理想国家に至らずとも……
◆
議場の中に入ると、俺はすぐに右側へ向かった。
議場は広く、白い大理石の床がピカピカと光っている。それはもう、ヴェンゼロスの禿頭と同じ位ピカピカだ。
形は一見すると扇形で、正面の議長席を要として半円形を描く様に一般議員の席が広がっていた。
席の並びはあからさまな派閥の通り。右から左へ向かってロサ、サーペンス、ペガサス、レオと、各家に属する者が座る形だ。
雰囲気は日本で例えるなら、国会議事堂の議場が一番近いだろうか。
国会なら議長席に当たる場所に皇帝の席があり、その席を左右から挟む形で二名の執政官の席が並んでいる。
それら三つの席を中心として、閣僚達の席が左右に広がっていた。
また、皇帝の席の直上に総大司教の席がある。
これは宗教的序列と実務権力のバランスを取った結果なのであろう。
議会における発言権を有さないからこそ、総大司教は皇帝を見下ろすことが出来るのだ。
しかし発言権を有さない総大司教が元老院へ顔を出す意味は少ない。従って彼がこの場所へ来る事は、非常に稀なのである。
ちなみに俺はロサ家の末席なので右側最後列の席に座り、皇帝陛下の登院を待っている。
今日は初日だから総大司教が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
どちらにしろ襲撃があるとしたら、総大司教がいる時だと俺は考えているが……。
「ふぁ〜〜あ……暇だな」
開会の時間までは、まだ三十分近くある。
俺が時間よりも早く登院したのは下っ端だからという理由もあるが、周囲の状況をよく観察したいからだ。
誰が何処に座るのか――頭の中に叩き込んでおきたい。
そうすれば事が起きたとき、誰がどのように移動したかが分かりやすいからだ。
とはいえ――辺りを軽く見渡したけれど、随分と緊張感の無い顔ぶれが並んでいた。所詮は後列に並ぶ貴族など、元老院議員と云えども下っ端に過ぎないのだ。
彼等は自身の理想を掲げた所で実現出来る見込みも無いし、やれることは大貴族におべっかを使うくらい。
そうして領地に公共事業などを斡旋して貰い、甘い汁を吸って老後の蓄えと為すのが関の山とくれば……まあ、緊張感を欠いても当然か。
そんな彼等が水面下で渦巻く陰謀に気付くことなど、有り得ないだろう。
……などと考えていたら、ポンポンと軽く肩を叩かれた。
「やあ、黒狼」
こんな場所で俺に声を掛けてくる知人など、いないはずだが……。
しかし声を掛けられれば仕方が無い。俺は眉根を寄せながらも、ちゃんと振り返った。
「……そう恐い顔をするな。私と君の仲だろう」
何ということか。
そこには、にこやかに笑うクロヴィス・アルヴィヌスが肩を竦めて立っていた。
相変わらずイケメンで、不愉快なほど品性が溢れている。
ガブリエラだってユリアヌス皇子ではなくこっちに迫られたら、少しは揺れるかも知れないな。
まあ、ディアナはまったく揺れなかったけれど……。
というか私と君の仲とは何だろう?
以前、賢者の学院で争い、結果として痛み分けに終ったから……もしかして「強敵」と書いて「とも」と読んじゃう関係に進化したとか?
そんなバカな。
俺は拳法の達人じゃあ無いし、強敵はあくまでも強敵のまま屠る派なのだ。
しかし、ここで正面から敵対する愚は理解している。
キチンと立ち上がり、俺は挨拶をした。
「やあ、クロヴィス・アルヴィヌス伯爵」
振り返った俺に右手を差し出し、握手を求める伯爵閣下。
だが俺――握手はちょっと……と思った。
嫌いな人が相手でもきちんと握手出来る人も多いが、俺は違うのだ。
その代わり俺はクロヴィスを徐に抱き寄せると、彼のお尻を撫でまわした。
そりゃもう撫でて、撫でて、撫でぇぇええる。
「お、お、おい! 何をするッ!? ファッ!?」
「え? クロヴィス卿と私の仲って、こんな感じだったような気がしたんですけど?」
「ち、違う! 断じて違うぞ、黒狼! 私に男色の気は無いッ!」
「おっかしいなぁ〜〜だったら他人じゃあないですかぁ〜〜?」
「なんだ、その他人か恋人か――みたいな狂った人間関係の枠組みはッ!?」
「じゃあ、やっぱり恋人? うふ♪」
「き、気持ち悪いぞ……も、も、もしかして君が私とディアナの仲をじゃまするのは、わ、わ、私に気があるからなのか!? い、いや――そうならそうと言ってくれれば、私としてもキチンと……だな……」
冷や汗を浮かべ後ずさりしようとするクロヴィスの顔を見て、俺はニヤリと笑って見せた。
「ふん――ディアナの事を、まだ忘れていないようですね。懲りない人だ」
そんな俺の隣には、いつの間にか球体に近い少年が立っていて――「ぷくくくく!」と笑っている。
「やっぱりオマエ面白いアルな! さすがはクロヴィスさまの好敵手アル!」
「あ、こら! リー! そんなことを言ったら私が彼をどう思っているか、バレてしまうではないかッ!」
何だろう。クロヴィスがめちゃくちゃ焦っている。
しかも“好敵手”って言われて顔を赤らめちゃって……。
いやまあ、確かに俺もクロヴィスのことは警戒しているけれども……。
案外こいつ……間抜けなヤツなのかな?
何だが逆に、ガッカリ感があるんだが……。
俺はクロヴィスのお尻から手を離し――確かこの小さいのはリー・シェロンと言ったはずだけど――に会釈をした。それと同時に手をパッパッと払う。
やはり男のお尻を揉むのは気持ち悪いし、ぜんぜん楽しく無かった。
「好敵手かどうかはともかく、少なくとも親し気に声を掛け合う関係では無いでしょう。私は、そう認識していましたよ、リー・シェロン」
「わ! オイラのことも覚えてたアルか!?」
リーがピョンと飛び上がって、驚いている。
クロヴィスは唇の端を吊り上げて、皮肉っぽく笑いながら言った。
「ま、そう言うな……以前の事はお互い水に流そうじゃあないか。君はロサ家の庇護下に入る訳だし、私はロサ家の直系――となれば君とて私と仲良くして、損はあるまい?」
「水に流したからこそ、お互いに不干渉を貫いていたのでは? それに人を一人殺しておきながら、有耶無耶にしようという人と仲良くするのは、少々恐いのでね」
「アレクシオス――……ペトルス・イーラと云う男は、生かしておいたとて何の役にも立たぬよ。それどころか、いずれは問題を起こしただろう。
例えば――ディアナを攫い、我がモノに出来ぬとあらば殺めるようなことも平気でする。そういう男だったのだ」
「それを事前に阻止したと? だから自分は正義だと言いたい訳ですか?」
「――そうだ」
「正義の押しつけは悪にも悖る」
「そういう理屈を言う君こそ、正義の押しつけでは無いのかね?」
「まさか――私は自分自身が悪だと知っている。軍人などと云う人種は、勝っても負けても人を殺しますからね。
それより、あなたは何の根拠があって彼――ペトルス・イーラを裁いたのですか? 結局のところ――あなたの意にそぐわなかったから消しただけのことでしょう?」
「心外だな――本当に私がそんな人間であれば、アレクシオス――君とて既にこの世の人では無いと思うがね」
「――あなたは私に利用価値を見出している。だから消さないだけでしょう。それに私には牙がある。容易くは消されませんよ」
「では言い換えよう――ペトルス・イーラは私を脅かす牙を持たなかった。故に私に噛み殺されただけのことだ――……」
「本心でしょうね――けれど言い方はどうあれ、あなたは嫉妬しただけだ」
「……嫉妬か。まあ、それも真実であろう。下衆に……ディアナ・カミルという黒曜石は相応しく無い。そう思う事が嫉妬と言うなら、そうだろう――だが私は、君をディアナと同じくらいに欲している。だから君がディアナに近づいても、殺そうとは思わないんだ」
この辺で折れることにした。
場所的にアウェイだし、この口喧嘩に勝利しても何の意味も無い。
それにクロヴィスの言い分も、まったくの嘘とは思えなかった。
「認めましょう、あなたはただの狂人じゃあないと」
「まったく――黒狼は恐いな。だけどリーの前で、よくもそんな大口が叩けるね。彼がその気になれば、君を一捻りに出来るというのに」
苦笑して、肩を竦めながらクロヴィスが言う。
俺は笑ってリーを見つめ、聞いてみた。
「リー・シェロン。君は私を一捻りに出来るかい?」
リーは俺の足下にある影を睨むと、薄い眉を八の字にした。
それから首との境目が分からない頭部を、ゆっくりと左右に振る。
「無理アルね――オマエを捻る前に、暗殺者に刺し殺されるアル」
ズズズ――……。
俺の影から黒い覆面を被った少女がユラリ――。
鋭い眼光は赤く光り、音も無く彼女はリーシェロンの前に立つ。
言うまでも無くリナ・ハーベストだ。
「流石は昇竜族です。気付かれているとは思いませんでした」
「という訳アル。クロヴィスさまには申し訳ないアルけど、ちょっと毒とか使う暗殺者トカ恐いネ! ここは一つゴメンナサイして黒狼と仲直りすべきアルヨ!」
ビシリと言う丸い少年は、腕組みをしてウンウンと頷いていた。
一方リナは俺の肩に乗り耳に口を寄せ、こう言っている。
「戦えば、良くて互角と言ったところです。場所も場所ですし、最悪の事態は避けるべきかと存じますが……」
だ、そうだ。
というか肩に乗るな――まるで俺が巨人みたいじゃあないか。
まあいい……もともと武力衝突するつもりなんて無いし。
俺は肩を竦め……全く気乗りしないがクロヴィスと握手をした。
「君が利口な男で助かった――ようこそ、我らがロサへ。歓迎する」
微笑みを浮かべるクロヴィスから、害意は感じない。
むしろ本心から俺を歓迎しているのだろう。
もちろんそれは、俺が彼の有力な手駒となることが前提のはずだが。
それにしても今の会話で分かった事は、やはりクロヴィスが目的の為なら手段を選ばない男だという事実。しかもロサ家という強力な後ろ盾があり、本人の能力も高い。
さらにリー・シェロンという忠臣も存在する。
見た所コイツは、クロヴィスの為なら命も投げ出すだろう。そんな部下が幾人もいたら、非常に厄介だ。
今回の件でクロヴィスの尻尾を掴めれば、完膚なきまでに叩き潰せるのだけれど……。
などと考えながら、会話を進めてみる。
「……よろしく」
「随分とそっけないね。今や私と君は味方同士だというのに。今後は、もう少し仲良くしようじゃないか」
クロヴィスが俺の肩をポンポンと叩く。
「人見知りなのでね、申し訳ありませんが」
「ははっ――ならばこれから知ってもらおう。まずは近づきの印に、アレクシオスと呼ばせてもらってもいいかな?」
「どうぞ、ご自由に」
「では私のことも遠慮なく、クロちゃん――と呼んでくれたまえ」
「クロちゃん?」
思わず、太っちょで口髭の生えたギャル好きゲス人間を想像して固まる俺。
それに動揺したのか、クロヴィスが誤摩化す様に片目を閉じて舌を出す。
「てへぺろ」
イケメンでも似合わない動作をすると、案外気持ち悪いらしい。
仕方が無いので無視して再び席に着くと、クロヴィスも俺の隣に座る。
そして何事も無かったかのように話を変えて、彼は微笑んだ。
「渾身の冗談を、無視しないでくれたまえ」
「力の入れどころを間違えていると、無言で伝えたつもりです」
「……手厳しいね」
「良薬は口に苦し――と申しますから」
「……ふむ。確かにアレクシオスは苦そうだ」
クロヴィスが顎に指を当て、幾度か頷いている。
「ところで、ディアナは元気かい?」
「ええ、元気ですよ。マーモスの統治を良く手伝ってくれています」
「……聞く所によると、魔術によって汚染された土地を浄化し、さらに発展させたとか」
「はい――回復の魔術を応用すれば、土壌を変化させることも可能だとかで。来年からは様々な作物も収穫出来そうです」
この話を聞いたクロヴィスは大きく頷いて、神に祈る様に両手を組む。
そう言えば彼は、聖職者の身分も持っていたはずだ。確か大司祭だったか……。
「知っているかい、アレクシオス。かつて土壌変化は神の奇跡と呼ばれていたのだ――いや――もっと言えば回復魔法そのものが、神の御業と言われていた。正確に言えば、今だってそう言われている」
「知っていますよ。これでも修道院で育ってますからね」
「ほう? それはつまり――君が孤児だったということかな?」
意外そうに目を見開いて、クロヴィスが驚いている。
お陰で話が妙な方向に逸れた。
「ええ、まあ――父を戦争で亡くしましてね。どこにでもある話ですが」
「そうか、それは……気の毒に。本来ならば我ら貴族が率先して、君を援助せねばならなかったのにな……今の我が国は……そんなことすら神に責任を押し付ける始末だ。神など――いや――これは今の私が言って良い言葉ではないが」
どこか沈鬱な面持ちで、クロヴィスは吐き捨てるように言った。
正直、意外な反応である。
「いやまあ、それでもここまで育ったので」
「それは君の努力の賜物だろう。本来であれば、社会が助けねばならぬ案件であったのに」
「助かっていますよ――修道院がありましたからね」
「……すまない」
「なぜ、謝るのです」
「リーも……孤児だったのだ。その辛さは、幾度となく聞いた」
もう一人の孤児だった男は俺達の会話に飽きたのか、鼻くそを丸めて近くの椅子に擦り付けている。
ときおり床に鼻くそを付けようとして“ビクン”としているのはきっと、水面下でリナと戦っているからだろう。
孤児は一般的に、下品になりやすいのだ。俺と共に育った仲間達も、よく鼻くそを投げ合っていた……。
「それで心を痛められたのなら、ご立派だと思います」
「それだけでは無い――君達が修道院で暮らしている頃、私は賢者の学院で温々と魔術を学んでいた」
「それは身分の差ですし、仕方が無いでしょう」
「だからこそ、私は先頭に立たねばならないのだよ。そして世を変えねばならぬと思っている……私はね、アレクシオス。戦無き世を作りたいと思っているのだ」
「それは……立派な理想だと思いますよ」
皮肉を込めて、言ってみた。
この世界のみならず地球でも、何千年何万年掛かってさえ誰もなし得なかった理想だ。そんなものを一代で為そうなど、夢物語に過ぎない。
これだから貴族というヤツは、無能でも有能でも始末が悪いのだ。
「なぜ戦が無くならないか、君は考えたことがあるかね?」
「人の欲が留まるところを知らず、互いに主義主張を押し付け合い、尊重しないからでしょう」
「ふむ――それも一つの真理だろう。しかし私はね、こう考えているのだ。増え過ぎた人は、常に大いなる力によって淘汰されるのだ――と」
「それはまた、総大司教のご子息とは思えぬご発言――あ、いや失礼――甥御でしたか」
「子息だと、皆にバレている。それに私は“大いなる意思”とは言ったが、神とは言っていないぞ」
ニヤリと笑って、クロヴィスが話を続けた。
「その――大いなる力による淘汰は、何も戦争だけではない。或は疫病であり飢餓であり、自然災害であったりもする。
しかしながら人類には、これに対抗する術があるのだ。それこそが魔術だと、私は考えている」
「まさかそれで、ディアナの論文を?」
俺の質問に対しクロヴィスは、首を横に振った。
「勘違いしないで欲しい――あの論文を狙ったのは父だ。父と私は違う」
「どういうことです?」
「父はヨハネス教の総大司教だ。よって教義に反する思想――だがその一方で、世の真なる理を記してしまったディアナの論文を消し去りたいと考えている。
しかし私は――私の目的は魔導王国を築くこと。つまりディアナの論文を解放し、世に遍く魔導の恩恵を齎したいと考えているのだ。
――分かるか? だからこそ私は、ディアナ・カミルを必要としている」
クロヴィスは悪戯っぽく笑い、冗談とも本気とも見分けの付かない口調で言った。
真意を探ろうと思った時、ようやく皇帝の入来を告げる鐘が鳴り……。
俺とクロヴィスは揃って起立し、皇帝を迎えたのである。
「魔導王国……」
クロヴィスの言を反芻して、俺は少し考えた。
つまり彼は理想郷を作ろうとして、今のアルカディウス帝国を破壊しようとしているのか。
悔しいけれど彼の中に一辺だけど正しさがあることを、俺は認めざるを得なかった。
確かに魔導を使って世界平和を目指した者は、古今東西どちらの世界でもいない。
そこに僅かでも可能性があるのなら、“魔導王国”を築くことは人類にとって大きな意味を持つだろう。
けれど自分は主義主張ではなく、人々の為ですら無く。
ただガブリエラ・レオという一個人の為に、今は戦っている。
“魔導王国”を創ることでディアナが不幸になるのなら、彼女をクロヴィスには絶対に渡したく無いとも思ってしまう。
その結果が、たとえ人類の進歩を遅らせることになろうとも。
その結果が、餓死や疫病や戦を無くす事に繋がらないとしても。
俺は人類の未来より、多分きっと友人達の幸せそうな笑顔を見ていたいのだ。
そう思って、もう一度覚悟を決めた。




