109:成長
「ヴェルグラードが世界樹の守り人……? それなら彼も、エレウシス王国の人なの?」
クロエの問いに火の精霊が答えた。
『いや。あいつはエリュシオン人だ。末裔じゃない、千年前の王国に生まれた人間だよ』
『もう人間じゃねえけどな。あれだけの魔力、肉体を変質させるには十分だろ』
風の精霊が苛立たしそうに言う。
「そんな。ヴェルグラードが、古代王国人だなんて」
すぐには信じられず、クロエは呆然とした。
「まあ、そういうわけでして」
戦いのさなかにもかかわらず、ヴェルグラードは肩をすくめてみせた。レオンは防戦に追い込まれている。
何度目かの攻防の後、両者は距離を取った。
肩で息をするレオンの剣は、あちこちが刃こぼれして錆びている。短い打ち合いで受ける損傷としては、異常だった。
(魔力の逆流)
自然と生命、あらゆるものから魔力を吸い取る現象。間近に晒されて、レオンはかなり消耗している。
「うーん。やはり守り人相手だと、一気に枯死はできませんねえ」
ヴェルグラードが苦笑した。
「世界樹の加護があるおかげで、私の力の一部が相殺されている。本来であれば、一撃で命を奪えるのですが。……とはいえ」
影の魔力が立ち上る。彼を中心に昏い魔力が広がり、森の下草を枯らしていく。
「世界樹は若く、精霊の森も未熟。このまま押し切らせていただく」
「くっ!」
レオンが応戦するが、明らかに不利だ。千年を生きるヴェルグラードに対し、彼自身の力量は足りず、剣は今にも折れてしまいそう。
(私にできることをしないと!)
クロエは必死で思考を巡らせた。彼女は大地の愛し子、世界樹の守り手でもある。
ヴェルグラードは世界樹と精霊の森を若いと言った。未熟ゆえに力が弱いと。
精霊の森には、今、救世教の僧兵団とセレスティア軍が足を踏み入れている。彼らがここまで来るのを阻まねばならない。
「力を貸して、世界樹!」
クロエは叫んだ。
四大精霊は契約に縛られるが、世界樹はそうではない。これはクロエが種子を育み、レオンと二人で芽吹かせたもの。
クロエは世界樹の根本に駆け寄って、苗木の葉先に手を伸ばした。
精霊界とこの世界をつなぐ世界樹は、苗木といえど膨大な魔力が満ちている。ちっぽけな人間の魔力など、あっという間に飲み込まれて消えかねない。
クロエはためらわなかった。葉の一つに手を触れて、彼女自身の魔力を注ぐ。
種子だった頃の世界樹は、いつも彼女と共にいた。精霊たちとの出会いと、人間同士の争い。楽しいことも、美しいことも、辛いことも、醜い出来事も。クロエの体験を糧にして育ってきたのだった。
――村人たちを、セレスティア国民を、ひいては大陸の人々を助けたい。
――国と民族の区別なく、手を取り合って幸せになってほしい。
心からの願いが昇華されて、朝露のような魔力となり、世界樹の隅々に巡っていく。
それは精霊界の魔力と混じり合い、世界樹のさらなる成長を促した。
「おーっほほほほ! 草も木も生えますわ!」
久々の高笑いを受けて、小さな苗木がぐんと枝葉を伸ばす。根をしっかりと大地に張って、大空へと向かって伸びていく。
世界樹もクロエと一緒に、心からの笑みをこぼしているようだ。
世界樹はもはや苗木ではない。
堂々とした若木となって、クロエの傍らに寄り添うように立っていた。
(世界樹が成長したか)
レオンと打ち合いを続けながら、ヴェルグラードは内心で舌打ちをした。
守り人相手に戦うのは、彼にとっても初めてのこと。四大精霊すら絡め取る魔力の逆流は、威力を減じられて一撃必殺には遠かった。
ヴェルグラードの力の源は、古代王国時代に存在した世界樹である。
彼はそれを殺した。殺すことで、世界樹の力を我が物にした。
世界樹による精霊界の降臨と、精霊の森の展開。精霊の力を万能のエネルギー源として利用していた古代王国にとって、生命線となる存在だった。
古代王国は、魔道科学を極めて高度に発達させた国だった。
四大精霊を契約の名のもとに縛って、莫大な魔力を自在に操る。
生活のあらゆる面に精霊機構が使われて、人々は便利に暮らしていた。
馬の代わりに自動車を。飛行機を。
かまどの火は魔力の炎。町を照らす明かりも全て、魔力のそれ。
大陸中がネットワークで結ばれ、連絡は瞬時に行き渡る。
精霊から抽出した魔力は極めて使い勝手のいいエネルギー源で、しかもクリーン。人々はこぞって新技術を求め、生活は一変した。
そんな繁栄が何百年も続いて、いつしか労働すら機械が担うようになった。
人は働かずとも社会を維持できるようになって、だんだんと生きる目的を失っていった。
何もしなくても生きるのに必要な食物は手に入る。住む場所もある。
本や映像やその他の楽しむための情報や施設は豊富にあったが、いずれ飽きられていった。
さらに時間が経過して、人々の無気力はひどくなっていった。
子が生まれなくなり、人口が減っていく。
技術の発展は停滞し、現状のメンテナンスすらおろそかになる。
繁栄は陰りを見せて、ゆるやかに衰退の道を辿っていった。
それでも危機感を持つ人はごくわずかだった。
そんなわずかな人の中にヴェルグラードはいた。王家の系譜で、当代の世界樹の守り人を務めていた。
古代王国エリュシオンの初代国王は魔道科学者で、四大精霊と契約するための機構を構築した人物だ。
彼は己の地位を確固たるものにするため、契約の条件に『血』を組み込んだ。遺伝情報と紐づいた魔力型を契約の主軸にして、子孫に契約を受け継げるようにした。
その功績を以て国王を名乗り、以降は四大精霊の加護と世界樹の存在を背景に絶対的な権力を築いてきた。
ヴェルグラードはその血を受け継ぐ。
無気力が蔓延する世相にあって、王家内部も例外ではない。
面倒な世界樹の守り人の役目は互いに押し付けが行われ、最後にヴェルグラードに回ってきた。彼は王家の直系に近い位置にいるとはいえ、当時はまだ十代。大人たちの無責任を目の当たりにして、失望を深めた。




