アレクシオスの野望
◆
「アレク! アレク! 恭弥ーっ!」
ディアナ・カミルは自分の叫び声を聞きながらも、自らの心情が理解できなかった。
敵が現れたことは分かる、では戦おうか――そう考えていた矢先だ。
崖の上から矢を射かけられたことは分かっていたが、そんなものはアレクシオスと離れる理由にならない。
アレクシオス――恭弥とは、もう二度と離れまいと決意をしていたのだ。
それなのにミネルヴァは、駆け始めた馬を止めようともしない。
「ボクは降りるっ!」
馬から飛び降りようするディアナを、ミネルヴァが慌てて止める。同時に彼女は崖の上から降り注ぐ矢を、風の魔法で払っていた。
「落ち着くのよ、ディアナ。アレクシオスさまの行動を無駄にしないで」
「なんでさ……敵に捕まったって、ボクは構わない。何をされたって生きてさえいれば……それに三人で戦えば、勝てるかもしれないじゃないか……」
「あなた、魔力を全部使ってしまったでしょう?」
「魔力……魔力なら……まだ……」
確かにディアナの魔力は枯渇していた。
けれど切り札が無い訳ではない。ただ――その場合の結果が予測できないだけだ。
ディアナは下唇を噛み、瞼を閉じる。
親友が一人で、突如現れた兵団を食い止めるという。理由はミネルヴァが女性で、自分も女性だから。
「馬鹿な話だ、ボクが女性だなんて」
ディアナ・カミルは胃の底が燃えるように熱くなった。
「ボクは男だ。アレクだって知ってるだろ……それなのに、ボクを女として扱うの……そんなことされたら……ボク……」
否定しながら、ローブの胸元を掴む。しかし柔らかな肉質の胸が手に触れてしまい、ディアナの心は絶望の淵に沈んだ。
「確かにボクの身体は女の子だけど……でも……」
アレクシオスに女だとみなされることが、ディアナには辛い。けれど同時に、男だと断定されたくもなかった。
相反する想いが去来して、ディアナは頭を振る。意を決して、彼女は叫んだ。
「ミネルヴァ、引き返して! ボクの親友を見捨てるなっ!」
自身が発した「親友」という言葉に小さな違和感を感じながら、ディアナは叫んだ。
「アレクはボクの親友なんだ!」
ディアナが、もう一度叫ぶ。それは自分自身に言い聞かせるようだった。
左右で色の違う目からは、大粒の涙が零れている。
他の誰でもない、絶対に失いたく無い親友――アレクシオス・セルジューク。
――じゃあボクにとってガブリエラは?
――恭弥は最後にボクとガブリエラ、どっちを選ぶの?
――ガブリエラなら、ボクは負けてもいい。
――アレクがボクかガブリエラを選ぶ? どうしてボクはそう思うんだろう? 分からない。
――そんなのは嘘。本当はもう、分かっているんだ。
「……親友……なんだ」
次にディアナの口から出た言葉は、今までと違い弱々しいものだった。
ミネルヴァはそんなディアナの姿を見て、驚愕した。
賢者の学院きっての奇才――死体を愛してやまず、人の心を持ち合わせていないとまで云われるディアナ・カミルが、一人の人間の生死でこうまで取り乱すのか、と。
しかしミネルヴァ自身も、それほど冷静ではいられない。
叫ぶディアナの口を抑え「喋らないで、舌を噛むわ」と伝えた。そして凛とした声を発し、
「私は何があっても、あの方を信じるっ! アレクシオスさまは決して死なないわっ!」
こう言い切った。
今度はミネルヴァの言葉を聞き、ディアナ・カミルが驚愕した。
いや――ミネルヴァの両目から流れる大粒の涙を見て、だろうか。
「ミネルヴァ、キミは港に戻って援軍を呼べば、本当に間に合うと思うかい?」
揺れる馬上で、舌を噛みそうになりながらもディアナが問う。
「アレクシオスさまが援軍を呼べと言ったのよ! あの方の言動に間違いなんてあるはずがないわっ!」
「そうか……そうだよね」
「そうよ、ディアナ。あの方は、どんな不利な状況でも切り抜けるわ」
「わかった……急ごう。今は信じるよ、ミネルヴァ……」
ようやく冷静さを取り戻したディアナ・カミルは、懐から二つの石を取り出した。この石には人の魔臓から抽出した魔力を移植してある。
確かに、ディアナの魔力は尽きていた。これを回復させる為には、睡眠と共に十分な時間が必要だろう。
しかし研究段階ではあるが、この石を触媒とすれば魔法を発動出来るはずだ。
つまりディアナ・カミルは、まだ戦える。
もちろん自分の魔力を使って魔法を発動させる訳ではないので、リスクは高い。
なぜなら現在契約している異界の者は、ディアナの魔力を触媒として力を発動させている。それが別の魔力となれば力を貸してくれるかどうかは不明瞭だし、場合によっては逆鱗に触れる可能性もあるのだ。
そしてディアナは自身と契約を結んでいる者の名を、既に知っていた。
“冥王ディース・パテル”
ヨハネス教において悪魔とされるディース・パテルは、帝国創世神話における神の一柱だ。
しかしこの神が司るものは、死、そのもの。
ディアナの研究によれば、この神の逆鱗に触れた者の末路は悲惨である。
ある者は不死の死人使いとなり一つの街を壊滅させた後、火山に封印された。
火山の中では死ぬ事の出来ない肉体が、今でも溶岩によって常に破壊され続けている。
またある者は不死者にされ、迷宮を作る使命を課せられたという。
その後の消息は不明だが、魔族の国では迷宮が百年に一つ増える、という事実が確認されている。
もっとも、ディース・パテルは話の分からない神ではない。
契約において不正を働かなければ、このような結末は決して齎さなかった。
「だけど、もしも間に合わなかったら……」
ディアナは二つの石を握りしめ、唇を引き結ぶ。
「ボクは世界を許さない」
――――
ディアナとミネルヴァがアイロスに帰り着いたのは、日も沈んで三時間ほどが過ぎた頃。一日早く到着した補給部隊が、港で荷を下ろしている最中だった。
ミネルヴァはことの次第をヴェンゼロスには伝えず、まずは旗艦に戻ってテオドラに報告をした。
ヴェンゼロスを完全に信用するには至っていないことと、兵権を有しているのがテオドラだということが理由である。
「な、な、なっ、なにゆえ閣下に殿などをさせたっ! 何故そのようなことになるのだっ! ええい、くそっ! あの男を呼べっ! 早くっ!」
怒髪天を衝くとはこのことで、テオドラは赤銅色の髪を逆立てて怒り狂った。
報告を受けた自室で卓に置かれた金杯をミネルヴァに投げつけ、書類の束をまき散らしている。
ミネルヴァは軽装だが鎧を着用していた為に怪我をしなかったが、それでも顔を顰めていた。
「お怒りはごもっともですが、ことは急がねばなりません。兵を五十――いえ、三十で構いません。お貸し下さい」
「貴様、奴隷の分際で兵を貸せだと!? 何故もって貴様がアレクシオスさまの盾とならなんだかっ! あのお方こそ私の――いや――妾の未来の夫となろうお方やもしれぬのにっ!」
テオドラの怒りはなおも激しく、剣を抜き放たんばかりの勢いだ。
だが、これでは話が一向に進まない。業を煮やしたディアナが、小さく舌打ちをした。
「何でもいいから兵を動かせ、この馬鹿め。こうしている間にも、アレクの命が危ないんだ。もしも間に合わなかったら、お前達も敵と同罪……滅ぼしてやるぞ……」
ディアナの手の中で、“カチリ”と音がした。魔力を封じ込めた石をぶつけた音だ。
同時に彼女の紅い左目が怪しく輝き、周囲を圧倒する。
ディアナは考えていたのだ、もっとも効果的に敵を排除する方法を。
そして思い至った――たとえ自身の意思を喪失したとしても、神を憑依させれば世界を滅ぼせるのだと。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
「……入れっ!」
ディアナに圧倒されていたテオドラだが、すぐに体裁を整え声を発する。
先ほど呼んだ“あの男”だ。
テオドラとて事の次第を軽視している訳でも、気が動転している訳でもない。成すべき事は成そうとしていた。
扉が開き、一人の男が入ってくる。
それは皆の見知った者であり、完璧な武装を整えた戦士であった。
近衛軍団の百人隊長、レオン・ランガーである。
「レオン卿、どうしてあなたが……?」
ミネルヴァが、驚いたように目を丸くしている。
それもそのはず――近衛隊がこのような場所にいるはずが無いのだ。
「はは……どうも私にとって軍は窮屈なものでした……なので今は、アレクシオスどのに雇って頂いたという次第でして。ま、あの方の私兵ですな。今は二十人程で、輸送船の護衛をしております」
「二十人? それは……」
「むろん、私が鍛え上げた部下達です」
「それは帝国近衛軍団の精鋭――ということですか?」
「ええ、実戦経験の無い精鋭――と揶揄されておりますが」
柔らかな笑みを浮かべ、ミネルヴァの問いに答えるレオンはどこまでも落ち着いている。
「レオン・ランガー、そなたの主が危機である。失職したくなければ港の警備を早々に切り上げ、共にアレクシオスさまの救出へ向かうぞ!」
テオドラが右手を翳して宣言すると、ミネルヴァが「は?」と首を傾げた。
「ここの指揮は?」
「ドムトに任せればよい! ことは一刻を争う! 全員騎馬にて、現地へ向かうぞっ!」
テオドラの号令一下、兵達が動き出す。
こうしてアレクシオス・セルジューク救出の為、私兵二十人と正規兵三十人が動員された。
もちろん一夜明けても戻らない時にはヴェンゼロスを拘束し、状況を確認した上でドムトが二百の兵を率いて動く予定だ。そういったことも、テオドラはきちんと手配していたのである。
「フヒヒ……アレクも人が悪い。私兵なんて切り札、教えてくれなかったじゃないか」
ディアナ・カミルは笑みを浮かべ、二つの石をそっと懐へ戻すのだった。
◆◆
前方から突進してくる二十の騎兵を前に、剣を抜く。
二十人という人数は、この隘路にぴったりだ。
横一線に広がることで、隙間を無くしている。
逆にこちらが二十人以上の軍だとしても、それ以上広げることが出来ない。
こんな時だけど、良い城だと思う。少数で多数を迎撃するには絶好の地形だし。
俺は突進してくる敵の一人に眠りを魔法を使った。中央の青い鎧を着た相手だ。
一瞬、敵の身体がグラリと揺れる。効いたか?
俺も馬を駆り、前進した。双方の馬が互いに走り、交差する。
まるで馬上槍試合をする気分だが、俺は剣だ。しかも直剣なので、とても短い。もっと云えば二十対一だ。もう泣きたい。
何とかすれ違い様、敵の馬の首に刃を突き入れることに成功した。
しかし別の敵から、槍の攻撃を受けている。鎧を着ていたお陰で、大事には至っていないが。
馬首を返して、敵を追う体勢を作った。
もしも奴等がディアナ達を追うつもりなら、背後から襲う。
しかし幸い敵も馬主を廻らし、こちらに向き直った。
青い鎧を着た人物の馬が、前足を折って崩れ落ちたせいでもあるだろう。
アレが指揮官だとすれば、その足を止めることに成功したということだ。
「くそっ、馬をやりやがって! まあいい、コイツだけでも捕らえるぞっ! 囲めっ!」
倒れた馬の頭に槍でトドメの一撃をぶち込みながら、青い鎧の人物が言った。――声が妙に甲高い。
いや、そんなことはどうでもいい。それよりも魔法があまり効いていないようだ。耐性があるとすれば、魔法戦士だろうか。厄介だな。
「はいよ、お頭っ!」
「おうっ!」
「わかってますよ!」
青い鎧の人物に対する返事も、どれもが甲高い。あれ、これ、みんな女性?
それに喋り方が、どうも騎士っぽく無い。盗賊の類だろうか?
そう思っていると、横から槍が繰り出された。
剣で払い、馬を駆けさせてかわす。
ともあれ三百六十度、すべてを囲まれたくはない。
崖の側に馬を寄せ、周囲を警戒する。
頭上に弓を構えた敵がいるが、「捕らえろ」と言っている以上、いきなり矢を放たれることはないはずだ。よっぽど俺が敵を殺しまくれば、話は別だが。
まあ、運良くそれが出来たなら、包囲だって突破して逃げられると思う。
「おのれ、ちょこまかと厄介な位置にっ!」
青い鎧の人物が、徒歩で迫って来る。俺の位置取りが癪に触ったらしい。
どうも相手には、それなりの軍事的な知識があるようだ。
「お前ら、槍を突き付けて包囲しろっ! そいつは中々の使い手だ、無理に近づけば怪我をするぞっ!」
うん、定石だ。なんて感心していたら、すっかり囲まれてしまった。
しかし、まだ余り時間が経っていない。もう少し粘らないと、ディアナ達は二人で馬に乗っているからな……。
しばらく戦っていると、苛立を含んだ声が響いた。
「いい加減に剣を捨て、馬を下りろ! 何なんだ、お前は! どうせさっきの二人を逃がしたかっただけなんだろう!? だったらもう抵抗するな! 迷惑だ! 命まで取ろうって訳じゃない!」
め、迷惑って……なんか違うんじゃないか?
それにしても、どのくらい頑張っただろう。もうすっかり日も暮れている。
青い鎧の人物の息も切れていた。もちろん俺の息だって切れている。へとへとだ。
よく頑張ったと思う。ああ、俺はよく頑張った。
周囲はぐるっと槍で囲まれている。
頭上も弓を構えた兵がいるので、これ以上暴れても逃げられる確率は低い。というか無いだろう。
幸いなことに、俺は誰も殺していない。だから相手も、寛容な態度を示しているはずだ。
だとすれば死なない為にも、ここは素直に従った方がいい。
俺は剣を捨て、さっさと馬を下りた。少しでも心証を良くする為に……ぐほぉっ!
「な、何をする? いきなり槍の柄で殴るなんて、酷くないか?」
青い鎧の人物に殴られた。
「殴って悪いかっ! あたしのルーラを殺しやがってっ!」
「ルーラ?」
「馬だよ! あたしの馬っ!」
「ええっ!? 馬は自分で殺していたでしょ!?」
「お前が変な所を刺すからだろ! 可哀想だから、ああするしか無かったんだ!」
「でも、殺したのはアンタ……ぐほぉ! あ! また殴った!」
「う、うるせぇ、ルーラの仇だっ! お前ら、さっさとコイツを縛れっ!」
すぐに兵達が俺を縄で縛り、跪かせる。
「よしっ! 連れて行けっ!」
馬にくくりつけられ、引き摺られながらも俺は見た。
理不尽極まる青い鎧の人物が、兜を取って顔を見せた姿を。
やはり女、そして凄く美人だ。
紫色の髪に緑色の瞳。顔は褐色で、やや耳い耳が尖っている。
この特徴に合致するのは、南方に住まうダークエルフ……。
どうしてこんな所にいるのか、それは分からないが。
しかしリナやルナと比べれば、耳が短いように思えた。
それに彼女は魔法を使っていない。
確かに魔法に対する耐性はあるようだが、ならば何故使わなかったのか?
それに、この騎士のような出で立ちはいったい?
謎が尽きない……。
「なんだい、あたしの顔をジロジロみて」
「はっは! お頭があんまり美人だから、欲情しちまったんじゃねぇか!?」
下卑た笑い声を上げた人物も、兜を取った。
こちらは黒髪の短髪だが、大きな目に整った鼻筋は十分に美しい。
ていうか、やっぱり女性だった。
「ば、馬鹿なことをお言いじゃないよっ! あたしゃ男なんかに興味はないんだっ!」
「さっすが姉貴! 男なんかいらねぇよなっ!」
皆が次々と兜を取っていく。
わかったことは、全員が女性だということだ。
そして互いに姉や妹と呼び合っている。
ということは、まさかこれは……キタコレ?
この先にある城は、まさに女の園。
だとすれば、ここが俺の思い描いた桃源郷なのではないか。
そう――この地こそが俺の目指していた場所!
百合っぷるの百合っぷるによる百合っぷるの為の世界!
いざ行かん! 我が楽園へ!
神よ、心より感謝致します。これよりは、観葉植物アレクとお呼び下さい。
俺は縛られ引き摺られつつも、笑みを浮かべた。
「何だコイツ、笑ってやがる。もしかして、とんでもねぇ大物かも……?」
美しいお姉様ダークエルフが蔑んだ目で見ている。
しかし俺は気にせず、全ては為すがままだ。
なにしろ俺は観葉植物。如何なるものにも動じず、あなた方を見守るだけの存在なのだから……デュフフフフ。
アレク、帰ってきて……




