54:ゴルト商会
春も後半のセレスティア王都では、王女の噂で持ちきりだった。
「おい、聞いたか? 去年、追放されたクロエ王女様。荒れ地を見事に復興させて、今じゃあ名物の売り込みに力を入れているんだってさ」
「知ってる! 魔牛石鹸でしょ? うちも一つだけ買えたから、使ってるよ。泡立ちがきめ細かくて気持ちいいんだ」
「情報が遅いなあ。今の話題はムーンローズが入った石鹸だよ。すげーいい香りで、しかも魔物除け効果がある。貴族様しか手に入れられないような高級品!」
「へえ、いいなあ。見てみたいなあ。それにムーンローズっていう名前がロマンチックよね」
「紫色のきれいなバラらしいぜ。石鹸は高級品だけど、ムーンローズのポプリなら買えるかもだよ。あれはけっこう数が出ているから」
「えー! 欲しい!」
「元は荒れ地だった場所に咲くバラ。追放された悲劇の王女様のバラ。物語みたいだね」
追放された不遇な王女への同情と、逆転劇を成し遂げた話題性。それらの要素と目新しい商品が合わさって、ちょっとしたブームが起きていた。
商品の量がまだ少ないこともあって、プレミア感が出ている。貴族などの富裕層はこぞってムーンローズ石鹸を買い求めた。
(クロエ様の戦略がハマったな)
あっという間に売り切れた荷馬車の荷を眺めながら、フリオは内心で頷いた。
ただ商品を売るのではなく、背景の事情をドラマのように演出する。それがクロエの指示だった。
ポプリは元々数を確保できていたが、少し良い布の袋に小分けにして詰め替えることで数量を増やし、高級感を出した。
貴族は高価な石鹸を、庶民はもう少し安価なポプリを。棲み分けをしつつ、ポプリは旅人や行商人など魔物除けの恩恵を切実に欲している人にも売る。
こうすれば知名度を上げながら、一時のブームが去った後でも実需が残るだろう。
ずっしりと重くなった財布を手にして、フリオはにっこりと笑った。
夏になった北の村は、ますます活気を帯びていた。
夏野菜はどれもが大ぶりで美味しくて好評。ミツバチはムーンローズの花畑を飛び回り、たくさんのハチミツを集めている。
塩生植物は旺盛に茂って、石鹸は毎日作られていた。
行き交う商人たちがずいぶん増えた中、一際立派な荷馬車がやって来た。馬車の側面には紋章までついている。
「クロエ王女殿下にご挨拶申し上げる。わしはゴルト商会長のゴルトです。これは秘書のロイド」
村の広場で馬車から降りて、男性が口上を述べた。四十歳前後の身なりのいい人物だった。隣の二十代前半の若い男性が頭を下げる。こちらは細身で背が高く、目付きの鋭い人だ。
ゴルト商会といえば、セレスティア王国でも指折りの大商家である。その商会長が自ら来たのだ。周囲の商人たちが一斉に目と耳をそばだてた。
「この村の評判を聞きつけて、是非取り引きをさせていただきたいと思いましてな。なるほどエレウシス人の村としては、ずいぶんと整えられている。さすがは殿下ですなぁ」
ゴルトはニヤニヤと笑って辺りを見回した。
「……村人への侮辱は許さないわ。出自がどこであろうとも、私の領民であることに代わりはないのだから」
クロエの低い声にゴルトは大げさにのけぞってみせた。
「おやおや、そんなつもりはございません。ええ、大事な領民でしたね。卑しい身分でも役に立つのであれば、使ってやる。素晴らしいことです」
背後でレオンが剣に手をかける気配を感じて、クロエはそれとなく押し留めた。
「早速ですが、商品と村の様子を見せていただきたい」
ゴルトとロイドはクロエの先導で村を見て回る。
「ほほう、石鹸作りの灰はこの草を燃やしたものですか」
「――海辺で見かける草ですね。なるほど、この種類であれば品質の良い石鹸になると……」
若いロイドが鋭い目で塩生植物の一種を見た。
「海から遠いこの土地で、どうやってこの草を手に入れたのですか?」
「簡単なことよ。私のスキルで生やしたの」
「草生える……」
ロイドは一瞬だけ微妙な顔になったが、すぐに生真面目な表情を取り繕った。
クロエのスキルはある意味で有名である。無能スキルで追放された話は噂として出回っていて、原因となったスキルの内容も話されていた。
王家にとっては不名誉な話なのであまり表沙汰にはしていなかったものの、人の口に戸は立てられない。北の土地で再起したクロエの評判と相まって、草生える王女の話はそれなりに知られていた。
「この魔除けの花も、殿下が生やしたのですか」
ゴルトが指差す先には、軒先で吊るされ、ドライフラワーに加工されている途中のムーンローズがある。
「ええ、そう」
「この花は他の土地で栽培できるでしょうか?」
「さてね。気候や土壌が合うかどうか分からないし。今のところはここ以外で増やす気はないわ」
ムーンローズは村の唯一無二の名産品だ。とはいえ、いつまでも独占し続けるのは難しい。いずれは少しずつ広がっていくだろう。
「この村には魔牛スラビーが飼育されていると聞きましたが、本当ですか?」
ロイドが慎重な目で問いかける。
「いるわよ。見学したければ案内するわ」
「是非お願いします」
牧草地――畑の隣側――に行くと、魔牛と魔羊がいつも通りのんびりと草を食べている。ロイドとゴルトは目を見張った。
「あの気性の荒い魔物をここまで手懐けるなんて。やはり何かコツが?」
「どうかしらねぇ」
クロエは曖昧に肩をすくめた。
魔牛を譲った族長によると、クロエが生やした以外の風タンポポでは鎮静作用の効きが今ひとつ悪いらしい。春になって移動式天幕を受け取った際に話を聞いたのだが、少し暴れる時もあり、その際はクロエの風タンポポの根を乾燥させるものを与えると落ち着くと言っていた。
族長には風タンポポの根を多めに渡しておいた。いざとなればこの牧草地まで来てもらえばいい。しかしそれ以外の相手では飼い慣らすのは難しいだろう。
「魔牛の肉は高値で取り引きされます。乳から作られるチーズは、あるいはそれ以上でしょう。殿下、是非魔牛を何頭か譲っていただけませんか」
「魔牛の飼育方法はまだ確立されていないの。環境が変われば暴れ出すかもしれない。あの牛は力が強いから、人や建物に被害を出してしまうわ。生きたまま譲るのは無理ね」
事実そうだし、ゴルト商会が信用できないせいもある。
「あそこにいるのは遊牧民ですな。あの者どもが魔牛を飼っているので?」
「まあそうなるかしら」
「あやつらの怪しげな術では? そうでなければ、魔牛を慣らせるとは思えません」
「ゴルト。さっきも言ったけれど、彼らはみんな私の領民なの。口を慎みなさい」
正確には遊牧民は領民ではないが、クロエはかけがえのない仲間だと思っている。
「ははは、これは手厳しい」
ロイドは黙ったままだが、ゴルトはよく喋る。クロエは内心でため息をつきながら、案内を続けた。




