23:しょっぱい土
初夏から夏に移り変わっていくある日のこと、小さな事件が起きた。
魔羊数頭が牧草地を脱走してしまったのだ。アオルシが指笛で呼んでもなかなか返事がない。彼の【鳥の目】スキル――鳥の視界を共有できるスキル――で高所から探して、ようやく羊たちを見つけることができた。牧草地から少し離れた西の場所だった。
「もう、心配したぞ!」
アオルシが駆け寄るが、羊たちは夢中で土を掘っている。クロエも追いついて首を傾げた。
「どうしたのかしら。やけに地面を気にしているけど、こういうことってよくあるの?」
「いいや、ないよ。草を見つけて走っていくのはあったけど、今はいつでもお腹いっぱい食べられるし」
「羊さん、土になにかあるの?」
ペリテが近寄って地面を覗き込む。
この辺りの土地はまだ草が生えていない。近くに川は流れているものの、長年の乾燥が完全に改善するほどではなかった。
羊たちはせっせと土を掘っては舌を伸ばして舐めていた。
「土を食べている?」
植物がないので根を食べているわけではない。本当に土を食べていた。
「えーっと……。え? 土がしょっぱくて美味しい?」
「めぇ~」
アオルシが目を丸くした。彼ら遊牧民は魔物である魔羊と意思を通じ合わせることができる。
「どういうこと? 土に塩が混じっているの?」
クロエは土を手ですくってよく見た。すると確かに多少の白っぽい粒が見え隠れしている。
「これ、塩?」
「塩があるなんて、すごいね!」
塩はこの村にとって高級品。生きるのに必須の品物だが、入手の手段は行商人や隣町などで購入するしかない。値段も相応に高くて、今の村では不足がちだった。
動物たちも塩が好きで、魔羊は塩の匂い(?)に気付いてここまで来たようだった。
「塩がここで手に入るなら素晴らしいわ。さっそく土から取り出さないと」
張り切るクロエにレオンは冷静な声をかけた。
「どうやるのですか?」
「ふるいにかけるとか?」
「塩はかなり細かいようですが。土と砂利と一緒にふるいにかけて、残りますか?」
「やってみなければ分からないでしょ!」
そこで彼らは道具を取りに戻って、試してみることにした。
まずはふるってみる。塩がざるの目を落ちてしまって失敗。
次に水に溶かしてみる。泥水ができただけで失敗。
泥水を沸騰させてみた。泥水が沸騰しただけで失敗。
「手強い……!」
クロエはぐぬぬと唸った。
「もう日が暮れてきました。帰りましょう」
レオンが言う。クロエは往生際悪く手で土を触っていたが、ペリテもいる。仕方なく帰ることにした。
「土に塩が含まれてるだって? そりゃあおおごとじゃねえか!」
夕方、村に戻ったクロエが塩の話をすると村長は声を荒げた。喜んでいるのかと思ったが様子がおかしい。顔色が青ざめている。
「村長、どうしたの。塩が近場で手に入るかもしれないのよ」
「そうじゃねえんだよ、姫さん。塩は作物を駄目にしちまうんだ。俺の故郷のエレウシスは、海に近い国だった。嵐が起きれば塩っ気のある風が畑までやって来て、酷い有様になったもんさ。野菜に塩を振れば水が抜けてしんなりするだろう? あれが生きている作物で起きるんだよ」
「そんな……」
想像以上の事態にクロエは絶句する。
「塩入りの土はどの辺だ?」
「今の牧草地から西に少し行ったところよ。来年はあそこまで草地を広げようと思っていたのに」
「草を生やすのは無理だろうなぁ。つまり、畑の拡張計画も見直しか」
みんなでため息をついた。しばし沈黙が流れる。
「でも待って」
クロエは一つ思いついた。セレスティア王国にも海はある。海辺の町に行った時のことを思い出した。
「海辺でも草が生えていたり、畑があったりするわよね。あれはどうなっているの?」
「塩に特別に強い作物を育てるんだよ。種類はかなり限られるがな。そこまでして塩の土を耕すメリットはあるのか?」
「う、うーん」
そう言われれば返す言葉がない。
「塩に強い草ですか……」
呟いたのは、村人の老婆だった。
「ある意味で、海藻みたいなものですかな」
「そうかもね。海藻も塩水の海水の中で育っているわけだもの」
「でしたら、使い道はあるやもしれませぬ」
「え!?」
みんなが老婆を見た。
「石鹸です。海藻を燃やした灰と灰汁は、石鹸にいいと言われておりましてな。石鹸は油脂と灰があれば作れる。油脂は魔牛のバターが豊富にありますから」
「いいわね! この村の名物になるかもしれないわ」
クロエはパチンと指を鳴らした。
この村は現金収入が少ない。収穫した作物は隣町まで運んで売っているが、大した額にはならないのだ。質の良い石鹸を作れれば、いい値段で売れる可能性がある。
石鹸制作は老婆に経験があるという。それほど難しい作業ではないので、力のない子どもや老人でもできるということだった。
「ただ、石鹸作りには火を使います。今は薪が残り少ないので、どこまでできるか」
周辺に木が生えていない荒れ地では、薪は購入しなければならない。そのためのお金に困っている。ジレンマである。
「とりあえず塩に強い草を生やして、本当に良い石鹸が作れるか試してみましょう。商品になるのであれば、商人にお金を借りて薪を調達する手もあるから」
クロエは追放されたとはいえ王女である。王族の身分は商人にとっても利用するに値するだろう。
石鹸作りが軌道に乗れば元は取れる。クロエの言葉に村人たちは頷いた。
翌日、クロエは塩分のある土地までやって来た。アオルシとペリテら子どもたちも一緒である。
「さあ、始めるわよ。おーっほほほほ!」
春空に高笑いが響けば、にょきにょきと草が生えた。生えて、すぐに枯れてしまった。
「む。この反応、久しぶりね。やっぱり塩があると育たないみたい。もう一度よ、お~っほほほ!」
手元の植物図鑑には、塩に強い植物――塩生植物――が何種類か掲載されていた。クロエはそれらをイメージしながら、子どもたちと手を繋いで笑い続ける。
草は生えては枯れていたが、やがて枯れないものが現れた。ペリテが素早く図鑑をめくる。
「あ! これ『サンゴ草』だって。塩に強くて、秋になると真っ赤な実がなるんだって!」
「こっちのは『箒木』かしら。やっぱり塩に耐性があって、少し背の高い草みたいね」
一度塩生植物が生え始めると、次からは早かった。輪になって踏んだ土に次々と草が芽生えていく。
「うん? これは……?」
そんな中、クロエは見慣れない種類の草を見つけた。




