112:エリュシオン王国3
姪が人々を連れ出して旅に出たおかげで、食料不足はようやく落ち着いていた。
厳しい環境の中で人々は必死に生きている。無気力だった者から死んでいったので、今や生きる気力に満ちた者だけが残っていた。
耕作地の拡大が行われ、少しずつ作物が増えていく。
医療技術が失われたせいで、以前であれば助かった怪我や病気で命を落とす人が増えた。しかしそれ以上に赤子の出生率が上がり、人口は徐々に上向きの様子を示した。
ヴェルグラードを悪魔と呼ぶ声は次第に下火になる。彼はやがて、退廃の世を救った救世主として崇められるようになった。
時は流れる。十年、二十年、三十年……。
その途中でヴェルグラードは自らの体の異変に気づいた。
年を取らないのだ。
何年経っても二十代後半の青年の姿のままでいる。
体内には世界樹から逆流した魔力が渦巻いていて、それが体を変質させたのだと感じた。
『救世』を成し遂げ、いつまでも若々しい青年の姿でいるヴェルグラードは、崇拝の対象になった。人々は彼に縋るようになる。
(これではいけない。依存先が精霊から私に変わっただけだ)
そう考えた彼は、死ぬことにした。とはいえ自殺しようにも死ねない体なので、死を演出するだけだ。
かつての仲間の最後の一人を見送った後、彼も死ぬ。
死んだことにした後は、身を隠しながら人々を見守っていた。
大災害から三百年が経過した頃のこと。
人類は小規模ながらコミュニティを広げ、荒れ地とその南の土地に集落を点在させて暮らしていた。
ある時、大陸を寒波が襲って、未曾有の飢饉が起きた。餓死者が続出し、せっかく増えた人口が激減してしまう。畑だけではなく山野の恵みも不作だったせいで、獣や魔物が人を襲う事態も続出した。
ヴェルグラードは動かなかった。大災害を経験した彼にとっては、今回の危機も乗り越えられると確信があったからだ。
そしてその予感は当たった。
人々の中に特異な魔力を持つ者が増え始めて、生き残る力を発揮したのだ。
ある者は武器の扱いの適性が上がり、魔物を打ち倒した。
ある者は畑作に深い理解を得て、効率を上げた。
またある者は言葉に魔力を乗せて、人々を団結させた。
ヴェルグラードは歓喜した。かつて衰退と退化の一途を辿っていた人類が、新しい力に目覚めたのだ!
「私は間違っていなかった。ぬるま湯の環境で眠るだけでは、人は退化するばかり。苦難の中にあってこそ進化の道が示される!」
災害級の苦難、大量死の悲劇を彼は顧みない。『そんなもの』は進化のための土台であって、嘆く必要はないのだ。
ヴェルグラードの観察の結果、人々が得た新しい力は類型があると判明した。
剣や槍などの一般的な武器に対する適性や、魔力や魔法属性を強化するもの。身近な生活に紐づいて効率を上げるもの。おおむねこの三系統で、例外的にどの傾向にも当てはまらないものも稀に存在する。
力は基本的に一人一つ。子どもの頃は不確かで、十五歳頃になれば確定する。
ヴェルグラードはその力をスキルと名付けた。
スキルは大人になれば自然と使いこなす人が多いが、中には未自覚な人もいた。
古代王国時代の魔法技術の使い手で、莫大な魔力を持つヴェルグラードであれば各人のスキルを把握できる。その他にも高位の【鑑定】系スキルであれば、他人のスキルを見通せた。
一方で気になることもあった。スキルの中には、ごく稀にだが精霊と結びつくものがあったのだ。
世界樹と精霊の森は消失し、精霊界とこの世の接続は切れた。四大精霊は封印中で、力の大部分を削がれている。
それでもこの世界から精霊が完全に消え去ったわけではない。精霊界とこの世界は表裏一体の存在。精霊とは自然の魔力の化身、この世界の基幹をなす一部になるためだ。
四大精霊の封印はエリュシオンの血の契約によって行われた。解除にはやはり血の契約がなければならない。
しかしながら精霊に親しむスキル――中でも強力な【精霊の祝福】――は、せっかく断ち切った精霊への依存を再度呼び起こすかもしれない。
ヴェルグラードは考えた結果、スキル鑑定を行う組織を作ることにした。
せっかく人類が得た新しい力を使わない手はない。未自覚なままでいるのは惜しい。
また精霊を示唆するスキルが出た場合は、改竄や抹殺をする必要がある。
人並み外れた知識と技術、魔力を併せ持つ彼にとって、人々を集めるのは造作もないことだった。すぐに崇拝されるようになり、反精霊の旗印を掲げるのに都合の良い宗教組織を作った。
教義を『苦難の中での自己研鑽』とし、精霊を『人を堕落に導く悪魔』とした。
教義通りに人材育成を行って、特に上位の鑑定スキルを持つ者を多く抱え、各地に司祭として派遣した。スキルは本来、人に自然に備わる力だが、いつしか鑑定されて初めて確定するものと認識がすり替わっていった。
ヴェルグラードは人ではない己の身を偽るため、普段はフードで顔を隠し、身分を大司教とした。個人の出自を明確にしないことで、『大司教ヴェルグラード』は代替わりする称号だと思わせるためだった。
その間にも時間は流れていく。スキルを得た人類は発展の速度を加速させて、大陸各地に国を作った。国々は数百年にわたって興亡を繰り返し、やがて安定期に入る。
西のセレスティア王国。
南東のヴォルニア連合国。
中央のミルカーシュ王国。
東の魔道帝国アイゼン。
そして、荒れ地にほど近く各国に影響を強める救世教の本拠地、聖都市ヴェリタス。
ここ数十年、エレウシス戦争以外は大きな争いもなく大陸は安定していた。
安定しながらも人々が生きる気力を失うことはなく、ヴェルグラードはやや不満ながらも、大きな行動を起こすに至らない時代だった。
その状況を変えたのは、魔道帝国の暴走。
「人の手で起こした災害は、人自身が乗り越えなければならない。かつての私たちがそうだったように。生き延びた先に進化を得たように。新しい時代を生き抜く力を得なければならない。精霊に頼るのは許されない――」
ヴェルグラードは彼自身の信念に従って、行動を起こした。




