第1話 ~一人の従軍司祭の死~
遥か彼方の世界に存在するイアヌ大陸……そこでは人の身体に内在する魂から霊力を引き出し、術を発現する者達が現れた。
その中でも特に高位な魂を持つ人々は【大神官】と呼ばれ、大陸にある七国の王と並ぶ権力を持つにいたる。
その大神官達が七王国を監督統治する【連合王国】時代では千年以上にわたり大陸で繁栄が続いた。
しかし、その平和も突如として終わりを告げる事になる。
とある王国の王位継承問題に大神官達が次々と介入することで起きた【大陸大動乱】により、ついに連合王国は分裂したのだ。
その後も七王国は、互いの領土を奪うべく幾百年にも渡り戦乱が続いた。
次第に各国とも国中の術者を動員して戦わせる総力戦の様相を呈していき、至る所で人々の死と飢餓があふれることになる。
辺境の小国リステラ王国も例外ではなく、隣国レポグント王国とその存亡をかけた争いを繰り広げていく――
オドリックは長刺剣を握りながら丘陵に視線を送った。
視線に映ったのは暗い天空をまばゆく照らす様な金糸の軍旗であり、その中央には黒色の獅子が綴られている――
――レポグント軍……ッ
その光景にオドリックは身震いを覚えた。
レポグントの軍旗は風を受けて激しくなびき、まるで本物の獅子達がこちらへと駆けてくる様だった。
その許には敵軍の本隊が整然と隊列を組み、槍で地を叩きながら一斉にこちらへと迫ってくる。
いや、決してその隊列だけではない。
周囲では敵味方とも数多の戦士達が大地を駈け抜け、対峙した者同士が剣を振るっている――
「――隊長ッ、オドリック隊長……ッ」
不意に自らの名を呼ばれ、顔を向けると鱗状の甲冑で固めた男がすぐ傍に立っていた――
――ヴィンテか……っ
オドリックは両眼を細めた。その副官はすでに老境に入っているものの、いまだ彼の筋骨は逞しく力に溢れている――
「――隊長っ、味方の左陣が脇から崩れそうです……ッ」
そう告げながら、緊張した面持ちの副官が前方を指し示していく。
つられる様に視線を向けると、そこでは縦列陣形を敷いたレポグント軍と自軍の前線部隊が激突していた。
突如として最前線の喧噪を意識が拾い、激しく耳朶を打つ。
両軍のけたたましい叫び声、絶えず打ち鳴らされる剣戟と飛び散る火花――
――ダメだっ、押し切られる……っ
オドリックはゆっくりと奥歯を噛み締めた。意気盛んな様子の敵軍と比して、味方の戦士達の動きは鈍い。
その隊列も乱れ始めており、予備兵の援護さえ間に合いそうもなかった。
ならば自分達が、向かうしかない――
「――我が術戦士隊よ、敏捷増強術を詠唱せよっ」
そう言葉を発すると、素早くオドリックは術式を口ずみながら後方へと振り返った。
そこには隊列を組む二十人程の精悍な戦士達がおり、彼等もまた次々と詠唱を始めている。
これまで数々の戦役をともにくぐりぬけてきた部下達だ。
オドリックは己の体内から霊力が高まっていくのを感じながらも、更に術句を紡いでいく。
次第に自らの身体を薄い黄色の輝きが包み始める――
「――次っ、筋力増強術の詠唱を開始ッ」
すかさず次の指示を飛ばすと、先程とは異なる術式を組み始める。
手勢の部隊からも一斉に大詠唱が湧き起こり、今度は紫色の光が隊内に広がっていく――
――このユンバース丘陵を敵軍に越えられたら、我らリステラ王国の都メイを守るのはバーヒャルト城塞のみとなる。ここで敗れる訳には絶対にいかないっ……
「目標、前方の友軍左翼っ、私に続けッ」
そう声を張り上げると、オドリックは黒い僧服を翻しながら真っ先に最前線へと疾走した。
視界の先では既に敵戦士の数人が味方隊列の一角へとなだれ込み、分断しているのを視認する。
オドリックは瞬く間にその距離を縮めると敵戦士のうち一人へと狙いを定め、長刺剣の握る手を大きく引いた。
こちらの接近に気づいた敵戦士もまた剣を構え、その攻撃を受け流そうとするのが分かるーー
「――はああぁぁッ」
気合いを発しながらオドリックは長剣を素早く突き出した。
既に術の輝きは消失しているものの長刺剣が異様な唸りを上げていく。
その刀身は敵戦士の武具を瞬く間に折り曲げ、その胸骨をも穿っていった。
そのまま相手を組み伏せながらオドリックは彼の背中に達するまで剣先を刺し込んでいく――
「う……がぁ……っ――」
やがて敵戦士の瞳孔が剥いていくのを視認すると、オドリックは素早く剣を引き抜いた。
噴き出た返り血でその身を濡らしながら、そっと両眼を細める――
――願わくば彼の魂に、永遠の安らぎを……っ
「――隊長、危ないッ」
聞き覚えのある声を耳にした直後、自分の前へと躍り出るヴィンテの姿を視認した。
彼は両手で握った戦斧を大きく薙ぎ払うと、自分の脇にいた敵戦士の頭蓋を宙へと吹き飛ばしていく――
「――オドリック隊長をお守りしろッ」
大斧を構え直した副官が叫んだ直後、部下の戦士達が次々と破られた隊列の一角へと殺到してその隙間を埋めていく。
こちらの援護に勇気づけられたのか、他の予備兵達も歓声を上げながら隊列を立て直していく。
――何とかなったか……っ
自軍の状況を見届けると、オドリックは思わず小さく息をついた。
ふと誰かの視線を感じ、視線を向ける。そこにはヴィンテがおり、こちらを睨んでいるのが分かった。
おそらく自分が戦闘中にも関わらず、鎮魂の黙祷をした事が気に入らないのだろう。
しかし死者に対して自分は戦士ではなく、あくまで司祭でいたい――
「……ッ」
不意にオドリックは激しく身体を震わせた。何故かは分からない、だが……確かに何かを感じた――
――これは、一体……っ
次の瞬間、どこからか激しい閃光が放たれるのをオドリックはとらえた。
視界が純白に染まっていき思わず両手で顔をかばう。
それでも何とか光源をさぐると、遥か後方の敵陣に人影を視認した。
それは修道服姿の集団と、彼等の先頭に立つ法衣らしきものをまとった人影だった。
最前線の戦士達は皆が一様に動きを止め、そのてん末を注視している――
「じゅっ、術連携だッ」
誰かが絶叫するや、戦士達の表情が瞬く間に緊張したものへと変わっていく。
思わずオドリックが額の汗を拭った時、ふと周囲の温度が一気に上昇していることに気づいた――
――まさかッ……っ
たまらずにオドリックは戦慄した。
大気の温度はみるみる上昇していき、やがて周囲の戦士達からうめく様に水を求める声が湧き起こる――
「オドリック……隊長、これ……は……っ」
呼吸しづらそうに喉に手を当てたヴィンテが、驚愕と恐怖を混ぜた表情を向けてきた。灼けた空気に喉奥をやられたか――
「……間違いない、敵術士隊による術連携だ……ッ」
そう言葉を発しながら、オドリックは自らの声が震えているのに気づく――
「――先ほどの閃光を見たであろう。彼らは互いの霊力が結合し合い、巨大化しているのだ。たぶんこの一帯の温度を急上昇させて――」
そこまで告げると、オドリックは唇を噛んだ。死への恐怖で自らの胸の鼓動が驚くほど速まっている――
――きっと彼らは、ここにいる全員を灼き尽くすつもりだ……ッ
「そんなっ……」
ヴィンテの絶望した様な声が耳に届き、オドリックは周囲を見やった。
熱気の上昇は留まることを知らず、戦士達がますます苦しみ悶えていく。
それは部下や味方だけでなく、敵戦士達も同様だった――
――神よっ、こんな事が許されるのですか……ッ
オドリックは激しくかぶりを振った。やがて外気温は人の耐えうる限度を超えていき、次第に周囲から何かが焦げた臭いが漂う。
もはや敵味方の区別なくどの戦士達も熱いッ、助けてくれッ、と絶叫し、のたうちまわっている――
――ノイシュ、ミネア……ッ
自らの身体が焦げていく臭いを嗅ぎながら、オドリックは強く両眼を閉じた。
脳裏に年若い少年少女の姿が浮かぶ。それは自分が戦地へと赴く際、故郷に置いてきてしまった子供達だった。
もしも自分が死んでしまったら、今度は彼らが召集されるはずだ。
まだ若い彼等が術戦士として、いったいどんな運命を辿るというのだろうか――
――すまない、二人とも……っ
オドリックは不意に瞼が熱くなるのを感じた。それは決して敵の攻撃ではない、内なる魂から生じた想いによるものだった――
――たとえ父がいなくても、義兄妹で力を合わせて強く生きるんだぞっ……
オドリックは膝から崩れ落ちた。耳元にも誰かが倒れていく音が次々と聞こえる。
そしてオドッ、という副官の低い声と倒れ込む音が聞こえた瞬間、自らの視界が暗転したのに気づく。
自分の身体が燃えていく疼痛も聴覚も次々と意識から消えていき、全てが闇に包まれていった――
~登場人物~
オドリック・ルンハイト……ノイシュの父親であり、ミネアの義父。従軍司祭かつ中隊を預かる隊長。術戦士。男性。増強術という支援術の使い手
ヴィンテ……オドリックが統率する中隊の副官。術戦士。男性。増強術という支援術の使い手




