第14話　～あれは、敵軍の大規模術攻撃……ッ～

　グロム河の水面から静かに湧き上がる冷気を肌に感じながら、ノイシュは何とか前方を注視しようと眼を凝らした。

　いつしか周囲の景色は深い藍色となって河の水面や石造りの橋、そして橋上で対峙しているであろう両軍の戦士達を包み込んでいる。

　ノイシュはそっと眼を細めた。

　残念ながらここからでは、最前線をはっきりと視認(しにん)する事ができない――

「……静かですね」

　後方から少女の声が聞こえ、ノイシュが振り向くと不安げな表情で佇むビューレのほか、マクミルや沿岸に配置された数名の戦士達の厳しい表情があった。

「うん……」

　ノイシュは頷きながらも視線を前に戻す。耳元には河のせせらぎだけが響き、不気味な程の静寂が漂う。胸の鼓動がいよいよ高まっていく――

「始まるぞっ」

　不意にマクミルが前に進み出て橋の方を指し示すと、微かに人の声が聞こえてくる。

　韻律を含むそれはやがて数を増やすとともに大きくなっていく――

――術戦士隊による詠唱だ……っ

　次の瞬間、ノイシュは次々と周囲から光が溢れていくのに気づいた。

　周囲の景色が徐々に明るくなっていき、橋梁で今まさに最前線の戦士達が矛を交えようとしているが分かる。

　敵軍は掲げた長槍を振り下ろし、一斉に鋭利な穂先をこちらに向けていた。

　ノイシュは奥歯を噛み締めながらも、前方を凝視し続けた。

　やがて対峙する味方の部隊からも光が輝き出し、武具を地に打ち鳴らす音が周囲に響き渡っていく――

　その途端、膨張し切った空気の爆ぜる様な雄叫びが両陣営から谺《こだま》していくのをノイシュは聞いた。

　瞬く間に両軍の戦士の間で剣閃が次々と煌めき、激しい火花が無数に飛び散った。

　喧噪や悲鳴、慟哭と大喝が絶え間なく耳朶を打ってくる。

　

　ノイシュは思わずうつむいた。

　きっと最前線では槍に身体を貫かれた者が斃れ、まだ息のある者は仲間に後方へと引きずれられているのだろう――

　その時、ノイシュは前方の対岸から巨大な燐光が瞬くのをとらえて顔を上げた。

――あれは、敵軍の大規模術攻撃……ッ

　ノイシュが眼を見開いた途端、敵術士隊の頭上から巨大な黒炎の塊が現出し、すぐさま轟音を上げてリステラ王国軍が陣取る橋頭堡へと迫るのが見えた。

　容赦なく耳朶を打つ轟音に思わず耳を塞ぎながらも視線だけは逸らす事ができない。

　味方の最前線部隊からどよめきや悲鳴の声が漏れ聞こえ、盾を持つ戦士達が次々とその中に身を隠していく――

　直後に後方から激しい煌きがほとばしり、とっさにノイシュは顔を向けた。

　大神官ヨハネスが率いる術士部隊から発せられた煌めきだとすぐに気づく。

　その上空には青白い輝きを伴う巨大な光の玉がそびえているのが遠くからでも分かった。

　不意に光の玉が収縮し、無数に分裂していく――

　周囲へと広がる劈《つんざ》く甲高い不協和音にノイシュは眼を細めた。

　やがて眼前の光玉は放電弾へと姿を変えていき、次々と敵の放った炎魔へと|殺到していく。

　次の刹那、双方の術連携が激突した。

　突如として旋風が巻き起こり、離れた河畔に佇むこちらにまで吹き荒んできてノイシュは煽られながらも身を屈めた。

　凄まじい閃耀にとても眼を開けていられない。

　耳を聾する轟音と周囲から漏れ聞こえる悲鳴が|狂騒し合い、背筋が粟立つのを禁じ得ない――

「アアアァぁァ……ッ」

　不意にすぐ後ろから絶叫が響き、ノイシュは両眼を閉じながらも振り向いた。

「めっ、眼が、眼がッ」

　その声でビューレだと気づく。

　どうやらあの眩耀(げんよう)を直視してしまったらしい。

　とっさにノイシュは腕を伸ばすものの、その身に触れた直後、彼女に強く手を弾かれる――

――ビューレ……ッ

　ノイシュは奥歯を噛むと、思い切り腕を伸ばすともう一度彼女に触れた。細く柔らかい感触が五指に伝わっていく。彼女の肩口だろうか――

「ビューレ、僕だよっ、落ち着いてッ」

　なおも修道士の少女は身体を震わせていたが、今度は拒絶してこなかった。

　次第に耳を聾する激音が収まっていくとともに瞼の奥が徐々に暗転していく。

　どうやら助かったみたいだった。ノイシュがゆっくりと眼を開けると、戦慄きながらもこちらの腕を強く握り返している少女が目の前にいた――

「ビューレ、もう大丈夫だよ……」

　ノイシュがそう言葉を告げると、顔に青痣のある少女がゆっくりとこちらへと振り向いた。

　彼女はしばらくこちらを見据えていたが、やがて静かに頷いていく。

　ノイシュは眼を細めてその姿を見すえた。

　これ程の大規模術を目の当たりにすれば、きっと当然の反応だろう――

「二人とも、平気か」

　不意に離れたところからマクミルの声が届き、ノイシュは頷いた。

　視界には未だ青黒い光の残滓がこびりついている。

　前にも術連携の攻撃を受けた事があったが、今のはあの時と比較にならない程の圧倒的な集団攻撃だった――

「どうやら、敵軍の方が損害を受けた様だな」

マクミルの声にノイシュが戦場へと目を向けると、消えゆく微光が最前線の様子をほのかに映し出している。

　そこでは再び戦士達による戦列同士の激突が始まっており、足下には放電弾を浴びて黒く焼け焦げた敵戦士達の遺骸が散らばっていた。

　ノイシュは思わず眼を細めて胸中で彼らを哀悼しながらも、戦局はこちらが優勢であることを実感する。

　でも――

――でも、術士隊の兵力はこちらの方が劣るはず……にも関わらず、こちらの攻撃が優勢だった――

　思わずノイシュは小さくうなだれた。

――つまり、圧倒的な霊力を誇るヨハネス大神官を中心とした術連携だったということか――

　ノイシュは奥歯を噛み締めながら顔を上げると、橋頭堡の更に後方で集結している修道服の集団を見据えた。

　おそらく、そこに大神官ヨハネスがいるのだろう――

――たった一人で百人大隊の霊力を宿すとさえ言われる大神官が加われば、その兵力差さえも覆すことができるわけで……この戦い、何とかいけるかもしれない――

　不意に両岸から再び詠唱が湧き上がっていくのを聞き、ノイシュは眼を細めた。互いの攻撃術による応酬は、きっとどちらかが壊滅するまで続くのだろう。忌まわしき消耗戦が、戦いの趨勢を決めるまで――

「こちらに回復術士はおられますかッ」