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勝利の予言 4

 で。

 作戦会議はほぼ実がないまま時間切れになった。広範囲かつ全方位に有効で、相手の位置感覚を狂わせる凶悪なアプリであるケイオスメロディ。前回の苦い記憶を思い出しつつ会議はこれの対策に終始した。


 レイシャの解説はいまいちキレが悪く、結論としてはどうにもならないからその場の状況に応じて判断するという恐ろしく虚しいものになった。


 部屋に入って、アイリスちゃんにRFセンターの説明を加える。


「ボタン押したらいきなりフィールドが作られるけど、びっくりしないでね」


 そう言って私はケータイのボタンに触れる。練習の時は、受付でタブレットを借りて色々と設定を変えれるけど、対戦の場合は普通のランダムマッチング戦と同じように互いの準備完了で試合が始まる。


「はいぃ……よろしく、お願いします」


 アイリスちゃんもボタンに触れた、瞬間、世界が一変した。


「わぁっ!」


 忠告したのにアイリスちゃんは仰け反って驚いていた。可愛い。


「洞窟フィールドか」


 灰色のごつごつした地面と岩肌を照らしているのは、天井の亀裂からの頼りない光。このフィールドは空がほとんど見えず、ねっとりした空気もあって息苦しいところだ。


 レイシャが目を合わせてきた。目だけで作戦確認。軽くうなずいておく。わかってる。


 ケイオスメロディの対策はないし、きっとアイリスちゃんもサクラも強くなってる。けどこっちだって新武装を用意して地道にトレーニングを詰んできた。RFセンターでの対戦経験は一日の長がある。


 なにより私は、勝ちたい。勝ちたい。戦いを前にすると、ほんのさっきまでグダってたのが嘘のように昂ぶる。体の中で熱気が膨張して爆発しそう。こんな感覚をしばらく味わっていなかったなんて信じられない。


 この先を知りたい。勝つ。頭の中の、熱くて冷たいギアがガチりと切り替わる音がした。


「よろしくね。始めよう」


 ◆ ◆ ◆


「「アクセス!」」


 私とサクラの体にアーマーが装着され、虚空から武器が現れる。私はロングソードで、サクラはスピアー。武装アプリはあくまでアプリ扱いなので、戦闘前の段階ではデフォルトの物を装備しなければならない。


それぞれ武器を構え、開始のブザーが鳴った。


 同時、サクラが突撃してきた。フェイントも何もない、真正面だ。私は、ロングソードを思い切り投げつけた。


 サクラは体をひねって回避しようとするも、ロングソードは肩口に激突。カウンター気味の一撃に大きくよろめいた。


「武器を捨てるとは……」


 サクラが硬い表情で目を細めた。


「やりなさい鏡島優奈」


「オベロン・ティターニア」


 優奈のの声。私は軽く両手を広げて待つ。


 現れたのは白銀に輝く双剣。


 右手でオベロンを、左手でティターニアを掴む。この剣には鍔はないが、柄は吸い付くように手に馴染む。私の手に合わせてミリ以下の単位まで調整しているから当然だ。


 剣身の中ほどまでは不恰好に分厚く、長方形の箱でもくっついているかのように見える。そこから伸びる刃は対称的に息を呑む鋭さだ。理想を追求した結果生まれた奇妙な形状だけれど、あえて言うなら空を斬り裂くツバメの翼に近い。


 下僕が暴走して勝手に作ってしまったものを受け止めるのも主人の度量だと思い、仕方なく、本当に仕方なくこの武器を手に取った。その後、私の適切な指導によってこれは随分と改善された。だからこれは私たちが練り上げた、私たちの力。


「なんとも奇妙な剣だな。その力、見せてもらおう!」


 間合いが狭まる。私は突進速度の乗ったスピアーの威力を軽く見てはいない。片手で防御するような横着はせず、両の剣で受け流す。


 スピアーはリーチに優れる分、接近戦での取り回しが難しい。私は攻撃を受け流しざま、懐に飛び込み双剣を反転。横薙ぎの斬撃を繰り出した。


 サクラは飛行魔法を制御して、地面とほぼ水平になるまで体を倒すことで私の刃をかわした。一つだけは。


 振ったのは右のオベロンだけ。左のティターニアで狙い澄ました会心の突き。確かな手応えと共にサクラの口からくぐもった声が漏れる。


 下へ逃れようとするセイレーン。私は急降下しての踏みつけを狙う。硬い感触。スピアーが旋転してサクラの手元に戻っていた。サクラは腕をたわめて力を溜め、一息に押し出した。私は弾かれ、距離が開いてしまう。


 近接距離を嫌うのなら構わない。こちらにも次の手があるのだから。


 洞窟フィールドはいくつかの大きな空間が小径で繋がっている。私は後退して小径に入る。サクラがすぐに追ってきた。


「狭いところに誘い込んで長柄武器の動きを制限するのが狙いか」


「だとしたら、どうなのかしら?」


「RFセンターでの戦闘経験のない弱点を突かれたよ。だが、愚策と言わざるを得ない!」


 サクラが気合を放ち、爆発的加速。


 私は静止し、両手を前に出して剣を斜め前に突き出すような姿勢。迎え撃つには全く適さない構えにサクラが訝しげに眉を寄せた。


「私を愚かと呼んだ報いをあげるわ」


 この剣に鍔はない。その代わりではないけれど、普通の剣なら鍔がある部分には小さなレバーがある。私は両の親指を伸ばし、そのレバーを引いた。


 鍔に当たる部位から、剣身ががくんと倒れ九十度近く折れ曲がり、刃は二つに分かれスライドして剣身根本の長方形の側面に収まる。刃がなくなりあらわになった長方形の前面には、大きな穴が開いていた。そして長方形の下部から飛び出したトリガーに、私は指をかけた。


「可変武器だと!」


 サクラの驚愕がこだました。


 長方形の正体は大型のツインハンドガン。強大な魔力精製、制御装置として、また剣身の強度を保つために、ハンドガンとしては規格外の大きさになっている。


 銃口の奥底に灯った魔力の光が、女王の双眸となってサクラを睨み据えた。


「誅戮!」


 雷じみた音を鳴らして飛び出した弾丸が、サクラを吹っ飛ばした。後退の勢いを上昇へ転じるサクラ。トリガーを引き続ける。

 

 腹を空かした獣のように、弾丸が逃げる獲物を追い立てていく。並走していた弾丸が同時にサクラを直撃。歌の紡ぎ手を小径の天井に叩き付けた。


 私は接近しながら親指でレバーを戻す。剣身が立ち上がり刃が再び鋭く輝く。これで決めてやる。


「レイシャ、ストップ!」


 急制動をかけた。下に顔を向けると、優奈が首を横に振っていた。


 私たちが最も警戒しているのはケイオスメロディだ。前回の敗北が脳裏をよぎる。追い詰めたと思いとどめを刺しに行って、あの混沌の歌声に飲み込まれたのだ。優奈が止めなかったら、同じことを繰り返すところだった。優奈の読みの正しさが、また私の心に棘を刺す。


「うるさいわね! わかってるわよ」


 復帰したサクラが、スピアーを回転させ瓦礫を打ち払った。


「これは手強い。君たちの熱意が推し量れるというものだ」


 セイレーンの目には逆襲の炎。私は再び武器を変形させて、全速後退。銃撃戦と見せかけて本当の狙いは……あった、ここだ。


 サクラからすれば私が突然消えたように見えたはずだ。


 洞窟フィールドは小径の他に、妖精一人がやっと通れるような細い横穴であちらこちらへ繋がっている。私はそこへ入ったのだ。この横穴は見つけづらく、中は迷宮のように入り組んでいる。以前の対戦で、どうにもならなくなってこの横穴の中で戦略的撤退をし続けた経験が役に立った。


 サクラとアイリスは今頃混乱しているだろう。横穴から回り込み、奇襲をかけるのがこちらの策だ。


 細く暗い通路を抜け、小径の地面近くにある別の穴から顔をのぞかせた。サクラとアイリスが、最初に戦ったのとは逆の方へ向かう背中が見えた。すぐ近くで砂利を踏む足音がした。優奈と目が合う。私の考えを読んで、ここで待機していたのだ。その程度には使える下僕だ。


 優奈が無言でケータイを差し出して来た。モニターの文章を目だけで読み上げる。


『横穴はすぐ見つかっちゃった。追撃じゃなくて、広い空間での待ちぶせでいくみたい』


 攻撃的なアイリスにしては意外な選択だ。サクラがリスクを嫌ったのか。気にはなったけれど、ここで悠長に作戦会議などしてはさすがに勘付かれる。


 優奈に軽くうなずいて、背を返す。細い穴の通路を飛翔していく。岩石の迷宮を超えて、最初の時とは別の大空間に着いた。

 

 私がいるのは、大空間の天井に空いた穴だ。眼下には、サクラとアイリスが背中合わせになって周囲を警戒していた。優奈は少し離れた位置に立っている。きょろきょろするな、あの阿呆め。


 サクラたちは上には全く気を配っていない。絶好の機会だ。武器を双剣にして、そろりと穴から抜け出る。心境は一撃必殺を期する暗殺者。


 速く、静かに、降下する。


「そこかっ!」


 突如、振り仰いだサクラが閃光のような突きを放った。


 完全に予想外。重い衝撃に腹を撃ち抜かれる。気合を吠え、セイレーンが怒涛の刺突。至近距離でガトリングガンを撃たれているかのような連撃だ。


 私は初手の痛みと動揺から回復していない。防御が全く追いつかず、頭や胸などを守るので精一杯だ。体のあちこちを滅多刺しにされ、炸裂する痛みに気が遠くなる。


 サクラがスピアーを大きく振りかぶった。決める気か! 私は……まだだ!


 双剣を頭上で交差させ、唸りを上げて落ちる穂先を止める。だが力が足りていない。防御姿勢は維持しているものの、強引に押し込まれる。サクラが縦回転。私もそのまま振り回される。人間の技で言うところのジャイアントスイングに近い。あれの垂直回転版だ。


 灰色の岩肌が波打ちながら流れ去るのを背景に、間近にあるサクラの鬼面が圧力を放つ。怯んで防御が緩めば遠心力の加重された穂先が頭を断ち割り、このままでいても体力と平衡感覚が奪われいずれは同じ末路を辿る。詰みの手だ。でも、私は、まだだ。


 両の親指を鍔元のレバーに這わせた。剣を引き寄せながら変形。サクラの眼前に双銃を突きつける。穂先が頭に落ちる一刹那前、双銃が吼えた。


 至近距離での銃撃と斬撃の交差。両者、限界まで仰け反って体を引く。


 弾丸はサクラのこめかみをかすめ去った。直撃こそ避けたが、その衝撃は槍手を撃墜させるに充分だった。


 穂先が私の胸から腹までを駆け抜けた。こちらもかすめただけだが、運動力の乗り切った攻撃は私の体を軽々と十数メートルは吹っ飛ばした。


 洞窟内のこの空間はかなり広く、壁にぶつかることなく姿勢制御する猶予があった。かなり目が回っているけれど、なんとか浮遊を維持する。


「レイシャ! 大丈夫!?」


「……愚問ね。大丈夫に決まっているでしょう」


 私の状態はどこからどう見ても大丈夫じゃない。でも、だからこそだ。私の心以外の全ては、私の心と他者を騙すためにある。自分を騙すことは、すなわち信じることだ。銃を持つ手に力が戻って来た。優奈の唇に笑みが浮かぶ。


「そう言うと思った」


 緩んだ優奈の頬がまた厳しく引き締められる。


「ごめん、私のミスだ」


「どういうこと?」


「さっき公園でサクラが、遠くの音を聞く魔法があるって言ってたの。きっとそれを応用したアプリを使ってレイシャの居所を知ったんだと思う。もっと早く気づくべきだった」


「奇襲のつもりが罠に飛び込むとはね」


 そういうことなら、追撃でなく待ち伏せを選んだのも納得出来る。


「さっき周囲を警戒してのは演技ということ?」


「そういう悪い引っ掛け、サクラは好きそうだなぁ……」


 こちらも力をつけたが、やはり向こうも格段に強くなっている。そして私たちにはあり得ない……ピクシーである私には出来ないやり方を持っている。心に刺さった刺から黒く濁ったものが広がっていく。


 オベロンとティターニアを握りしめた。


「いいわ。試合中使えるアプリは三つだけ。その内の一つを消費させた」


「こっちも一つ使ってるし、体力状況も互角ってところかな」


「武装アプリは持続して使えるからこちらが微有利よ」


「じゃあなおさら、だね。次で決めに来る」


「ケイオスメロディね」


「うん……ねえ、音波を使った攻撃ってある?」


「音というのは、要は空気の振動なのだから単純に増幅してぶつけるだけでも衝撃波攻撃として有効よ。弾丸は避けられても、不可視の音波攻撃となるとかなりの難物ね」


「エアリアルウォールは空気の壁だから破られそうだし、プロテクトウォールは魔力の壁だから、空気の振動の端まで魔力が乗ってるとは考えにくいからこれもイマイチ。手持ちのアプリは相性が悪い」


「そうね。どうしたの、あなたいつにも増して変よ……?」


「ん……」


 ふと、肌が焼けるような感覚に襲われる。ぎょっと見やると、優奈の瞳の奥で多元方程式が疾走している幻覚を抱いてしまった。加速し、膨れ上がった思考が嵐となって大気を熱している。存在感という名の暴力だ。なんだ、こいつは……。


「向こうは、なにかアプリを使ってこっちの動きを制限してから必中のタイミングでケイオスメロディを放つ。スピアーか……音波か……ううん。スピアーで攻撃すると見せかけて音波攻撃。これだ。こっちは銃と剣の攻撃アプリが一つずつ残ってる、まず弾をばらまいて近づく。アプリも使う。とにかくなにもさせないで近づいて、剣でとどめを刺す」


「……ケイオスメロディでカウンターを狙われるわ」


「あれは明らかにサクラの口から出てる声を魔法で、増幅、変換してる。カウンターを取りたいタイミングで、声も出ないくらいにダメージを与えておくつもりでいこう。戦いで疲れてるのはまぁこっちも同じだけど、特性上、不利になってるのは相手のほうだよ」


 さっきの作戦会議ではろくな案は出なかったくせに、今はこんなにすらすらと先の手まで読んで見せた。優奈は戦闘になると、そしてそれが激化するにつれて思考が鋭くなるようだ。どんな強敵も逆境も、思考という刃を研ぎ澄ませる砥ぎ石でしかない。


「……ええ。それなら、それでいいわ」


 優奈から離れて前に出る。打ち合わせが済んで戦闘態勢を取る、という意味でしかない。ただ、優奈の近くに居づらいのも確かだった。


 サクラが気障ったらしくアイリスに手を振った。アイリスは、地上をとことこと走って位置取りに行くようだ。誰もが優奈のように空中を自在に移動出来るわけではない。


 距離を置いて、差し向かう。しばしの沈黙、そして、私とサクラの突撃は同時だった。


 トリガーは引きっぱなしだ。サクラは次々飛来する弾丸を、うねる動きでかい潜る。右のオベロンのトリガーから指を離し、すぐに引く。タイミングの変わった射撃にサクラの反応が遅れた。弾丸が右肩をかすめて、槍手が大きくよろめく。


「バーストショット!」


 優奈が叫ぶ。


 体が膨れる感覚と萎む感覚が一瞬の内に起こった。私の中の魔力が徴収され、オベロンとティターニアに充填されたのだ。銃口から溢れた魔力光が薄暗い洞窟を淡く照らす。ある種、幻想的な光景だが実態は猛獣が檻から出ようと爪を立てているようなものだ。


「ショックロア!」


 アイリスも、優奈とほぼ同時に叫んでいた。


 全身の毛穴に、振動する極細の針が突き通ったような最悪の痛みが襲ってきた。恐ろしい速度で世界が後退する。吹っ飛ばされていた。そんな状態でも、私の人差し指はプログラムされた通りに動く。トリガーを引いた瞬間、解き放たれた二頭の猛獣が疾走。光の大顎がサクラを飲み込んだ。


 私は壁に叩き付けられていた。押し寄せるエネルギーの大波濤が壁を砕いて私の体をめり込ませる。そこでようやく、轟音が聴覚と平衡感覚を打ちのめしに来た。


 音のほうが遅かった。つまり超音速攻撃。空気の振動が音の壁を突破したものは、超音速衝撃波と呼ばれ絶大な破壊力を有する。アイリスめ、こんなものを隠し持っていたとは。


 バーストショットは、威力は大きいがその分チャージにわずかながらタイムラグが発生する。そこに、幼き闘士は超音速攻撃で割り込もうとしたのか。それにしても判断が早すぎた。あれではまるで最初からそのつもりだったとすら思える。


 いや……そうか。クロスカウンター狙い。だったら合点がいく。優奈の読みを、アイリスの攻撃性が上回っていたのだ。


 サクラが幽鬼を思わせる動きで近づいて来る。あれだけ戦い、バーストショットをまともに受けてさすがに限界寸前のようだが、まだ動けている。


 私は、動けない。痛みが意識を保ってくれているものの、体が言うことを聞かない。激烈な振動波を浴びて体の芯までしびれが残っていた。それでも、ここで動かなかれば意味が無い。もう一押しで倒せるのに。ここまで来たのに。


 無様に震える腕で銃を上げていく。


 あっ、と思った。左のティターニアが手から落ちていった。永遠とも思える時間のあと、奈落の底から響くような虚ろな落下音が聞こえた。


 あれは私と優奈で作ったものなのに。私たちの力なのに。それが落ちるの? 私の手から?


 喉の奥からかすれた声が漏れた。絶望は気体なのかもしれない。肺を満たした絶望がせり上がって来て私の呼吸を奪う。お前には息をする価値すらないと、自らに宣告されたようだった。


 サクラが武器を構えた。体を大きく前傾させ、己をスピアーと同化させたような格好だ。ケイオスメロディで感覚を混乱させて回避を封じ、体重の乗った一撃で決めるのだ。終わる。


 仕方ないと思った。オベロンとティターニアの性能に驚いている内に倒せなかったから、奇襲に失敗した時すぐ切り替えが出来なかったから、バーストショットに込める魔力が足りなかったから、挙句、武器を、私たちの武器を落として……私がピクシーだから? だからこんな惨めな思いをしなければならないの? それは、そうなのだ。わかっている。


 私はいい。でも、優奈が負けるのは間違っている。毎日ひたすらに机に向かい、知識をむさぼり尽くすかのようなあの情熱。夜中に目が覚めると、優奈がベッドの中でオベロンとティターニアの調整案のメモをしている時があった。夢の中の私が告げた案らしいけれど、そんなオカルトじみたものを真に受けるなと寝ぼけた私は言ったと思う。でもそれは、夢に出るほどRFと私のことを考えていたということだ。


 RFは情熱だけで勝てる世界ではない。それは私がなによりよく知っている。でも、優奈は本物だ。こんなところで黒星が付くなんて許せない。


 私は空になった左手を大きく前に出した。右のオベロンは剣へと変える。右手に力を込める。動け……動く。いける。


「ケイオスメロディ」


「ああああっ!」


 私は渾身の力で、オベロンを左の手のひらに突き刺した。RFでは妖精にシールドがあるから怪我をすることはないが、もしなければ剣が根本まで貫通するくらいの威力はあった。そして怪我はなくても痛みは発生する。


 ケイオスメロディの効果で視界がブラックアウトし、前後左右、上下の感覚が消失する。ただ一つ確かなのは、痛み。なにも見えないからか、左手から滝のように血が流れる様を想像してしまう。もう左手は使いものにならないけれど、それでいいし、どうでもいい。


 重要なのは二つ。痛みがあるほうからサクラが来ること。もう一つは、私の考えを優奈が読み取れるかだ。


 クロススラッシュという双剣を使った攻撃アプリがある。左の剣で横に薙ぎ、右の剣で縦に斬る。簡単な連続攻撃だけれど、充分に魔力を込めた、かつ私の最高の状態の剣筋を強制的に実行するこのアプリは近距離戦の要として開発された。


 今、左手に剣はない。だから盾にする。使いものにならない左手でスピアーを受け止めて、右の剣でとどめを刺す。クロスカウンター、いや、私たちらしくチェスでたとえるならサクリファイスだ。これを優奈に読み取って欲しい。


 信じる、なんてとても思えない。ただ賭けたい。優奈の戦闘的思考能力に、あるいは、私の考えをどれだけ理解してくれているのか、に。


 なんで泣きそうになっているのだろう。


「優奈ぁー!」


 痛みのある部分のすぐ側を突風が抜けた。これはスピアーか。腹に衝撃。優奈、遅い。


「エアリアルウォール!」


 左手に魔力が集い、展開。高密度に圧縮された空気の壁が生成された。


「なんと……!」


 すぐ近くからサクラのうめきが聞こえた。視界は真っ暗のままだけれど、声の調子から驚きおののくサクラの様子が目に浮かんだ。


「レイシャ、魔力を維持。そのまま逃がさないでよ!」


 サクラのうめきが続いている。苦痛というよりは焦りのようなものを感じる。そういえば、腹への衝撃が止まっていた。


「優奈? どうなっているの?」


「エアリアルウォールでサクラの腕を捕まえてる。このアプリの維持は簡単だし、消耗も少ない。ケイオスメロディの効果が切れるまでの時間稼ぎになるはず」


「むぅっ。防御アプリを拘束用に転じるとは……レイシャ、君のパートナーは優秀だな」


「この程度、私の下僕なのだから当然よ」


 優奈の策は、私が考えた捨て身の賭けよりはるかに確実な勝利をもたらしてくれるだろう。優秀なんてものじゃない。土壇場でこんな奇策を思いつくなんて、おかしい。恐ろしい……優奈の力が。……私はここにいていいの?


「しかし、時間稼ぎとは考えが甘い」


 じわりと腹に重さがのしかかってきた。穂先が押し込まれつつあるのだ。


「私の貫くスピアーか、君が封じる壁か、力比べといこうじゃないか」


 サクラが叫びまた腹が強く圧迫される。


 優奈の打った手は奇策にして安全策と言えるが、賭けがあるとしたら私の魔力コントロールについてだ。私がサクラの攻撃をしのぎ切りそこから逆転すると、優奈は……いや、賭けてはいないだろう。あのヘタレは賭けなど出来ない。優奈は「信じた」のだ。


「が、がんばってサクラ」


「レイシャ、負けないで!」


 こんな時に思い出したのは、真剣な顔で机に向かう優奈でも、風呂場で悔しいと叫んだ優奈でもなく、食事中や買い物中やベッドで寝転んでいる時の優奈だった。


 私は……私は世界最強なんだ。だから優奈のパートナーでいいはずだ。


「時間稼ぎ? 力比べ? 誰も彼も温いのよ!」


 一喝と共に、表情を作り上げた。全体的にパーツを大きく吊り上げ、口は裂けんばかりに歪め開く。イメージしたのは、この地で言うところの悪鬼だ。


「サクラ、あなたはあまり傷ついたことがないのではないかしら? 競り合いの最中に音波攻撃を使われてはたまらないから、戦った相手は一気に勝負を決めに来たでしょう。あなたの素早い動きと長いリーチもダメージを受けないために一役買っていたに違いないわ」


「合理的な判断だろう? それがどうかしたかい」


「傷ついたというより痛めつけられた、というべきだったかしら? この空気の壁の向こうにはこちらの攻撃も届かない。でもあなたの腕……そうね肘から先くらいは出ているのでしょう」


 小さな身動ぎの気配が伝わる。当たりだ。目が見えないからこそだろうか、サクラの動揺が手に取るようにわかる。


「勘違いしているようだけど、この状況は、そちらが攻める側でこちらが守る側ではないの。そちらは痛めつけられる側で、こちらは一方的に痛めつける側。これから右手の剣をあなたの腕へ振り下ろすわ。目が見えないからきっと上手く当てられないわ。剣がゆっくりと上がって……落ちる」


「お、おい。待て……」


「剣が、腕のすぐ傍をかすめてあなたは安堵の息を吐く。息を吸うことを忘れて、あなたはまた持ち上がっていく白銀の剣を見つめる。次は当たるのか外れるのか、ゆっくり持ち上げるからじっくり考えなさい。そして、落ちる。切っ先が腕に突き刺さり、激痛が生まれる。そしてまた上がって、落ちる。当たるまで、当たっても、何度も何度も繰り返し繰り返し。あなたは全身に脂汗をかき、もがき悶えるけれどそれだけ。己の腕が破壊される様子を眺めるしかこと出来ない。ああ、祈ることと叫ぶことは許すわ。感謝なさい」


「ちょ……レイシャ? ドン引きなんだけど……」


「ふむぅ」


「え? アイリスちゃんなんか楽しそうじゃない?」


 外野は無視。


「君はサディストなのか? よくこんな恐ろしいことを考えつくな」


「それを聞いてどうするの? すぐに記憶を失うほどの苦痛を味わうというのに?」


 私はサディストではないけれどそのように振る舞うことは出来る。それに、本当に恐ろしいのは優奈だ。


「RFにギブアップがなくて残念だったわね。では処刑執行よ」


「ぅおおおお!」


 サクラが決死の気合を吐く。私は体を無理矢理にひねり、エアリアルウォールを解除した。


「は?」


 こんなに間の抜けたサクラの声は初めて聞いた。


 恐怖を煽り立てる長広舌はすべて嘘だ。誰も彼も温い。欺くことにかけては格が違うのだ。だいたい、他者を騙せない者が自分を騙せるはずないのだから。


 物と物が激突した時の、短くこもった音がした。これはスピアーが壁に突き刺さった音だ。


 痛みのある手、左手になにかぶつかってきた。すかさず握り締め、指を伸ばして確かめる。骨、筋肉、丸み。指先に硬い感触。これはサクラの右肩と右腕、それにアーマーだ。つまりサクラの体は、


「そこっ!」 


 ショックロアで受けたしびれからも回復し、私は最高の刺突を放った。


 ブザーが鳴った。各種魔法の効果が切れ視界が戻る。倒れてきたサクラを抱き止めた。


 勝った。私はまだここにいていいの? 



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