11:言い分
クロエの言い分にアオルシは顔を強張らせる。
「な……!? くそ、分かったよ! 行くぞ、お前たち!」
ピュイ、と指笛を吹いて、アオルシは北の方角へ走って行った。羊たちがぞろぞろと続く。
その様子を見送りながら、レオンが口を開いた。
「後をつけますか?」
「いらないわ。荒れ地じゃ身を隠す場所もないし、すぐにバレるでしょう」
「では、そのように。……それにしても殿下、言動が悪の王女そのものでしたね」
「何よ、悪の王女って! 思わぬ情報が転がり込んできたのだから、最大限生かさないでどうするの。あの少年を信用する理由はないのだし、羊三頭は妥当なところでしょ。食べて良し、お乳を絞って良し。いい家畜が手に入ったわ」
クロエが羊の頭を撫でると、羊はとても迷惑そうな顔をした。さらにもう一頭が走ってきて、クロエのお尻に体当りする。
「わあっ!?」
吹き飛ばされた彼女は、草地に前のめりに倒れた。
「クロエ様、顔が緑だよ!」
ペリテがころころと笑っている。転んだ拍子に草の汁が顔について、変な模様になっていた。
クロエは怒りの形相で起き上がった。
「この……羊ども! 許さないわ! バーベキューにしてやる!」
「殿下。約束の期日までは、これらは大事な羊質です。手を出してはいけません」
「うるっさいわね! 分かってるっての!」
クロエは手近な草を引きちぎって羊に投げつけた。羊はエサをもらったと勘違いしたようで、散らばった草をもしゃもしゃと食べる。
クロエの怒りの声と、ペリテの笑い声が空に響いていった。
きっかり四日後にアオルシは戻ってきた。
まず遠くに土埃が立ち、途中でそれが止まる。羊たちは遠ざけたまま、馬に乗った何人かの人間たちが村に近づいてきた。その中にアオルシもいる。
迎えるのはクロエとレオン。それに村長だ。ペリテや子どもたちは羊を見たがったが、今日は家で留守番である。
「あなたがクロエ殿か」
騎馬から降りた背の高い男性が、クロエを見た。
「わしはアオルシの父、一族の長だ。息子の羊があなたの草地を食い荒らしたそうで、失礼した」
横ではアオルシがしゅんとしている。人質ならぬ羊質を取られて怒っていた彼だが、父親に諭されたようだ。
「水場を教えてくれるなら、草の件は構わないわ」
クロエは単刀直入に言った。両脇には三頭の魔羊が控えている。この四日ですっかりクロエの草で餌付けされてしまったのだ。
族長は眉を寄せる。
「息子も伝えたと思うが、この荒れ地で水は貴重な存在。分かち合うほど豊富にあるわけではない。草地を荒らした非礼は詫びよう、相応に償いもしよう。しかしそう簡単に水場を教えるわけにはいかん」
「私は水を奪うつもりはないの。北にある川の跡は見たかしら? 川があり、ましてや水場があるというならば、地下水脈が眠っている可能性がある。調査をしたいのよ」
「調査してどうする?」
「本当に水脈が見つかれば、井戸を掘るわ。村の井戸はお世辞にも水が豊富とは言えない。わずかな雨、わずかな井戸水に頼って畑を耕しても、苦しいばかり。水脈がある土地へ引っ越しも考えている」
この話は、四日間で村長と村人に相談していた。村には井戸を掘るための技術も道具もないが、浅い井戸であれば村人だけでも掘れるだろう。日々の暮らしに疲れ果てている村人は、引っ越しにすぐに同意はしなかったものの、水脈探しに反対はしなかった。もし本当に豊かな水が手に入るなら、と条件付きで様子を見ることになったのだ。
「ふぅむ……」
族長は唸った。定住地を持たない遊牧民である彼らと、農耕民であるクロエたち。考え方も生活習慣も違うので、判断しかねているようだった。
「あの、ちょっといいですか」
そんな中、口を出したのはアオルシだった。クロエが頷くのを見て、おずおずと言う。
「クロエ様は、字が読める?」
「は? 何よ、急に。もちろん読めるわ。セレスティア王国のものはもちろん、東の魔道帝国のも、南の聖都市のも読めるわよ」
「じゃあ、水場の字も読めるかな?」
「アオルシ」
父に名を呼ばれて、少年は首をすくめた。
「父さん、俺、ずっと気になってたんだ。あの水場の石板に、何が書いてあるんだろうって。もしかしたら本当に、水脈の話が書いてあるかもしれない……」
「あんなものはただの記号だ。何の意味もない」
「読めないくせに、決めつけるのは良くないだろ! 父さんだって言ってたじゃないか。年々雨が減って、草も減って。羊も痩せて減る一方で!」
「めぇ」
呼ばれたと思ったのか、クロエの横にいた羊たちがトコトコとアオルシに歩み寄った。その頭と体を撫でて、少年は微笑む。
「なんだ、お前たち。たった四日でそんなに太っちゃって。毛艶も良くなって。そんなにここの草が美味しかったのか?」
「めぇ、めぇ~」
「実際よく食べたわよ、その子たち」
クロエは肩をすくめた。
「雑草だから、大して役に立たないのにね。あんまり美味しそうに食べるものだから、つい可愛がってしまったわ」
ペリテや子どもたちは羊が気に入って、草をむしっては食べさせていた。羊もすっかり心を許して、今では仲良しである。体当たりをされたのはクロエだけだ。
「……うん。大事にしてもらったの、分かるよ」
アオルシが頷いた。横では族長が複雑そうな顔をしている。
「クロエ様。羊たちが言うには、あんなに美味しい草を生やす人が悪い人のはずはないって。もし水がいっぱい手に入れば、草をもっと生やせるんでしょ?」
「もちろん。環境の悪いこの場所ですら、このくらいの草は生えたもの。……というか、私が生やした草だと分かるの?」
「えっと? 羊がそう言ってたんだけど……種を植えて育てたとか、そういうことじゃないの?」
クロエが【草生える】スキルを説明すると、アオルシと族長は爆笑した。
「ぶふっ、すまぬ、初めて聞くスキルでな……」
「いやだって、草生えるって! そのままじゃん! うぷぷぷぷ」
「うるさいわね。あなたたちが笑っても草は生えないのよ」
だいぶ慣れてきたとはいえ、こうして笑われるとさすがにムッとする。
「しかし合点がいった」
と、族長。彼は原っぱと羊たちを愛おしそうに眺めやった。




