第16話 ~きっと、生きて還ってくるから……君のために~
「おい、向こう岸を見てみろ……っ」
ふと誰かが声を上げ、無意識にノイシュは視界を向けた。
そこには対岸で隊列を組んでいる敵陣左翼の術戦士隊が、突如として隙間をつくっていく――
――なんだ……?
ノイシュは眼を細めて前方を注視した。
やがて開いた隊列の隙間から、敵術士隊が次々と姿を現していく――
――そ、そんなッ……
驚愕とともに背中から寒気が込み上げきて、思わずノイシュは身を震わせる。
いったい何十人いるか分からない、敵軍はまだあれだけの術士を温存させていたなんて……いったい、何をする気なんだ――
敵軍の意図がつかめず、ノイシュは思わず片眉を上げる。
グロム河は流れこそ緩やかだが河幅も広く、腰元まで浸かるほどの深さがある。
このまま浸水しても上手く身動きが取れないし、対岸から攻撃術を発動させたとしてもさすがにここまでは届かないはずだ。
だからこそ、わが軍はこの河畔を決戦の地に選んだのだから――
不意に敵軍の術士隊は岸辺で動きを止めるや、一斉に詠唱を開始していくのが見えてノイシュは掌を握った。
彼等の間から仄かな光芒が浮かび上がり、そして膨張していくのが分かった。
その優美な光彩と術詠唱という葬送曲が織りなす不協和な光景は、どこか妖しく惹きつけるものさえあった――
「みんな気をつけろっ、術連携だ……ッ」
すぐ隣でマクミルの叫ぶ声が耳に届き、ノイシュは周囲の兵士達とともに武具をかざして体勢を整えた――
刹那の後、向こう岸の術士隊が術句を結んだのをノイシュは聞いた。
直後に立ち昇っていた光芒が一閃、巨大な光の波動がこちらに向かって放たれていく――
――くっ、来るのか……っ
無意識にノイシュが全身を強張らせた直後、術は急激に降下してグロム河へと垂落していく。
術の光波と水面が触れ合った瞬間、鈍い音を立ててそれらが凝結していった――
――ま、まさか……ッ
不意にノイシュは鼓動が強く脈打つのを感じた。
まさか術連携で凍結させた河川を渡って来るというのか――
対岸から盛大な喚声が上がり、両脇に控えていた術戦士隊が次々と氷結した水面に着地し、そのままこちらへと進撃を開始していく――
「敵軍が来るぞ、みんな迎撃体制を取るんだっ」
不意にマクミルの絶叫が耳朶を打ち、ノイシュは激しくかぶりを振った。
対岸の光景に眼を奪われていた味方の戦士達もまた慌てて盾を構え直していく。
向こう岸では既に敵術士隊が再び術詠唱をはじめており、淡い光芒をその身にまとっていくのが見えた。
このままでは間違いなくレポグント軍に渡河されてしまう。
こちらの主力は橋に集結しているため、岸辺を守る味方の兵数はおそらく二十名にも満たない。
それに対して敵の術戦士隊はその倍以上はいるだろう。
いや、きっとそれ以上の戦力がこの一角に殺到してくるはずだ――
「ビューレ、君は後方にいるんだ。みんなの救護、頼んだよっ」
「はい……っ」
回復術士の声を聞きながらノイシュが大剣を振り上げた瞬間、再び前方から激しい閃光に襲われて思わずくらむ。
それでも正面に眼を凝らすと、対岸から放たれる眩い散光を視認した。
殺意を内包した燐光は渡河を続けるレポグントの術戦士隊を追い越し、そして一気に降下すると水面へと激突していく。
凝固して生じた氷が瞬く間にこちら岸へと伸びていき、遂にこちら岸まで到達する。
ノイシュは強く奥歯を噛み、眼を閉じた。
――もう一度、僕は戦わなくちゃならないんだっ……義妹の為にも、仲間の為にも、かつて捨ててしまった子供達の為にも――
ノイシュは荒い息を吐いて前方を見据えた瞬間、敵戦士隊の最前線が遂にグロム河を渡り切る姿を視認した。
「敵襲っ、敵襲――ッ」
味方部隊から様々な喧噪がはじけ出し、抜刀の鞘音が響き渡っていく。
ノイシュは唇を開くと術詠唱を開始した。詠唱が進むにつれて、次第に己の身体を純白の光が包んでいく――
――僕の身体に宿る魂よ、その力を解放してくれ……ッ
前方から大喝と甲冑の擦れる金属音が重なって聞こえ、ノイシュは殺意を肌で感じ取った。
眼前では大声を上げて数多の敵戦士たちが迫ってくる。
そのまま大剣を斜めに振り上げると、敵戦士のうち一人に狙いを定めた――
――隊長、ご武運を……っ
次の瞬間、ノイシュは術句を結んだ。
途端に身体を包んでいた光芒が振り上げられた大剣へと伝っていくのを視認した――
「うわああァぁ――ッ」
絶叫と共にノイシュは大剣を袈裟斬りに振り下ろす。
刀身に宿った霊力が切っ先から滑るように分離し、そのまま甲高い音を立てて相手へと殺到していった。
瞬く間に距離を縮めていた敵戦士が驚愕の表情を見せる――
刹那の後、激しい衝撃音とともに敵戦士が身体を仰け反らせながら後方へ跳ね飛ばれていった。
僅かに遅れて破砕した金属音が耳に届く――
が、直後にノイシュは視界の奥から新たな敵戦士がこちらへと飛び出してくるのを視認した。
おそらく敏捷増強をしているのだろう、常人とは思えない身のこなしで剣を構えたままこちらへと迫ってくる。
ノイシュは急ぎ剣を構えようとするが、敵戦士の動きの方が速い――
――ダメだっ、間に合わない……っ
ノイシュは咄嗟に身を捻り避けようとするが間に合わない。
敵の凶刃がこちらへと振り下ろされるのを視認した瞬間、不意に後方から誰かがが跳躍してきた――
――マクミル……ッ
隊長は敵戦士を上回る反応速度で手にした鎚矛を薙ぎ払い、瞬く間に相手の頭蓋に叩き込む。
鈍音とともに敵戦士の側頭部が陥没し、大量の鮮血のほか骨の欠片や眼球までも飛散していくのをノイシュは見た――
「――大丈夫か、ノイシュ」
隊長に声をかけられてようやく、ノイシュは自意識を引き戻した。
そして自身が無傷である事に気づく。
「……有り難うございます、体調」
「俺が援護するから、すぐに次の衝撃剣を詠唱してくれっ」
それだけ告げるや隊長はすぐに地を蹴り上げ、次々と渡河して来る敵集団へと突進していった。
ノイシュが眼を凝らすと既に最前線は乱戦となっており、両軍の戦士達が激しい鍔迫り合いを繰り広げている。
ノイシュは強くかぶりを振って意識を引き戻すと、再び術を発現すべく詠唱を始めた――
――刹那の後、不意に対岸からの煌きにノイシュは気づいた。
――あれはっ……
ノイシュが眼を凝らす間もなく燐光は一気に膨張していき、紅蓮の色彩を帯びながら瞬く間に巨大な構造物に達してしまう程の規模を有していた――
――そっ、そんなっ……
背筋から悪寒が込み上げてくるのをノイシュが感じた直後、紅蓮の光芒が激しく瞬いた。
瞬時に複数の焔色を帯びた光弾が上空へと放たれていき、やがて重力の加速を受けながら一斉に大河をまたいでこちら側へと降り注いでくる――
「上空に凄まじい数の火炎弾ッ……全員、身を守るんだっ」
そう叫んでからようやく、ノイシュは迫りくる烈火があまりに広範囲であることに気づく。
あれでは最前線にいるレポグント戦士までも巻き添えとなってしまう――
瞬く間に肉薄してくる業炎の悪魔達に対し、両軍の戦士達は為す術なくその場で狼狽するか、必死に身を庇うべく構えを取るかのどちらかだった。
甲高い落下音と焦げる匂いを感じながらノイシュは眼を細めた。
おそらく敵軍は圧倒的な支援放射でこちらを激しい混乱の渦に巻き込むつもりなのだろう。
こんな無慈悲な作戦を躊躇なく行い、且つこれ程の強力な霊力を宿す者といえば――
「ノイシュ、俺達も離脱するぞっ」
不意に名前を呼ばれてノイシュが振り向くと、いつの間にか鮮血で汚れたマクミルがすぐ傍らにいた――
「マクミル、先に逃げてっ」
そう告げた直後、突如として地を揺らす振動に襲われる。
慌てて四方を見渡すと猛炎が次々と地に降り注いでいた。
眼前で戦士達が敵味方の別なくその身を燃やし、彼らの断末魔と業火の猛る音が容赦なく耳朶を打った――
――そうだ、ビューレ……ッ
ノイシュは再び周囲を見渡し、目当てとなる少女を探す。
――いた、あそこ……っ――
後方の少し離れた場所に、口元を両手で覆ったまま座り込む回復術士の姿があった。
その眼差しは彼女の隣で激しく燃え猛る戦士に向けられている――
――く……ッ
ノイシュは急ぎ彼女の元へと駆け出した。
その間にも紅蓮の炎魔達が次々と唸りをあげて周囲に落下し、旋風を生じさせながら敵味方の別なく戦士達を焼き焦がしていく――
「ビューレ、逃げるんだっ」
そう告げながらノイシュが彼女の所へと辿り着くと、眼前の少女は身体を震わせながらこちらへと顔を向ける。
「ノイシュ……ッ」
彼女は狼狽した様に、大きくわなないていた――
「どうしようっ、これだけの数が燃えてしまって……誰から、治癒すれば……ッ」
――ビューレ……ッ
ノイシュは奥歯を噛み、眼を細めた。
――君は、本当に優しいよ……っ
「――ビューレ、お願いがあるんだ」
ノイシュはまっすぐに彼女を見据えた。ほぼ無意識に口許が開いた――
「どうか、この戦況を後方の術士隊に伝えて欲しい」
そこで言葉を切ると、ノイシュは静かに彼女へと双眸を向けた。心の奥底はどこか澄んだ感じさえあった――
「そしてヨハネス様に注進して欲しい、とてもここは防ぎ切れないって」
ビューレは絶句した様に口を広げながらも、やがてゆっくりと頷いていく。
「……分かった。でも、ノイシュは……」
「僕は応援が来るまで、何とかここを防いでみるよ」
不意に、少女の瞳が激しく揺れるのが見えた――
「そんなっ、きっと殺されちゃうっ……それなら、私も傍で回復を……っ」
懸命にまなざしを向けてくる彼女の表情をこれ以上見まいと、ノイシュは眼を強くつむった――
――……ごめんね、ビューレ……ッ
ノイシュは眼を開け、上瞼に力を込めると勢いよく彼女の両肩を掴む。
「ダメだッ、誰かがここを守らなきゃ、みんな全滅してしまうッ……それが分からないのかッ」
ノイシュは顔を伏せ、そっと息を吐いた。
――ゴメンね、ミネア……ッ
「ノイシュ……ッ」
不安げに自分の名をつぶやく少女の声が耳に届き、ノイシュは再び顔を上げると彼女に微笑んでみせた。
胸中では心臓が激しく鼓動し、本当は自らの身体が恐怖で震えているに気づく。
不意に視界がぼやけ、ビューレの顔が義妹のそれと重なる――
――ミネア……ッ
「――きっと、生きて還ってくるから……君のために……ッ」
そして手を伸ばし、彼女の頬を優しく触れる。
不意に義妹の姿が修道士の少女に変じる。
その手は、彼女の顔を覆う青痣に触れていた――
「ノッ、ノイシュ……ッ」
ビューレの頬から一滴の涙が溢れていく――
「――安心しろ、俺がいる。絶対にノイシュを死なせたりはしない」
不意に背後から声がしてノイシュが振り向くと、そこには鎚矛を肩に担いだマクミルの姿があった。
「だからこいつの言う通り、ビューレは後衛の術士隊を守ってくれ」
「……頼りにしてます、隊長」
ノイシュは修道士の少女へと視線を戻し、そして再び微笑んで見せた。
彼女はなおもこちらを見据えていたが、やがてゆっくりと首を縦に振った。
「……約束ですよっ……きっと、きっと、戻ってくるって……ッ」
次第に彼女の表情が決意の色へと変わっていく。
ノイシュは懸命に微笑み続け、そして強く頷いた。
「うん、きっと」
「約束だから……ッ」
そこでビューレはゆっくり立ち上がり、本隊のある方向へと小走りに向かっていった。
途中、何度もこちらを振り向きながら――
やがて彼女の姿が闇に紛れて見えなくなり、ノイシュは大きく息を吐いた。
「隊長、感謝してます。僕の考えに賛同してくれて……」
不意にマクミルの鼻白む音が聞こえた。
「分かっていると思うが、きっと本隊は応援になんて来ないぞ。後で後悔するなよ」
「こうでも言わなきゃ、彼女は最前線を離れませんでしたから……」
ノイシュは剣の柄を強く握り、眼をつむった。本当は自分だって戦いたくない……勇気も恥も全部捨てて、義妹と二人きりで戦場から逃げ出してしまいたい――
「ノイシュ」
不意に名前を呼ばれてノイシュが振り向くと、口許にそっと笑みを浮かべたマクミルがそこにいた。
「お前と一緒に戦えた事……俺は誇りに思うぞ」
隊長が対岸へと視線を向ける姿を見ながら、不意にノイシュは迫り来る敵軍の喚声が大きくなってくるのに気づく。
おそらく向こう岸から、新たな敵陣が迫っているのだろう――
「ノイシュ、君に武運を」
そう言ってマクミルは敵軍に向かって両手を力強く広げた。
圧倒的な兵力差を一人で受け止めようという彼の後ろ姿に、ノイシュは胸から込み上げてくる想いを止められなかった――
「……えぇ、あなたも」
「援護を頼む」
突如としてマクミルが土を躙り、猛進していった。
「はい……ッ」
ノイシュを強く大剣を握り締めながら、術句を紡ぎ始めた――
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手
ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手




