海域の覇者 4
◆
ヴェンゼロスは禿頭を撫でながら、牢の中でむくれるゼロスに椀を差し入れた。
格子の下には、椀を入れるくらいの隙間がある。
「食えよ」
「いらねぇ」
「そう言うな。昨日も食ってねぇんだろ?」
「うるせぇ」
「食わねぇと、死ぬぞ」
「……かまわねぇよ。もう、アレクシオスさまに合わす顔がねぇ。死んだ方がマシだ」
「ほう……お前……義理立てなんぞしてたのか?」
「ったりめぇだ! 恩知らずのテメェとは違うんだ」
「なら、良かったな。あの方、お前を引き取りに来るってよ」
「バカなッ! ……そんなの、殺されに来るようなモンじゃねぇかッ!」
ゼロスが両手で格子を掴み、揺らした。
しかし、岩に組み込まれた金属の骨組みはガシャガシャと音を立てるだけ。彼は己の無力さを嘆き、下唇を噛んで血を流している。
「でもま……だから、お前の身は安全だ」
「……おい、ヴェンゼロス。さっさと俺を殺しやがれ!」
「おいおい――大切な人質を、殺すバカが何処にいる」
「――くそッ!」
ゼロスは格子を殴りつけ、どっかりと座り込む。やり場の無い怒りに、髪を掻きむしっていた。
「まあ、聞けや、ゼロス坊。俺ぁよ……あの方が無策で、ここに来るとは思えねぇんだ」
無精に延びた顎髭をしごき、ヴェンゼロスが笑う。その顔は、悪戯小僧がそのまま大人になったかのようだ。
「……どういうことだ?」
「さあなぁ? ただ、お前よ……あの方が簡単にくたばる様なタマだと思うか?」
「……そんなワケねぇ。アレクシオスさまは、いずれ天下を取るお方だ」
「だろう?」
ゼロスは腕を組み、天井を見上げて「うーん」と唸る。そしてニカッと笑った。
「ヴェンゼロス――やっぱり俺、メシ食うよ。死んじゃあ、将軍になれねぇからよ!」
「お前、あの方の将軍になりてぇのか?」
「ったりめぇだ! 俺ぁよ、こんなチンケな海で海賊なんぞ、やってる場合じゃねぇんだ!」
“ぐぅ”と鳴る腹を押さえ、ゼロスは地面に置かれた椀に手を伸ばす。
ヴェンゼロスから貰った椀の中身は、魚肉と野菜の入った粥だ。中身を匙で掬うと、ゼロスはゆっくり咀嚼した。
そして、彼は夢想する。
帝国の主となったアレクシオスと、臣下である自身の姿を。
夢の中でゼロスは大艦隊を率い、帝国の為に四海を制する。
そして群臣の前でアレクシオスに褒められるのだ。そしてナナを妻にし、大きな宮殿を賜って――と、妄想が加速した。
「デヘヘ……ナナによぉ〜お風呂にしますか、それとも私? なんて言われちゃったりしてよぉ〜」
「おい――ゼロス。匙はちゃんと口に運べ。貴重な食料を無駄にするんじゃねぇよ」
「お、おお? それよりヴェンゼロス。アンタ、なんでアレクシオスさまに叛いたんだよ……今でも『あの方』なんて呼びやがって、意味が分かんねぇ」
「あ? そんなん――テメェにゃ関係ねぇよ」
ヴェンゼロスは空になった椀をゼロスから受け取ると、立ち上がって踵を返す。
港には既に、アレクシオスを迎え撃つべく艦隊が揃っていた。
――――
ヴェンゼロスがアレクシオスに対して叛き、策を弄した理由。
それを理論的に説明することは、不可能だ。
息子くらい年の離れた若造に、手玉に取られて悔しかったから? ――それもある。
マーモス諸島を本当の意味で、手に入れたかったから? ――それもある。
けれど究極的には、どちらでも無かった。
ヴェンゼロスは苦笑する。
アレクシオス・セルジュークは確かに強い。才能だけなら、ガイナス・シグマにも匹敵するだろう。
しかし同時に、脆さがあった。人を信じすぎる。それは将として、致命的だ。いずれそれが、自らの寿命を縮めるだろう。
ヴェンゼロスは歯痒かった。最強の男が、自らを律するなどと……。
魔王の如き知略を持ちながら、海鳥よりも無害でいようとする男。
未だかつて、覇者が善人であったためしなど無い。善人という枷は、邪魔でしか無いのだ。
ただ、己の力を解放すれば良い。それだけで、アレクシオス・セルジュークは帝国の覇者となる。
周りの将も、それに気付いていた。それなのに本人だけが、ボンヤリしているのだ。
百合? なんだそれは?
観葉植物? 食べられるのか?
退役したい? どういう了見だ?
ヴェンゼロスは、すぐに気がついた。
この男に必要なのは、命のやり取りをする敵なのだ、と。
信じた相手に裏切られるなら、それがアレクシオスの心を強くする。
二度と同じ轍は踏むまい。
「強くなれ――もっと、もっとだ」
だから今、ヴェンゼロスはワクワクしていた。
「今度の策は、どうやって破る? アレクシオス・セルジューク」と。
もちろん正直にゼロスを救いに来たら、命まで取るつもりは無い。
帝国に返して、一からやり直せと言うだけだ。
それもまた、良いだろう。あの男に黒星を付ける、最初で最後の男になれるかもしれない。
だが、先ほどのゼロスを見た限り、アレクシオスはまた一段と格を上げたようだ。ならばきっと、この策も破るに違いない。
「この策を破ったら、名実共にアンタがマーモスの支配者だ。そして俺は――アンタが築くだろう輝かしい戦績の一つに、名を刻むこととなる」
ただ、ヴェンゼロスには一つだけ残念なことがあった。
アレクシオスが真の支配者になった姿を、自分は見る事が出来ない。
これだけ叛き戦ったのだから当然、首を切られるだろう。覚悟もしている。
別に命を惜しむ訳ではないが――どうせならアレクシオスが至尊の冠を頂く姿を、見たいと思うのだ。
「ま、そりゃ贅沢な望みってもんさ……」
ヴェンゼロスは禿頭をペチペチと叩きながら、イラペトラ諸島の海賊達と共に船へ乗り込んだ。
――――
「ゼロスなんぞを救いに、本当に来やがったぞ。アレクシオスってヤツは、どこまでお人好しなんだ? それともバカか? わはははッ!」
イラペトラ海賊の旗艦で、小柄な男が大笑している。河を遡上してくる艦隊に、アレクシオスの将旗が翻っているとの報告を受けた為だ。
この男は、マーモス随一の策士と名高いエリティス。もっとも、それは本人が吹聴して回っただけのことで、実際は落とし穴を掘る程度の策しか持ち合わせていない。
だからアレクシオスをおびき寄せ、ニコラオス諸島のトリスタンと共に前後から挟み撃ちにしよう――などと云う策は、彼をひっくり返してみた所で、どんなポケットからも出てこないだろう。
実際に今回の策も、ヴェンゼロスが考えたものである。
とはいえ、エリティスにも取り柄はあった。艦隊運用が巧みなのだ。
イラペトラ島の中心にあるザッカールの港は、長い河を遡った先にある。河は曲がりくねって、水深の浅い部分もあった。並の船乗りでは、非常に神経を使う河だ。
この港と海を十年来、往来したお陰でエリティスの艦隊運用は本人も気付かぬ間に、熟練の域へ達したのである。
「こうなりゃ、アレクシオス・セルジュークなんぞ袋のネズミよぉ! なぁ、兄弟!」
エリティスは上機嫌で酒瓶を掲げ、ヴェンゼロスの巨体を見上げた。
その目付きは非常に鋭いものであったが、無駄に伸ばしたモミアゲが全体をコミカルな印象に仕上げている。
お陰でエリティスの印象は、誰が見ても「小柄モミアゲのおっさん」だ。
もっとも本人はそれがお気に入りで、「威厳」があると思っているらしく、毎日手入れをしているという。
「ああ、まあな。だが油断するなよ、兄弟」
「大丈夫だァ! 待ち伏せの指揮は、タウロスの兄弟がやってらァ! 万に一つの失敗もねぇぜ!」
「おお、そうかい。なら安心だなぁ、兄弟」
ゼロスは酒瓶をエリティスから貰うと、一息に飲み干した。
再び戻った酒瓶を見て、エリティスは溜め息を吐く。
「まあ、それよりよォ……今度から兄弟は酒、樽で飲んでくれェ……」
◆◆
「来たぞ」
前方に敵艦隊が見える。数は六隻。船の重さを考慮すれば、ほぼ互角の戦力だ。
ヴァレンスは左右の崖を確認して、「フッ……」と笑う。
全て、アレクシオスの予想通りだった。
「来たわねぇ」
アントニアが甲板で、巨漢のお尻を撫でた。ぞぞぞ……と背筋を走る悪寒に耐えて、鮫のヴァレンスが振り返る。
「俺は……そういう趣味じゃないんだが……」
「いいじゃない、硬いこと言わないでよ。あ、むしろ硬くなったかしら?」
ヴァレンスの頬が赤くなる。
全てを否定するには、アントニアが美し過ぎた。
一瞬だけ「いいかも……」と思ったヴァレンスは、己の股間を拳で殴る。「静まれ、俺の哮りよ!」
そして何事も無かったかのように、彼は言った。
「……防戦準備、でいいか?」
「ええ、いいわ。派手に敵を引き付けるわよッ!」
クネっとした動きで、アントニアが右拳を突き上げる。
今、アントニアが率いている艦隊は、五隻。大型の軍艦が二隻と中型艦が三隻だ。
最後尾に、爪牙兵の操る旗艦が位置している。アントニアの乗る艦は、その前にいた。前衛の中型艦三隻とは、やや距離がある。
信号旗で停止を指示し、アントニアは辺りの様子を伺う。
ザワザワと風が木々を揺らし、生暖かい湿った空気が彼の頬を撫でる。
「敵はさぞや、こちらが慌てると思っているのでしょうね」
両岸は切り立った崖で、その先に斜面がある。当然、伏兵がいるはずだ。
「そろそろ来るだろうねぇ……フヒヒ」
ディアナがひょっこり船室から顔を出し、左右の崖に視線を向けていた。
“ビュン、ビュン、ビュン”
崖の両側から、海賊達が顔を覗かせた。
直後、火矢が艦隊の直上に迫る。
降り注ぐ火矢は、やはり旗艦に集中していた。
しかし他の船も、まったくの無傷とはいかない。
兵士達は盾を頭上に翳し、懸命に防いでいた。
「ある程度は消火なさい。旗艦も沈めず――耐えるわよッ!」
アントニアは慌てず、降り掛かる火矢を剣で斬って落とした。それから頬に指を当て、付け加える。
「ああ、でもみんな――それなりに慌てふためいてね」
言うなり彼は一本の火矢を掴み、河へ投げ込んだ。「きゃー、火よ! 火よッ! ふ く へ い よーッ!」
ミネルヴァはアントニアの下手な芝居に呆れつつ、自身も悲鳴を上げる。
「きゃー! てーきよー!」
彼女も大根役者だった。アントニアの演技を呆れて良い技量など、決して無い。
ディアナは面倒になって船室に戻り、ヴァレンスは大盾を担いで火矢を防ぐ。
各艦とも火に対する装備を施してあった。準備万端だ。だから驚く程、防御力が高い。
しかも爪牙兵など不死身の特性から、約一体が炎の中で踊ったりしていた。
「「な、なんだ、こいつら!」」
海賊達が驚くのも、仕方が無い。
ここに至りディアナは止む無く船室から再び現れて、旗艦に火を放った。余りにも余裕があったら、敵が襲って来ないだろう。
「――火の眷属たるエニグマよ、我は請い願う。御身に宿りし猛き炎、その力を貸し与え給え」
ようやく“ゴウ”と勢い良く燃え始めた旗艦を目にし、敵が崖の上で動き始めた。
ディアナはホッと息を吐き、額の汗を軽く拭う。
「まさか消火以外で魔法を使うなんて、思わないよね……」
――――
テオドラは敵の動きを見ながら、イライラと足踏みをしていた。まるで兎のストンピングだ。見ている兵は、少しホッコリとしている。しかし流石に、それを指摘する者はいない。誰も、怒られたくはなかった。
焦れるテオドラが眉を開いたのは、下方からバァッと火の手が上がった時だ。
前方で敵の歓声が上がり、兵達が一斉に降りて行く。
旗艦が激しく燃えている。鎧を着た兵が炎から逃げるように、バラバラと河の中へ降りていた。むろん、鎧と骨の間に浮き袋を付けた爪牙兵だ。
水の中の爪牙兵に、敵の伏兵が討ち掛かる。それを崖の上から眺め、テオドラは唇の端を吊り上げた。
「あと少し……」
河の上流から、敵艦隊が接近している。
作戦だけなら、完璧だとテオドラは笑った。
敵は、後方から味方の艦隊が現れると信じているのだろう。
そして、ここに自分がいることを知らない。
テオドラは、敵を僅かばかり哀れんだ。
アレクシオス・セルジュークと戦えば、誰でもこうなる――そう思った。
「射よッ! 爪牙兵ごとでかまわんッ!」
テオドラの号令一下、五十の兵が一斉に崖の上へと躍り出た。
先ほどまで敵兵がいた場所に、帝国軍旗が翻る。
海賊達は眼前の骸骨におののき、頭上から降り注ぐ矢に狼狽した。
射かける度に敵兵は倒れ、苦痛の呻き声を上げている。
――――
ドムト隊もテオドラに続くが、こちらは厄介な相手がいた。
猫背の大男が、崖の上で下方を見下ろしている。
大半の海賊が下へ降りているのに、何をしているのかとドムトは一瞬だけ考え、そして悟った。
これがアレクシオスの言う、戦場の「肝」なのだ、と。
「おう、てめぇが親玉だな?」
戦斧を肩に、ドムトが自分よりも頭一つ分、背の高い男へ呼びかけた。いや――猫背だから頭二つ分か……。
「……誰ェ? 敵ィ?」
首を傾げた男が、そのまま何かを投げた。
“ギィィン”
ドムトは斧の平で「それ」を受け止め、「ペッ」と唾を吐く。
地に落ちたそれは、液体の塗られた短剣だった。毒と見て間違い無いだろう。
ドムトの部下が、一斉に矢を射かける。前方の敵は、十人に満たない。
しかし全員が手練だった。射かけた全ての矢を、曲刀で斬り落とされてしまう。
白兵戦が開始された。
ドムトは敵と撃ち合うこと三十合。鎧に無数の傷を作り、血も流している。
敵の曲刀が、毒に濡れていることは知っていた。
撃ち合いの中、飛び散る火花の向こうで男が笑っている。
「長持ちだなァ、お前ェ〜クククッ」
男は長い舌をペロリと出して、毒の刃を舐めていた。
「汚ねぇな……これ全部、てめぇの唾なんか? お?」
ドムトの挑発が功を奏したのか、猫背の男の額に血管が浮かぶ。
「てめェ!」
その瞬間、腰に差した短剣をドムトが投げた。男の喉笛に突き刺ささる。
“ヒュー”と空気の抜ける音がして、猫背の男は崩れ落ちた。
倒れた男の名は、タウロス。エリティスの義弟で、イラペトラ最強と呼ばれる男だった。
「ふん――軽装歩兵なめんなよッ!」
こうして両岸を制圧した帝国軍は見事、敵の奇襲作戦を無効化したのである。




