勝利の予言 2
智子・キャスと練習してから数週間経っていた。このまま続けても黒星が増えるだけということになって、しばらく修行期間にした。
私はレイシャに教えられるまま勉強を進めていった。レイシャの技術、戦術の知識はかなりのもので、あまり認めたくないけど師弟のような関係になっていた。レイシャはレイシャで、順調……というか急速に力をつけているようだった。
八汰に出る機会も少なくなって、放課後はPCの前にいる時間が増えた。
『んっと……ショートケーキが好きです』
「そうなんだ! 八汰にあるフレッシュフォルティシモっていうお店のショートケーキがオススメだよ」
アイリスちゃんがカメラの向こうで歓声を上げる。私は今、メインモニターでビデオチャットしながら、サブモニターでプログラムを作っていた。
アイリスちゃん・サクラとの試合のあと、連絡先を交換して、それからはよくこうやって話している。かけるのは私からばかりだししゃべっている時間も私のほうが絶対に長いけど、最初に比べればアイリスちゃんはずっと心を開いてくれるようになったと思う。
「クリームがおいしいんだ。あのかすかな酸味はきっとオレンジソースを使ってるね」
「わぁ。そういうのわかるんですか?」
「自分で作れば勘が働くようになるよ。それに私の場合は、その……真剣に食べてるから」
カロリーオーバーしないよう計算して作り出した貴重な贅沢の機会を無駄にしたくないから、という意味だけど、まだ子供のアイリスちゃんに対して世知辛い十代の悩みを吐露しようとは思えなかった。
「はぁ……鏡島さんってすごいんですね」
「あ、ははは……」
無垢な称賛の眼差しが後ろめたい心にザクザク刺さる。そらした目線の先で、ドアが開いた。トレーニングを終えたレイシャが帰ってきた。
「おかえりー」
「主人に対する礼がなってないわ。膝を折り頭を垂れて出迎えなさい」
「ホントにして欲しいと思ってるの?」
「そんな気色の悪いものを見せられたら発狂してしまうわ」
「いいこと聞いた。今度やろう」
『あ、あのっおかえりなさい』
「あらアイリス。こんな格好で悪いわね」
レイシャはジャージを着て髪をアップにまとめたトレーニング用のスタイルだ。汗を吸ったタオルがうっすら赤くなった首にかかっている。
「なんの話をしていたの?」
『鏡島さんはすごいって話です』
「ええっ? っじゃなくてフレッシュフォルティシモのショートケーキがおいしいって話!」
「アイリスの妄言は聞き流すとして、あそこのケーキは確かに絶品ね。下僕と同じ味覚というのは承服しかねるけれど」
「レイシャは味の好みがうるさすぎるの。毎日作る身にもなってよね」
「私が鍛えてあげてるのよ。感謝なさい」
「レイシャ用にチューニングされていってるんだから鍛えてるっていうよりも、ちょうきょ……あー! 考えたくない!」
『んっと……鏡島さんがお料理してるんですか?』
「まあね。ウチは二人暮らしみたいなものだから全部やるよ」
アイリスちゃんは不思議そうに大きな目をぱちくりしている。可愛い。けど、なにが不思議なのか不思議で、私もぱちくりしてしまう。
「家庭環境の差異が理解出来なかったのではないかしら」
「そっか……アイリスちゃんは父さんと母さんとサクラと一緒に住んでるの?」
『はい?』
それ以外にあるのか、と思っている顔だ。
「私の両親は仕事が忙しくてほとんど家にいないの。だから二人暮らし」
『ほぁ……やっぱり鏡島さんはすごいんですね……』
「いやぁ。家族と仲が良くて、自分のやりたいことがあるアイリスちゃんのほうが偉いよ。ボーカル教室は明日だっけ?」
さり気なく話しの向きを変える。アイリスちゃんの夢は歌手兼RFプレイヤーで、サクラと一緒に音楽もRFもがんばるらしい。とてもいい子だ。
「はい……あの、家族のこと、嫌いなんですか……?」
速攻で容赦なく切り返してきた。なんでこんなに食いついてるの……
「え、えっとね、嫌いってわけじゃないんだけど……」
「私はサクラ好きです」
「うぅん……?」
アイリスちゃんの裏表のない言葉と眼差しは、私の中で反射してあなたは違うのか? という問いを作った。レイシャに目をやる。向こうもこちらを見返してきて、軽く睨み合いになる。常に一触即発状態の相手を好き判定するのは無理がある。
「まぁ家族って感じはないね。パートナーが一番適切かな」
「あなたは下僕だと何度言えばわかるの」
「これの言うことは気にしなくていいからね」
「ふん……あらあなたコードを書いていたの?」
レイシャはマイペースに話を変えてきた。さっくり切り替えて、それに乗っかる。
「うん。とりあえずバグはないと思う」
「どうかしらね。この前みたいにリークさせたら許さないわよ」
「違うって。これはRF用のじゃなくて、言ったでしょ、ライオットチェス」
レイシャに、出会った時に挑んできた変則チェスを開発させてと頼んだら、二つ返事でオーケーが出た。あんなにおもしろいのに、レイシャ自身はどうでもいいと思っているようだった。ゲームをライオットチェスと名付けて、私はRFの勉強の合間にコツコツと作業を進めていた。
「まさか本当に作っていたなんて」
『チェス、出来るんですか……?』
二人同時に言われた。私は片手を上げてタイムの仕草。
「えっと……まずアイリスちゃん。チェスはほぼ暗記ゲーなの。序盤と終盤は大昔に研究され尽くして定跡以外に指せる手はないし、中盤もそれに近づいてきてるの。そんなゲームで人間がコンピュータに勝てるわけないよね。この前のGMTでも……」
アイリスちゃんがまた困っていた。ハの字眉が可愛い。ではなく、言い回しが硬かったと反省する。砕けた言い回しに変えてチェスの概要と問題点を語ると、アイリスちゃんはこくこくうなずき聞いてくれた。
「……で、ライオットチェスのいいところは、読み合いや精神力が重視されてるところ。人対人の対戦ツールとして優れているの。ある意味RFに近いかもね。だからレイシャ、これはちゃんと形にしてリリースしないと」
『なんでも知ってるんですね……』
「はは。そんなことないよ」
モニターの向こうから敬意の光線が放たれる。私は思わず照れ笑い。呆れ気味に首を振ってるレイシャはスルーする。
スピーカーから小さな音がして、アイリスちゃんがなにかに反応した。
『あっ、もういいの?』
『そろそろだから……おっと失礼。やあレイシャ、優奈』
部屋に入って来たのはサクラだった。相変わらずの爽やかさで、凛々しい物言いが様になっている。
「ちっす、サクラ。なにしてたの?」
『夕食の用意を手伝っていたんだ。単純な作業などは、ループを仕込んだ魔法があるとずいぶん捗る」
「へーえ。どこかの誰かも手伝ってくれたらいいんだけど~?」
ジト目にでレイシャをガン見する。
「ありもしない幻想を求めるのは止めて己の腕を磨きなさい」
「幻想とまで言い切る姿勢には逆に感心するわ」
「やっと私の素晴らしさに気づいたようね」
「意味わかってるのにあえて曲解して見せるセンスだけは認めざるを得ないわね」
視線は雷となって、私とレイシャの間でスパークが弾ける。その様子を見てか、サクラの口から小さな笑いが漏れる。
『まさに丁々発止だね。息ぴったりだ』
「どこがっ!?」
「なにがよっ!?」
『早速自ら証明してくれたようだ』
「うぅ……」
「くっ……」
熱くなった顔をそらす。大きくなったサクラの笑い声が異様に腹立たしい。
『あの、私で良かったら手伝いますから……』
アイリスちゃんの天使発言に急速に癒される。
「気持ちだけで充分嬉しいよ。アイリスちゃんはそのまま真っ直ぐ純粋に育ってね」
『はっはっは! いや失敬。おおっと、逃げるんじゃはないが私はアイリスを夕食に呼びに来たのだった』
「そんなの思ってないって。じゃ、今日はこの辺にしよっかアイリスちゃん」
「はい……あの、また……」
「うん。またね」
軽く手を振って、通話を切った。話し込んでいるうちに日はすっかり沈んでいた。部屋の照明は、明度が下がると自動的に点灯する仕組みでなにかに集中していると日没に気づかないことも多い。
「私たちも行こっか」
一緒にお風呂に入ってご飯を食べる。レイシャとの生活スタイルも馴染んだものだ。
部屋で食休み中、ふと思い出して言ってみる。
「ライオットチェスのことなんだけど、対戦ツールとは言ってもやっぱりコンピュータ戦は必要だと思うの。でも思考ルーチンの構築が上手くいってなくて」
「ランダムチェスを応用すればさほど難しくないでしょう」
「そうでもないの。基本は早指しランダムチェスって考えればいいけど、体力ポイントと三秒間で指せなかったら相手に手番が回ってしまうシステムがクセモノで。これって逆に考えれば体力削れば手番をパス出来るってことでしょ。こんなの発案者のレイシャに言うことじゃないけど」
「えっ? ああ、そうね当然気づいてたわ」
その反応は絶対気づいてなかった。まあいいけど。レイシャは取り繕うように言葉を続ける。
「肉を斬らせて骨を断つ。好きな思想だけどチェスではどうかしら。ルール上可能であるだけでパスして有利になる戦局なんてあるもの?」
「ツークツワンクが成立しなくなるし、早指しの焦りからサクリファイスを誘発しやすくなるかもと思ってる」
「……一理あるわね」
「で。ちょっと遊ばない? 棋譜取って研究したいの」
「身の程知らずの挑戦者をひねり潰すのも発案者の務めね」
「初めてやった時はボコボコにされたくせに」
「なにか言った?」
ギロリと睨みつけるレイシャに、唇を端を上げて答える。
「空疎な地位にしがみつく発案者の目を覚ましてあげるのも挑戦者の務めね、って言ったの」
ケータイをローテーブルに置いてレイシャと向い合う。アプリを起動すると、ホロモニターが回転して水平になる。そこにランダム配置されたチェスセットが現れた。
「前と同じで駒の移動は音声認識で。駒が『鏡の国の』キャラじゃないのは悪いけど」
「いいわ。始めましょう」
で。
ゲームスピードが速いから当然だけど、それにしてもあっという間に終盤だ。やっぱりボコボコにしてしまった。
「ポーンをg8へ。プロモーション・クイーンね。チェック」
この前と似たような盤面だ。私のクイーンが8thランクを支配し、レイシャのキングは7thランクに逃げてくる。
「a4のクイーンをa7へ」
「く……キングをe6へ。ルークを撃破!」
「ポーンをf5へ。これでチェックメイト」
「えっ? ……あっ、あああ」
レイシャの顔にみるみる朱が差す。
「ポーンで詰めるなんて陰険な手ね!」
「戦術でしょ。ポーンだって重要な駒なんだし」
思いっ切り不機嫌なレイシャをどうなだめようかと思っていると、PCからメール着信音がした。私はサブジェクトを見て、内心手を叩いた。ベストのタイミングだ。
「ふふふ。ではここでレイシャさんにプレゼントです」
「いきなりなによ」
メールの内容を確認していく。
「ん。レギュレーションは通ってた」
「その言い方だとRFのアプリかしら? えっ? もう完成させてしまったの?」
レイシャはかなり驚いている。しめしめだ。
「そう! ビックリしたでしょ」
「打ち合わせもなしに勝手にことを進めるのは感心しないわ。私に扱えないものだったら時間も労力も無駄になるのだから」
修行期間を作ろうと言い出したのはレイシャからだった。あの時の、固いものを無理やり飲み込むような顔が忘れられない。
きっと、レイシャは大好きなRFに参加してそして現実のあまりの厳しさに深く傷ついた、と推測した。何度か探りを入れてみたけど、レイシャは葛藤や悩みを口に出さず、はぐらかされてばかりだった。
問題を自分の内に留めるのなら、それはそれでいい。私は私で、もちろん勝ちたい思いもあるし、レイシャのことは別に心配とかじゃないけど、絶対にないけど、このアプリで元気づける効果があればいいと思った。
「レイシャをビックリさせたかったの」
「相当自信があるようね?」
「もちろん」
挑発するような口調のレイシャに、私も同じ調子で答える。
「ちょっと考えたんだよね。レイシャ、なんかずっと戦いにくそうな感じがしてて」
「戦いにくい?」
「ツインハンドガンもロングソードも、どっち使ってももどかしいというか、両方使えたほうがいいのかなって」
「そんなの考えたこともないわ」
「自動車を発明した人は、クライアントの要望に応えるだけだとずっと馬車を作り続けていただろう、って言ったらしいよ」
「歴史に残る発明になぞらえる大胆さ。悪くないわね」
「ブレイクスルーの重要性のほうを読み取ってよ。まあだから、これは私からの提案。私たちは今はまだぐだぐだのポーンみたいなものだけどさ、この武器がきっと力になるはず」
アプリの詳細を表示する。各種データと、3Dモデル。
「これって……」
レイシャの見開かれた目に映っているのは、二本一対の白銀の剣。異様にゴツい剣身部分は銃の発射機構が組み込まれているためだ。
「ツインガンブレード。撃って斬る、『どっちか』じゃなくて『両方』。世界最強なんて欲張りな野望を持つ私たちらしいでしょ」
目も口もまんまるにして、レイシャはフリーズしていた。かなり面白い顔になっている。
「言葉も出ないくらい喜んでくれた?」
レイシャはフリーズから解凍されて、今度は沸騰された桜エビみたいに真っ赤になる。
「……あ、あなたは下僕なのだから主人を喜ばせるのは当然の義務よ」
「喜んでくれたんだ。いやぁ、こっそりがんばった甲斐があったわー」
「そのニヤニヤするのをやめなさい!」
「はいはい」
「名は?」
「右大臣、左大臣」
はぁ~、とレイシャは重力子が付加されたようなため息をつく。
「せっかく上がったレイシャのテンションが!?」
「貸しなさい」
レイシャはホロキーボードを妖精サイズに縮小して、なにごとか打ち込んで申請。すぐに通ったようだ。
「えっと……オベロンとティターニア。シェイクスピアだっけ?」
「かの二大女王の名を冠する。これもまた『らしい』でしょう?」
「いいね。……ねえレイシャ。話したくないことは話さなくていいけど、私たちはパートナーだってこと忘れないでね」
「そっちこそ下僕であることを忘れないようになさい」
またはぐらかされたけど、ひとまずは成功だ。真剣な顔でデータを読み始めたレイシャに、私はまたやっぱりニヤニヤしてしまっていた。
新武器をレイシャに公開してから数日。新たにツインガンブレード用の攻撃アプリの開発に取り掛かっていた。とはいえ私は高校生で、一日中RFのことばかりしているわけじゃない。
三時間目が終わって智子と一緒に教室移動の途中、急に息苦しくなった。全身を縛り上げられるようなこのプレッシャー。
「どうしたの優奈?」
「ん……この感じは……」
廊下の向こうから、圧倒的なオーラを放つ人影が来る。やっぱりそうか。
「なるほど」
智子も納得したようで、その人を待ち構えた。
「こんにちわ。千鶴さん」
「あら奇遇ね、大橋さん。それに鏡島さんも。こんにちわ」
「……ど、どうも」
藤野先輩は、人の神経を麻痺させるような完璧な微笑みを浮かべた。私はそれに飲み込まれないように、でも最低限失礼にならないように、引きつった笑みでぎこちない挨拶をした。
「ていうか智子、下の名前で呼ぶぐらい藤野先輩と親しかったんだ?」
「私は優奈が千鶴さんと知り合いだったことに驚いてる」
「私には、二人がとても仲良さそうに見えるわ」
「恋人です」
「違います」
智子が速攻で嘘を吹き込んでいた。バッサリ斬り捨てる。
お互いに紹介し直す必要があるだろう。智子に任せるのは危険だし藤野先輩はなにを考えているかわからない。気が進まないけど、私が仕切って話を進めた。
「エリアランカーで、同じ学校なら繋がりあるほうが自然か」
「千鶴さんと対戦したなんて聞いてない」
「幼なじみなのね。それに恋人でもあると」
「ほんっと勘弁してください……」
「くすくす」
鈴が転がるような声で藤野先輩が笑う。
意外だった。藤野先輩がこんな冗談……だと思いたい、のようなことを言ってくるなんて。機嫌がいいのか、いや私が藤野先輩のことを知らないだけか。
「千鶴さんも教室移動ですか?」
「いいえ。少しだけ委員の仕事をした帰りよ」
「……普通に委員に参加してるんですね。意外でした。藤野先輩みたいな人は生徒会に入ってるイメージがあって」
藤野先輩は柳眉を上げていた。たぶん、驚かれている。
「私が生徒会に入っていないと知らない子が、この学校にいると思わなかったわ」
「あっいえ、そういうわけでは……」
関心がなかったと言っているのと同じだ。ぞわぁっと冷や汗が噴き出す。
「鏡島さんは興味深いわ」
「あ、ははは。どうも……」
どうやら気分を悪くしてはないようだ。むしろ良くなったくらいに見える。だからって、この人の前でほっと一息つくのは無理だけど。
「生徒会に入って欲しいとは言われているのよ。でも私のような人間が権力を握るのは政治的に問題があるの。逆になにもないと勘ぐられることもあるし、普通に一委員として働いているの」
「千鶴さんのような人間ですか?」
智子が聞き返す。
「巨大企業グループである藤野家の力という意味もあるけど、私自身の、自分で言うのも気が引けるけどカリスマを恐れる人がいるのよ」
藤野先輩は自分自身の能力を理解していた。
藤野先輩がその気になれば生徒の十人や百人、意のままに操れるに違いない。山英には政財界に力を持つ家の令嬢も多く、その子たちを動かせば一体どれだけの影響力を行使出来るのか……一般人の私でもぞっとしてしまう。
「山英はわりとのんびりした学校だと思ってましたけど、やっぱりそういうのあるんですね」
「どうかしら。少なくとも、私の周りは私自身を封じている限りは平和よ」
「だから千鶴さんは実力を示せるRFをしているんですか?」
「それは考えすぎ。私はただRFが好きなだけよ。本当はね……」
恐ろしいほど魅力的な微笑みの中に、いたずらっぽい成分を浮かぶ。
「生徒会に入ったりしたらRFに取れる時間が減ってしまうでしょう? だから断ってるの」
藤野先輩は、長くすらりとした人差し指を立てて、ナイショよ、とポーズを取る。
全身に鳥肌が立った。脳が全力で精神防衛をしている。そうしないと飲み込まれそうなくらい蠱惑的な笑みと仕草だ。
「二人とも、RFの調子はどうかしら?」
「順調です。シーズンツーのエリアチャンピオンシップ出場は確実」
「結構ね。鏡島さんはどう?」
「えっと……今は修行期間中です」
「そういうのも大事ね。どんなことをしているの?」
「たいしたことはしてないです。私は勉強してアプリ作って、レイシャは体力と魔力のトレーニングしてるだけで」
「もうアプリを作れるようになったの?」
藤野千鶴が興奮した調子で言うから、私は手を振って否定する。
「あ、いえ。前からプログラミングの知識はあったんでRF用に追加でちょっと勉強しただけで。この前なんかバグ出してレイシャに怒られましたし」
「そういう時もあるわ。失敗から学ぶことも多いものよ」
「はい。まあ成果といえば武器を作ったぐらいで」
「武装アプリね。それはどんな……いえ。これ以上はマナー違反かしら」
「……企業秘密です。そろそろ仕上げてまた街に出ようと思ってるんで」
「八汰で会えるかもしれないわね。期待してるわ」
「千鶴さんが……期待してる?」
淡々とした智子の口調に、おののきのようなものが混じっていた。藤野先輩の穏やか笑みは崩れない。
「優奈はまだ初心者。千鶴さんが気にかけるようなことはないはずです」
「ひどい言われよう。まあその通りなんだけど」
「いいえ。大橋さんは練習試合をしただけでしょう。私は直接対決したの。彼女は本物よ」
「そんなに持ち上げられても困るというか、まだ一勝もしてないんですけど……」
エリアチャンピオンにベタ褒めされてしまった。けど意味がわからず困惑するばかりだ。
「時間の問題よ。すぐに私も、大橋さん、あなたも脅かされるようになるわ」
「千鶴さんがそう言うなら……そうなんでしょう」
智子はあっさり引き下がってしまった。そして、長い付き合いの中でも私が見たことのなかった、獲物を見るような目付きに変わっていく。
「くすくすくす」
「ふふふ……」
「なにこの雰囲気っ!」
「楽しみなのよ」
「このエリアの上位陣は固定されつつある。それを壊す者が現れた。優奈は台風の目になってくれる」
「そんなこと言われてもね……」
「真剣にやってくれればそれでいいのよ」
「もちろん、そのつもりです」
これだけは、戸惑うことなく断言する。
「嬉しい返事ね。さて、そろそろ行きましょうか」
「あっ、時間! 授業!」
「じゃあ二人とも。また会いましょう」
「さよなら」
「失礼します!」
軽く礼をして、智子と足早に移動する。藤野先輩と離れるにつれ、だんだん呼吸が楽になっていった。
「はぁ~……藤野先輩の近くにいて、智子は平気なの?」
「もう慣れた」
なにの、と言わずとも智子は理解してくれた。やはり藤野先輩でまず話題になるのはあのオーラだ。
「慣れる日なんて来るのかなぁ」
「慣れた……ではなく克服したと言うべきだった。本気で戦うことになったら、そんなこと気にならなくなる。気になってしまうなら負けるだけ」
「これは訊いていいのか迷うけど流れだから訊くね。智子は藤野先輩に勝ったことあるの?」
「ない」
「そっか」
レイシャの解説を思い出す。藤野千鶴・リーゼはぶっちぎりでエリアランク一位。クイーンと呼ばれるほどの強さを誇ると。
「少なくともこのエリアで千鶴さんが負けた話は聞いたことがない」
「それは強すぎる……」
「千鶴さんはもうこのエリアの誰も相手にしていない。きっと新人の優奈のほうに期待をかけてる」
「すごい理屈だね。私が智子より格上扱いなんだ」
「千鶴さんは正直な人。だけど……あからさまに優奈ばかり構って、私は傷ついた」
基本的に表情を動かさない智子の、口元がとがっている。不意打ちのすね顔を可愛いと思ってしまう。
「いいじゃん。勝って見返してやればさ」
「ありがとう。優奈は優しい。慈悲深い。女神」
「それはいいから」
「優奈に期待してるのは、私も本当。このエリアの上位陣が固まってきてるのはそれだけしか千鶴さんの前に立てる人がいないということ」
「あの凶悪なオーラのこと?」
「そう。実力があっても千鶴さんの前だと正常な判断が出来なくなるRFプレイヤーは結構いる」
「どうせ勝てないなら、まともにやってもテンパッても一緒じゃないの」
「精神力の問題。千鶴さんはある意味、試験官のような存在。あの人の前に立って正気でいられるなら、試合や大会のプレッシャーにも勝てる」
「え~? 私が人前出るの苦手なの、智子も知ってるでしょ」
「優奈がそう思ってるだけ。この件は前から仮説を持っていた。優奈が、千鶴さんと普通に会話したことで仮説の信憑性が上がった」
「普通じゃないよ。藤野先輩の近くにいるのはしんどいし、苦手なのに変わりない。でもその仮説は気になるな」
智子がコクリとうなずく。
「優奈と私にはたくさんの共通点がある」
「そりゃ生まれる前からの付き合いだからね」
「お互い愛し合っていることもそのひとつ」
「そこだけは死後でも共通しないと思うわ」
「優奈は当たり前だけど、私も鏡島家にいる時間が長いのもそのひとつ」
「……え~、だから?」
「おばさんの作ったオブジェと長時間接したことで異常な事態への耐性が付いた可能性がある」
「いやいやいや! あの異次元物体と先輩を同等扱いするのは失礼すぎるでしょ!」
「高名な芸術家の作品と同等の存在感がある」
「ものは言いようね。あれと同等って言われて喜ぶ人はいないと思うけど」
もったいぶるからどんなものかと思えば、超トンデモ理論だった。
「せっかくだからオブジェを使って精神修行もしてみるとか」
「それ精神的自殺と同じ意味だからね?」
「大丈夫。壊れた優奈でも私は愛せる」
「そんな話してないからー!」
駄目だ。私の周りには無機物も含めてまともなのがない。
「まあとにかく期待に応えられるようがんばるよ。どうせ世界最強になるんだしね。そのための、最初の大きな壁が藤野先輩ってわけでしょ」
「また私の扱いが軽い……」
「うそうそ。ちゃんと智子とも戦うって」
「楽しみ。キャスも喜ぶ」
「レイシャが邪悪な笑みでリベンジに燃える様子が目に浮かぶわ」
「む。楽しそうに奴の話するの禁止」
「楽しそう? 意味が……」
「禁止!」
智子がぐりぐりと体を押し付けてくる。
「ちょ、やーめーてー!」




