提督と呼ばないで
◆
十一月の風は、北から南へと吹き抜ける。
冬の帝都は雪こそ降らないが、それでも交易船は減り、港も閑散としてゆく。
俺は今、自分の連隊を港に集めて出撃前の訓示を行うところだ。
マーモスまでの距離は、船で三日。だが俺の与えられたガレー船には、兵士を満載すると食料が四日分しか積めない。
なので本来なら、行く先々で略奪をする羽目に陥る。ヴァレンスは「当然だな」と言って笑ったが、そうはいかないのだ。
「予定より船が多いな? 五隻もある。なんだ、あの大きな商船は?」
ティグリスが怪訝そうに俺を見た。彼は補給に関して、ひどく無頓着だ。
しかしティグリスが軍を率いた場合、飢えることはない。それは彼が今まで、“敵”を攻めるだけの将だったからだ。補給が必要なら軍団が用意したし、そうでなければ略奪をした。それだけのことだ。
俺はこの一月、ただ訓練に明け暮れていた訳ではない。
戦略目標を占領統治に定めた以上、住民からの略奪は不可だ。それ故に、自前で補給部隊を用意した。
「補給部隊だよ。戦争とはあくまでも政治の一手段に過ぎない。今回の目的はマーモス諸島を占領し、統治すること。その為に得る軍事的勝利は、脅しに過ぎないんだ。彼等から物資を奪えば、それだけ統治が大変になる」
兵の眼前に立つ前に、俺はティグリスの疑問に答えた。
彼の代わりに、アントニアが感心している。
「そうね、皆殺しにする訳じゃないもの。今後のことを考えれば、最悪でも彼等から買い取る方がいいかしら」
「はっ! なんかお前等、属州総督みたいな考え方だな」
ティグリスは肩をすくめ、笑う。
属州総督とは皇帝直轄の属州において、二個軍団以上を束ねる者だ。大体は伯爵以上の者がその任に当たる。
また総督の任にあった者が、その地を領地とすることも多い。結果として上級貴族が血筋をもって土地を統治する伝統が出来上がってきたのだ。
もちろん相対的に帝室の権力は低下しつつあり、だからこそ現状は帝室と四侯爵家を筆頭とする元老院、そして教会勢力が鼎立している状態なのだろう。
そんなことはどうでもいい。
ま、実際は補給に関して、ドラ○もんに頼るの○太よろしく、「ミネえもーん! お金貸してー!」とミネルヴァに泣きついただけなのだ。
もっともミネルヴァのやつ何かを勘違いしてたみたいで、話がまったく噛み合なかったな。夜中、彼女の部屋に直接行って頼んだのが良く無かったのかもしれないけれど。
「ミネルヴァ、頼みがあるんだけど」
「あ、今日は女の子の日なのでちょっと……」
「は? 何を言ってるのかな、ミネルヴァ」
「夜伽でしょう? そうだ! 口でよければ!」
跪いて、俺のズボンを脱がそうとしてきたからな、あの時は……。
「いやいやいや! だからミネルヴァ!」
「えっ……そりゃあ別の穴もありますけど……そんな……いきなり。い、痛いかな? 痛いかな?」
「ちがう! 脱ぐなって! 補給部隊を編成したいから、お金を貸して欲しいんだっ!」
「ああ、そんなことですか。そんなの、帝国軍に補給を願い出ては? ……つまらない」
脱ぎかけた肌着を再び身に付け、寝台に腰掛けたミネルヴァ。もう本当に、心臓が飛び出るかと思った。
「ち、勅命は賊の討伐だし――それに万が一邪魔をされれば、取り返しがつかない」
「確かにユリアヌス皇子やクロヴィスが暗躍しないとも限りませんからね……分かりました、アルメニアス商会を使いましょう」
ようやく真面目な顔になり、ミネルヴァはこめかみに指を当てている。
「宜しく頼むよ。マーモス島と周辺を押さえることが出来れば、金の都から帝都へ至るまでの最短航路が復活する。それに南方諸部族――エルフ達だって直接、我が国と交易することが出来るようになるんだ。これで生まれる富は計り知れない。だからアルメニアス商会にも、十分な利益が生まれるはずだよ」
「……アルメニアス商会の利益は、そのままシグマ家の利益になりますよ?」
「そのシグマ家は今、俺と手を結んでいるよ」
「いつか再び――敵に戻るとしたら?」
「その時は――どうしようかね? いまさらミネルヴァ――君を斬れるほど、俺は悪人になれそうもない」
「私もアレクシオスさま、貴方を敵にまわすほど愚かにはなれないわ。ただ――早く父を救い出して欲しいと願うだけ。そうしたら私の忠誠は、本当に貴方だけのもの……」
「その為にも、この機会を逃す訳にはいかないさ」
「そうね――これで船も航路も拠点も手に入るのだもの」
「勝てば、ね……」
「勝つわ、アレクシオスさまなら」
こうして俺は三隻の帆船をアルメニアス商会から借り受け、補給部隊を編制した。
冬になるということで、仕事にあぶれそうな船乗り達が協力を申し出てくれた事も幸運だったと思う。ただ、全ての事務手続きを自分でやることになり、これがけっこう辛かったのだが。
さて、訓示をするか。
壇上に上った俺は、精悍な顔をした兵士達を見回して頷いた。
訓示とは、兵士の士気を高める為のもの。だから希望を示す必要がある。
兵士にとっての希望とは、生きて還れる可能性と帰還の時期に他ならない。あとは戦場に行くメリットだろう。その三点が保証されるなら、誰が訓示をしたって士気なんか上がる。
だから俺は、こう言った。
「初戦でマーモスを取り戻す。次に防衛戦、最後に掃討作戦だ。大丈夫、負けはしない。こっちには帝国の盾と帝国の剣もいるんだ。期間は半年――多少は長く感じるかもしれないけれど、海賊共が溜め込んだ財宝は見つけ次第皆に与える。期待してほしい」
呆気にとられて俺を見つめる五百人の男達は次の瞬間、歓声を発した。
「おおーっ! やるぞーっ!」
「海賊のお宝か! たまんねぇな!」
「六倍の敵と戦うって聞いてたけど……あの人なら何とかなりそうだな」
第一〇九軽歩兵団時代からの部下も新しい部下も、財宝と聞いて大喜びだ。
何しろ俺の部下になるような連中は、孤児や解放奴隷ばかり。軍人になって身を立てなければ、市民として生きて行くことなど出来ない奴等の集まりだ。そこで一財産を築ける機会を与えられれば、奮起するのは当然だろう。
逆に新参の者も、帰還の明確な時期を伝えた事で安堵してくれた。
「しかし――」
と、俺は彼等に水を差す。ここからの言葉を引き継いだのはテオドラだ。俺では圧が足りないだろうから、とのこと。
なんだそれ。指揮官失格か、俺は。まあ、柄じゃないしね。
「しかし、民からの略奪は固く禁ずる! 強姦も殺人もだ! 民からは何一つ奪うな! 奪った者は、あたしが斬り捨てるっ!」
腰に差した剣を抜き、頭上に掲げるテオドラ。きらびやかな金の鎧を着て、その上に赤いトガを羽織っている。
ちなみに俺は鎖帷子の上に銀色の鎧だ。まあ、連隊長クラスの正装だな。装束だけ見れば、明らかにテオドラが司令官といった雰囲気である。
「そんなわけで、じゃ、行こうか」
俺は壇上から降りて、幹部達を従え歩き出す。付き従うのはディアナ、テオドラ、ドムト、ティグリス、アントニア、ヴァレンス、ミネルヴァ。まあ、ヴァレンスとミネルヴァは奴隷だけれど。
――――
海に出て初日は問題無く快晴だった。北からの風にも恵まれ、船は順調に進む。しかし問題は二日目に起こった。
「風が凪いでいる」
鮫のヴァレンスと呼ばれた元海賊が、俺の部屋にやってきて告げた。
俺が周辺の地図を眺め、様々な作戦を巡らせている最中のことだ。
「漕ぐか待つか、どちらにする?」
ヴァレンスは体格の割に理知的な瞳を俺に向け、判断を求めている。だが――彼の中ではやるべき事が決まっているのだろう。
そもそも古来より、軍の行動が遅くて得をした例は無い。俺は微笑を浮かべ、ヴァレンスに告げた。
「予定通り到着する方で。ただし、兵の疲れは残さずに」
ヴァレンスは苦笑を浮かべ、「わかった」と答える。少し難しい注文だったか。
「……潮の流れに上手く乗れば、早く着く事もできるが。当然、兵は疲れない」
むしろそっちだった。
「いや、今回は早く着いてもダメなんだ」
俺が言うと、不思議そうな眼差しでヴァレンスが首を傾げている。
「敵を――待つのか。なぜ?」
「うん、そうだね。言い方は悪いけど、敵は我々を舐めている。だから今回動いているという情報を得たのは、マーモス本島にいる賊だけだ。これでも五隻の軍船と千の兵がいるから、こちらの倍なんだけれど……とにかく我々はこれを派手に破らなければいけない。そしてマーモスには支配者の帰還を知らせ、周囲の海賊達に恐怖を与えなければならないからね」
俺は地図の横に置いてあった羊皮紙の報告書をペラペラと捲ってみせ、ヴァレンスに言った。
「いくら奴等が有象無象でも、派手に勝ってしまえば団結される恐れもあるだろう?」
「……はは。確か、大小合わせれば六十もの海賊団があるんだったね? だけど、これを一つに纏めるだけの器量をもった者は、マーモス島のヴェンゼロスとニコラオス島のトリスタン――この二人だけだ。だがトリスタンは、ネア島の女海賊ナナに恋心を抱いている。彼女は酷く迷惑がっているけれどね……と、まあ、この辺りは、いくらでも攻め手があるのさ。それにこちらの兵力が、いつまでも五百のままとは限らないだろう?」
「なるほど……敵を分裂させて、こちらに取り込むつもりか?」
ハッと目を丸くして、ヴァレンスが言う。
「ま、拘ってる訳じゃないけどね。なるべく戦わない方が楽だろう、みんな」
「ふっふ……俺達は楽になるが、提督は大変だろう」
よく分かってるね、ヴァレンスは。
だけど俺、提督じゃないんだが。
「まあ、仕事だから。それにさ、上手いこと交易のできる領地が手に入れば、不労所得が手に入るわけだよ。そうしたら軍をやめて領地に引っ込み、百合っぷるを観察してだね――ああ……まあ、その前にもう一仕事残ってはいるけれど」
もう一度ヴァレンスは目を丸くして、「引退を考えているのか、その若さで」と言った。
何を言うか、馬鹿ヴァレンスめ。
引退するのは早いにこした事はない。
何しろ早く引退すればするほど、百合っぷるを眺める時間が増えるのだから。
◆◆
海上であまり長時間部屋に籠っていると、流石に酔う。俺は気分転換に甲板へ行くと、テオドラとミネルヴァが熱心に投石機や弩のチェックをしていた。
ちなみに投石機の側では、自称船医のディアナがぐったりとしている。船酔いなのか酒に酔っているのかは不明だが、時々慌てて隅に行き、「オロロロー」という声と共に撒き餌をしていた。
「どうしたの、アレク。具合でも悪いの? ボクの顔を見て元気を出しなよ。でも変な液体は出さないでね……フヒヒ」
ディアナが側に来て、ニヤリと笑った。顔面蒼白なオッドアイの美女は、左手で胃を摩っている。
具合が悪いのはディアナ、お前だ。そして下品でもある。
「少し気分転換に来た」
「そうかい。ボクも風に当たっていないとなんだが……うぷ」
慌てて船縁に走るディアナ。俺は後を追って、彼女の背中を摩ってやる。
それでも耐えきれなかったらしく、ディアナの口からキラキラとした液体が落ちてゆく。下の方から「汚ねぇ!」と櫂を漕ぐ船乗りの声が聞こえた。
「ご、ごめん……」
慌てて謝るディアナだったが――
「あ、ああ。ディアナさんのかい? だ、だったらいいや、うへへ」
という声が聞こえる。この船には変態が多いらしい。
流石にディアナも眉を顰めていた。
「ねぇ、アレク。ああいう変態は魚の餌にした方がいいと思うよ」
「うんまあ、だけど今、魚の餌を量産しているのはディアナだけどね……」
「うっ……うっぷ」
頷くディアナの両頬が膨れた。涙目で俺を見つめている。ああ、これは危険だ。
俺はディアナを身体ごと海に向け、危機を回避した。
「オロロロロロ」
これでは、肝心な時に役立つか不安だ。この船にある最強の兵器は投石機でも弩でもない、このディアナだというのに。
「も、もうヤダ」
船縁に掴まり、よじ上るディアナ。どうやら身投げを考えているらしい。
「こ、こんなに苦しいなら、死んだ方がマシだ……海なんか大嫌い……」
とりあえず船縁から引きはがすと、倒れそうになるディアナ。仕方がないのでお姫様抱っこをし、船室に運ぶ。
「や、やめろー。中に入ったら死ぬー」
「いや、海の中に入っても死ぬから」
「……もういっそ殺せー」
「眠りの魔法を掛けてやるから」
「あ、それなら助かる。早く――ひと思いに……はやくっ!」
「ひと思いって違うだろ」
ディアナの部屋は医務室を兼ねている。
一応、船医なのだから当然なのだが――その病人用ベッドを最初に使うのが、当の船医というのは如何なものか、俺は少し首を傾げたくなった。
ディアナをベッドに寝かせると、俺は眠りの呪文を唱える。程なく規則正しい寝息を立てて、彼女は眠った。
それからディアナ愛用の、黒いローブを脱がす。ずっと吐きまくっていたせいで、けっこう汚れていた。
「あーあ、汚いなぁ」
言いながら留め具を外していると、テオドラがいきなり現れて俺の手を掴む。
「何してんだ、この変態野郎っ!」
「は? 何ってディアナの服が汚れてるから……」
「そんなもんは、ミネルヴァにやらせりゃいいんだよっ!」
俺は少し考え、あ、そうか……と思った。
確かに今のディアナは、みたびではない。誰が見てもどこから見ても、ヤンデレ系美少女だ。開けたローブの隙間から覗くのは、透き通る様な白い肌である。
俺はテオドラに頷き、彼女の後ろに立つミネルヴァに「よろしく」と伝えた。
「ん……まって……きょう、や……一人にしないで……」
俺はビクリとして振り返ると、眠っている筈のディアナが震える手を伸ばしていた。頭蓋骨を探しているのかもしれない。
そういえば、アレがないと嫌な夢を見るとか言っていたな。
それってつまり――あんなものでも、ないと寂しいってことだ。
「えん……じゅ……も……」
――そうか、ずっと一人だったんだもんな。
普段は憎まれ口ばっかり言っているけれど、本当は俺やガブリエラといつも一緒にいたいんだ。
だったら、俺が親友として出来ること。そんなの、決まってるじゃないか。
俺は踵を返し、ディアナの眠るベッドの横に座った。
「ごめん、やっぱり俺がやるよ。ミネルヴァは下がっててくれ」
「……けれど」
俺はミネルヴァから濡れた布巾を貰うと、ディアナの顔を拭いてゆく。肌着が捲れてちょっとエロい感じになっているが、コイツは俺の親友だ。
親友に欲情する訳がないし、汚れだって苦しくて吐き出したもの。それも俺を助ける為にここまで来て、ディアナは苦しんでるんだ。
だから――ここで俺がコイツを放り出していい訳が無い。
「みたび――ここにいるからゆっくり休め。船酔いなんて、馴れれば大丈夫だから」
「おい! アレクシオス! ガブリエラならともかく、この女までっ!」
テオドラが腕まくりをして、俺の肩を掴む。痛い。
「見たければあたしの胸を見ろっ!」
いや、違うぞテオドラ。そうじゃない。
「テオドラさま。残念ながらアレクシオスさまに貧乳はちょっと……」
「おいー、ミネルヴァ! お前、殺すぞっ!」
「さ、我が侭を言わないで、ね、姫さま」
襟元を掴もうとするテオドラの手を払い、「行きましょう」とミネルヴァが言っている。
「……お、お前がそこまで言うなら仕方が無いけど……貧乳ってのは訂正しろよな! これから大きくなるんだから!」
どういう訳かテオドラはミネルヴァに敬意を払い始めていた。きっと俺が見てないところで、勝負でもしたのだろう。そして結果は、ミネルヴァの勝ちだ。
現状で奴隷身分のミネルヴァを尊重する辺り、テオドラの気質も好ましい。ちょっと暴力的だが、彼女が公正で公平なのは間違いないだろう。
「アレクシオスさま。あなた達三人の呼び名――キョウヤ、エンジュ、ミタビ――その意味、いつか教えて下さいね」
ミネルヴァがそっと俺の耳元で囁いた。
それから一礼して踵を返すミネルヴァは、何かに気付き始めている。というより、隠すようなことでも無いし、言っても構わないのだが。
しかしその場合はガブリエラやディアナの元の性別を言わなければいけない訳で――そうなると俺が勝手に言っていい話ではなくなってくる。
「ああ。ミネルヴァには、いつか話すよ」
ミネルヴァは頷き、微笑みを浮かべて出て行った。
――――
「やれやれ……」
ディアナはずっと俺の手を握っている。今では規則正しい寝息を立てているので、そろそろ出て行っても大丈夫かな。
そのとき船が揺れ、ベッドの底からコロコロと瓶が転がってきた。
どうやら空のワインの瓶だ。
一本、二本、三本、四本、五本――
「う、うう……もう、飲めない……」
揺れの衝撃で眠りが浅くなったのか、ベッドの上でディアナが呻く。自然、俺の手を離し、彼女は寝返りをうった。
ここに至り、流石の俺も気が付く。
ああ、これは船酔いじゃない。
もう、ディアナなんか海の藻屑になってもいいんじゃないか?
そう思った俺はディアナをロープでベッドに縛り付け、船外にぶら下げることにした。
「いーやーだー! もうお酒飲まないから、ゆーるーしーてー!」
ディアナの声が、大海原に吸い込まれてゆく。
適度なところで引き上げてやると、彼女は正座して反省の弁を述べた。
「ごめんなさい、お酒は控えます……ので……最後に一杯だけ飲ませて下さい……」
今度はテオドラに簀巻きにされ、船倉に放り込まれるディアナ。もう、自業自得としか言えない。
「真っ暗だー! 嫌だー! ……あ、そうでもない。フヒ、フヒヒヒヒ……ねぇ、イレース。ネズミでも見つけて解剖しようか……フヒヒヒヒ」
翌日――ようやく俺達は会敵した。




