106:論争
クロエが去ったセレスティア王宮は、紛糾していた。
救世教の出撃と連携し、国軍を北の土地に差し向けて精霊を討伐すべきと主張するのは、主に王太子の派閥。
クロエの言葉と魔道帝国の言い分を信じて、救世教を阻むべしと唱えるのはクロエの派閥。
「精霊は悪魔。そこに疑いはない! クロエと悪魔を放置すれば、飢饉は必ず悪化する! 国民は飢えて苦しみのうちに死に果てるだろう。この一大事を見逃すわけにはいかぬ。悪魔を討伐し、国を守るのが我らの務め!」
王太子が声を張り上げた。
彼のスキルは【扇動】。言葉と行動で群衆を動かす際に、有利な補正がかかる。
魔力が込められた声は居並ぶ貴族たちの心を揺さぶり、動揺させた。
「違います!」
反論するのは弟王子のサルトだ。彼はまだ未成年、本来ならば正式な政治の場に出る資格がないが、クロエの不在時に派閥を取りまとめる立場でもある。派閥の貴族たちに付き添われて、特別にここに立つのを許可されていた。
「姉さま……姉上の言葉はもちろんのこと、魔道帝国の正式な使者の証言もあるではないですか。今ここで北の土地に兵を差し向ければ、セレスティアは自ら首を締めることになる。大地は実りをなくし、民たちが飢えてしまう! 姉上は悪魔と誤解されるのを恐れず、事情を明らかにして助けに行ったのです。出兵は北の土地を守るためにするべきです!」
サルトはさらに続けた。
「姉上の土地から供出された麦で、多くの国民が飢えをしのぎました。精霊が本当に悪魔なら、人々を助けるはずがない。精霊は、少なくとも姉上は、この国を思って動いている!」
「麦を供出してみせたのは、我らに恩を売り騙すためだろう。騙されるな。悪魔は狡猾だ。だいたい、各地が不作になる中でクロエの領地だけが豊作など、おかしかった。悪魔の偽りの恵みを一身に受けて、さぞ楽しかっただろうな? 裏では困窮する我らを嘲笑っていたのだ!」
「そんなことはありません! 皆さんも知っているでしょう。姉上の采配は公平でした。新しい農法だって惜しみなく伝えて、成果があったではないですか!」
サルトは言い募るが、兄は鼻で笑う。
「だが、それ以上に悪魔の恩恵が大きかった。農法など子供だましに過ぎん。要はクロエは、一人で得をしていた。悪魔の手先に成り果てていた事実を隠し、小手先の情報だけを伝えてな!」
「その言い方は卑怯です!」
サルトが悲鳴を上げる。
精霊の話を聞かされていなかったのは、彼も同じだ。言えなかった理由は分かる。だが事態が急転し、未だ幼いサルトでは対処しきれなかった。
王太子は弟に侮蔑の一瞥を投げかけると、父王に向き直った。
「父上。セレスティアの正義として、邪悪な王女に断罪を。身内の情に惑わされず、どうか正しい決断を!」
王は答えなかった。居並ぶ貴族たちをぐるりと見渡し、最後に二人の息子に目を留める。
「――国軍の出動を命じる」
「父上!」
王太子とサルトがそれぞれに声を上げた。兄は喜色を浮かべて、弟は泣きそうな顔で。
「ただし出動の目的は、クロエの領地の掃討ではない。聖都市との国境に展開し、救世教の進軍を阻む。戦闘は可能な限り避けよ。我が国は独立国家、たとえ国教である救世教の軍であっても、みだりに進軍を許すものではないのだから」
時間稼ぎ。今の国王にできる精一杯の抵抗だった。
「何故です、父上! 今ここでクロエと精霊を討たなければ、災厄が起きると言うのに!」
王は首を振った。
「救世教の言い分ではそうだ。しかし魔道帝国の大使殿はそうではないと言う。事の真偽が明らかでない以上、我が国の取るべき行動は一つ。国として国境を守ることのみ」
「そんな馬鹿な話が通ってたまるか!」
王太子は叫んで会議の間を飛び出した。衛兵が止めようとしたが、振り切られてしまう。
「放っておけ。一人では何もできまい」
王は疲れたようにため息をついた。
「ただちに国軍を招集、出動を。王都に常駐している戦力を先行させる。救世教にその旨の通達を出すように」
「はい、陛下」
武官と文官たちがすぐに持ち場に走っていった。王宮はにわかに慌ただしくなる。
それぞれの人が複雑な思いを抱えながら、事態は動き始めた。
(クソッ、何故だ! 何故父上までクロエの肩を持つ)
王宮の廊下を走り抜けながら、王太子は怒りに顔を歪めていた。
彼は妹が嫌いだった。小さい頃から聡明で、優秀で、人々から慕われるクロエが。
彼女を見ていると、自分が劣っていると嫌でも思い知らされる。兄ゆえに王太子に封じられたが、それも暫定的なもの。いずれ妹が成人した暁には、その座を追われるとずっと感じていた。
風向きが変わったのは、クロエに妙なスキルが出てからだ。スキルとは端的にその人物の能力を表すもの。あまりにふざけたスキルだったため、誰もが失望して彼女から離れた。王族にふさわしくないとして、王位継承権を剥奪の上で辺境に追放までされた。
王太子は大いに溜飲を下げた。
(あいつも俺の気持ちを知ればいいんだ。無能と呼ばれて蔑まれる気持ちを)
そう思っていたのに、クロエは見事に再起してみせた。何百年以上も不毛の土地だった荒れ地に水と緑をもたらし、開拓を続けた。
王太子はその成果を認めたくなくて、ゴルト商会を使って妨害をしたが、全て失敗。それどころか手痛い反撃を受けて、経済基盤と権威を失ってしまった。
クロエの領地の発展は目ざましく、周囲の不作をものともせずに豊作続き。名物がいくつも生まれて交易も上々。
多くの民が移住を希望して、人と物とが集まっていった。
無能スキルは愛嬌に変わり、今では「草生える姫」として国民に愛されている。
一方で王太子といえば、ゴルト商会を失って以来落ち目が続いていた。力をなくした彼は人望をも失い、もう誰も頼れない。
領地は不作が年々ひどくなって、民たちの不満が爆発していた。それをどうにかなだめられたのは、クロエからの援助だった。
屈辱だった。




