94:王の独白
わいわいと言い合う貴族たちを眺めて、クロエは思う。
(大地の精霊はやり方が極端なのよ。豊作なのは嬉しいけど、他の地域とここまで差があると、どうしても嫉妬されてしまう)
中立派――いわば日和見派――の貴族たちも、麦の援助目当てでクロエに近づく者が増えた。
食料は人の生死に直結する。飢え死にの回避はもちろん、民の暴動が起きる前に解決しなければならない。
豊作で嫉妬を買うデメリットはあるが、麦の動きをクロエが主体的に握るチャンスでもある。各地に恩を売りながら、民の被害を防ぐ。
その日の会議は、国王の名の元に麦を公平に分配すると確認して終わった。
「クロエよ」
会議が終わり、退出しようとしたクロエを国王が呼び止めた。他の貴族や王太子が足を止めるが、王は手を軽く振って部屋を出るよう促した。
「お前を追放した私を、恨んでいるか?」
父娘と侍従だけになった会議の間で、クロエは王を見る。
元から親子の情は薄かった。幼い頃の教育は全て教師任せで、何ヶ月も父の顔を見なかった時期も珍しくない。
母である王妃はサルトを産んですぐに死んでしまった。クロエにとっては両親は遠い存在だったのだ。
別に寂しいと思ったことはない。教師や侍従や学友たちが、いつも彼女のそばにいたので。
弟は懐いてくれて、可愛かった。兄とは不仲だったけれど、クロエも兄が嫌いだったから構わない。
だから彼女は答えた。
「恨んでおりません。まぁ、せいぜい腹が立ったくらいですわ。父上に、というよりも、無能スキルが出てしまった自分に、です」
本当を言うとスキル鑑定をした大司教にだが、そうと言うわけにもいかない。
「私は北の土地で様々な事柄に出会いました。色々なことがありすぎて、当時の怒りはもう忘れてしまいましたの」
「そう……か」
王は目を伏せた。いつも尊大な彼のそんな様子に、クロエは目を瞬かせる。
国内の飢饉が彼を追い詰めているのだろうか。それとも、意外にもクロエの追放を気に病んでいたのだろうか。
「父上」
今を逃せば、父の本心を聞く機会はないかもしれない。そう考えて、クロエは口を開いた。
「父上も、精霊は邪悪だと思いますか? 北の土地で出会ったエレウシス人たちは、精霊を友人と呼んでいました。町を出て自然と隣り合わせで暮らしてみれば、その考えも理解できます。救世教はセレスティアの国教。でも、特に影響が強くなったのは、エレウシス戦争以来です」
「……私は」
床に目を落としたまま王は答えた。
「精霊については、判断ができぬ。エレウシス戦争の当時、私は弟と王太子の地位を争っていた。弟は優秀で、多くの者が彼を国王にと望んでいた。私が立場を守るには、大きな功績が必要だった。だから救世教の手を借り、かの国を滅ぼした……」
呟くような独白は、誰に向けてのものだろうか。
その弟は今はもういない。エレウシス戦争に反対したために、終戦後に国家反逆罪で処刑された。
「だが……だが、あんな虐殺をやる必要はあったのだろうか。戦争に流血がつきものなのは、私も覚悟していた。しかしあれは想像を超えていたのだ。幼子も老人も、彼らは……いや、我らは等しく殺した。逃げ惑う者の背中に容赦なく剣を突き立てた。――私は今でも悪夢を見る。泣き叫ぶ声が耳を離れない」
王は暗く嗤った。
「そうして得た勝利の対価は、荒れ果てた土地ばかり。エレウシス王国の本土は豊かな土地だったが、救世教は穢れた地だと主張して占領はままならなかった。彼らの兵力を借りた以上、私に発言権はない。結果、我が国の兵士に損害を出し、敵国の無辜の民を虐殺して……終わってしまったのだ」
「…………」
「そうした結果を成果として、喧伝したとも。邪悪の国を討ち滅ぼし、国の平和を守ったとな。生き残りのエレウシス人は実質の奴隷として、今でも過酷な労働を課している。彼らは私の罪の証だ。此度の飢饉も、あの時の罪が巡り巡っているのかもしれぬ……」
クロエは父である国王を見た。かつては大きく見えた存在が、痩せこけて小さくなってしまっている。
その姿を見ても、彼女の心は動かなかった。エレウシス人の村人たちと、亡国の王子であるレオン。彼らこそがクロエの心の中にいる。
「父上のお気持ちは分かりました。悔いておられるようですね」
王は顔を上げた。その視線を正面から受け止めて、クロエは続ける。
「けれどいくら悔いたところで、過去は取り返しがつきません。それに、エレウシス人が父上の罪の証? うふふ、そんなことはありませんわ」
「クロエ?」
「だって彼らはたくましく生きていますもの。理不尽な境遇を強いられながら、それでも生き抜いています。父上の罪などとは関係ありません!」
胸をそらして堂々と言い切れば、王はぽかんとして娘を眺めた。
「そう思うのなら、さっさと彼らを解放すればよかったのです。今からでも早急に手配なさいませ。それから、飢饉は父上と無関係です。なんでもかんでもご自分と結びつけて考えるなど、傲慢にすぎますわ。世界は父上を中心に回っているのではないのですよ」
「……それは」
「あなたも王であるならば、今この時を乗り切るよう力を尽くしてくださいませ。私はそうします。幸いなことに国政に復帰できましたから、力を振るえる機会も増えるでしょう。父上の王としての矜持に期待いたしますわ」
言い放って、クロエはさっさと踵を返した。
振り返ることはしなかった。父はそれを望んでいないと感じたので。




