、今は少しでも時間を稼いでおきたい――
「ノイシュ……ノイシュ・ルンハイトです。貴方の名は」
「俺はサガムさ。貴様の死に神だッ」
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手




