68:裁判3
裁判所に静寂が訪れた。誰もが信じられないものを見る目でゴルトを見ている。
「で、でたらめだ! その毒だったから何だというのだ。そうだ、その暗殺者とやらはわしの倉庫から毒を盗んだに違いない。わしこそ被害者だ!」
裁判長が言う。
「被告人は発言を慎むように。毒の扱いは本件とは別の話だが、盗まれたというのであれば改めて調査を入れよう。何せミルカーシュ王国で禁制とされている毒だ。扱いには慎重を要す」
墓穴を掘ったと気づいてゴルトが顔色を青くさせた。
実際のところ、毒はかなり希少な種類でしかも混合されていた。ミルカーシュ出身のザフィーラがいなければ、毒の正体を突き止めるのも解毒も不可能だっただろう。その意味ではゴルトに運がなかった。
クロエは一歩進み出た。
「以上が私たちの主張です。――北の村、かつての荒れ地は貧しい土地でした。それが去年の水脈の発見を契機に、豊作になり、人が増えていった。私たちは信頼と誠実さをもって商いに当たりました。行商人たちが集まり始めて、商売は軌道に乗った。そこへ現れたのが、ゴルト商会です」
クロエは言葉を切って、裁判場を見渡した。興味本位の平民たちから、各派閥に属する貴族たちまでが揃っている。
その中でも王太子を支持する貴族たちに視線を向けて、彼女は続けた。
「そして、ゴルト商会に肩入れしていた貴人がいると耳にしています。名誉を守って正しい道に戻るか、あるいは権力に溺れて腐敗を続けるか。その方には是非、選んでほしいと思っております」
ゴルト商会の後ろ盾に王太子がいるのは、周知の事実だ。だが今回、王太子に至るまでの明確な証拠はない。ロイドがゴルトから伝え聞いただけでは、王族、それも次期国王となる王太子を訴えるのは弱いと言わざるを得なかった。
だからクロエはそれ以上は追求せず、プレッシャーをかけるに留めた。
――お前の悪事は知っている。これ以上は許さない。
そんなメッセージを込めて、王太子派の貴族を見据える。視線を受けた貴族は口元を引き結んで、早々に退場していった。
「私の主張は以上です」
「承知した。被告人から反論はないか?」
裁判長が問いかけるも、ゴルトは魂の抜けたような顔で座り込んでいる。もはや全ての気力をなくしたようだった。
審議の時間を経て、判決が言い渡される。
「ゴルト商会は有罪。クロエ王女殿下が提出した証拠および証言は、ほとんどが有効である。ゴルト商会は交易認可を剥奪の上、財産を没収。この事件に関わった商会員は、罪の重さをそれぞれ調査の上、刑罰を執行。クロエ王女殿下の暗殺を企んだかどで、商会長は死刑に処す」
わっと歓声が上がった。
「盗賊一味は鉱山労働刑。本来であれば五年だが、事件の迅速な終息のために証言したことを鑑みて、三年とする。さらにロイドは――」
裁判長はクロエとロイドを見た。
「クロエ王女殿下の領地にて、四年の労働刑。その間は自由市民の身分を制限する。王女殿下に誠心誠意仕えるように」
ロイドは目を見開いた。彼はてっきり、長期の禁固刑か厳しい労働刑になると思っていたのだ。死刑さえありえると。
「クロエ様、俺が村に住んでいいのですか」
「まあね。でも勘違いしないでよ? 最低限の衣食住は保証するけど、お給料は子どものお小遣いレベルだから。バリバリ働いてもらうからね」
「はい……! 何でもいたします、畑仕事でも、魔牛の世話でも、肥溜めの掃除でも!」
「いやまぁ、やる気はあるのはいいことね」
ロイドの熱意にクロエはちょっと引き気味だ。
「ロイドおにーちゃん、よかったね!」
ペリテは手放しで喜んでいる。ロイドは彼女の頭をくしゃりと撫でた。
そんな彼らを見て、傍聴席から拍手が上がった。
「王女殿下、やるじゃないか」
「彼女こそ統治者の素質がある」
「見事な裁判だった。無能なんかじゃないよ、殿下」
そんな声が聞こえる。
鳴り止まない拍手の中、クロエは手を上げて聴衆の歓声に応えていた。
勝利を掴み取ったクロエたちは、弟王子のサルトへの礼を済ませた後、少しの時間を王都滞在に費やした。
兄である王太子は子飼いのゴルト商会を失い、経済的な基盤を削がれた。同時に信用と権威も大きく落ちている。ゴルト商会は厳しく罰せられて、事実上の解体。もはや再起は不可能と目されていた。
領地運営の成功と裁判の勝利の功績をもって、クロエの追放は解かれた。以降は王都への帰還も自由となる。
クロエは中立派の貴族に渡りをつけて、人脈の再形成を行った。
「今回のことで実感したの。私に力がなかったから、相手に侮られた。おかげで必要以上に噛みつかれたわ」
王太子の信用が失墜しているために、中立派の囲い込みも楽だった。サルトを中心に派閥を作って、情報を素早く得られるようにする。
「サルト。あなたさえよければ、立太子への後押しをしてもいいのよ? 兄上は頼りにならないから」
「……いいえ。僕は兄弟で争いたくありません。でも、もし姉さまが王位継承権の再取得を目指すというのなら、僕も力添えをします」
王太子は長男ということで立太子されていたが、元々はクロエと王位継承権を争っていた仲である。
ただしクロエの本来のスキルは【大地の精霊の祝福】。精霊を敵視する救世教の影響が強いこの国で、本来のスキルが明らかになれば強いバッシングを受けるだろう。大司教は事を表立てるつもりはないようだが、彼はどちらかというと敵だ。そして、大司教に大きな借りのある国王も味方とは言えなかった。
クロエの本来のスキルは、彼女本人とレオンしか知らない。
「兄上が国王になったらどうしましょう。いっそ、北の土地を独立させちゃいましょうか」
クロエは冗談めかして言ったが、案外それもいいのではないかと思う。たどり着くまでの大変さを考えるとめまいがするけれど、我が身と領民を守る最善手であるかもしれなかった。
そうして夏も終わる頃、クロエは北の領地に向かって王都を発った。王都から領地までは移動だけで一ヶ月もかかる。到着する頃にはもう秋だ。
「秋の収穫が始まる頃合いね。楽しみだわ。サルト、またおいでなさいな。いつでも歓迎するわよ」
「はい、姉さま!」
一年半前、北の荒れ地に追放された時は寂しい出立だった。けれど今はサルトの他、縁をつないだ貴族や商人、クロエを慕う市民たちに見送られての出発となる。
振り仰いだ先は、秋の始まりの高い空。思わず長く見つめてしまいそうな、美しい青空だった。




