105:芽吹き
「くそ、悔しいよ。俺らが耕した土地、みんなで手を取り合って暮らしてきた土地なのに」
村長が悔し涙を浮かべた。
「また故郷を追われるのか。また救世教のせいで!」
「おじいちゃん、泣かないで」
ペリテが心配そうに祖父を覗き込んだ。
「避難、でしょ? 避難って、また戻って来られるんだよね? 昔、エレウシスの国がなくなっちゃった時とは違うよね?」
ペリテの言葉に村人たちは顔を上げた。
「ええ、そうよ。私はここを守るために戦うの。そう簡単に負けはしない。手は打ってきた」
クロエが胸を張った。少しばかりのハッタリを含みながらも、村人を安心させる。
「ここは昔、荒れ地だった。それをみんなの力で復興させてきた。奇跡の力もあったけど、ほんの少しよ。だから人さえいれば、土地はまた蘇る。あなたたちが戦争に巻き込まれないのが、一番大事」
「クロエ様……」
「南の伯爵領か、その西の領地へ向かってちょうだい。彼らは私の派閥だから、話はついている。当面の間、暮らすのに不自由はないはずよ。その後のことは、その時に決めましょう」
「クロエ様!」
ペリテが走り寄った。風の精霊を見上げて、ちょっと強がって笑ってみせる。
「こんなに大きい鳥さんが味方だもの、大丈夫だよね? 負けないよね。それで、不作をやっつけちゃうんだよね!」
「ええ、その通り。悪いものはみんなやっつけて、また楽しく暮らせるようにするわ。国じゅうの人がお腹いっぱい食べられるように、大地の力を取り戻すの」
「クロエ様」
次に進み出たのは、移民たちだった。
「正直に言えば、救世教と敵対するのは恐ろしいです。でも……この村で合議制を取り入れて、みんなで話し合って村を作って。ここが第二の故郷なんだと、心から思えるようになりました。災害のことは、俺には実感が湧きません。けど、クロエ様がみんなを守ろうとしているのだけは分かります。あなたはいつだってそうだった。国や民族の違いを気にせず、ここで暮らす人を受け入れてくれた」
「戦う力がない自分が、不甲斐ないです。今は避難するけれど、必ず戻ってきます。そしてまた畑を耕しますとも」
アオルシもやって来た。
「クロエ様。俺さ、この村で三年も暮らして、もうすっかり村人の気持ちなんだ。魔牛と魔羊を連れて、避難についていくよ。風タンポポの根を持って行くから、牛たちも大丈夫」
「助かるわ。族長に危険を知らせられるといいのだけど」
「それじゃあ狼煙を上げておくよ。『逃げろ』っていう合図」
遊牧民は精霊を信仰している。僧兵団とかち合えば、虐殺される恐れがあった。
村人たちはそれぞれに頷き合って、避難のための準備を始めた。ロイドと村長、移民のリーダーが指揮を取って、てきぱきと進めていく。
「私は行くわ。みんな、どうか無事でいてね」
「クロエ様とレオン様も!」
クロエとレオンは再び風の精霊の背に乗った。大きく手を振って、別れを告げる。誰もが再会と無事を祈る中、風の精霊はさらに北へと飛び立った。
村の北、川を遡った先に水源がある。かつては丘だった場所は、今は中島を抱える湖になっていた。
風の精霊はゆるりと旋回をして、徐々に高度を落とした。
島が近づくにつれて、クロエにははっきりと感じられた。
精霊たちが、集っている。
その感覚は、島に降り立った瞬間に証明された。
緑の生い茂る小さな島に、強い魔力が満ち溢れている。
大地に、水に、大気に。ゆるやかな渦を巻きながら、精霊たちの気配が満ちている。
クロエは思わずレオンの手を握った。ここは既に、此岸より彼岸に近い。本来ならば人がいるべき場所ではなかった。
握った手が温かくて、ようやく彼女は心を落ち着けた。
『愛し子よ……』
影が蠢いた。島の緑の奥、大地の深い場所から声が響いてくる。
姿を現した大地の精霊が、クロエに手を差し出す。
『お前の願いは……しかと受け取った……。これより、世界樹の芽吹きを……行う……』
『ようよう、風の。久しいな』
ざあっと熱風が吹いて、炎の精霊が姿を現した。
『お前、いつまでも封印されているから、もう出てこないのかと心配してたぞ』
『うるせえわ。テメェだって長らく寝てただろうが。いつまでも寝ぼけてるんじゃねえよ』
風の精霊が翼を動かすと、湖に波紋が起きた。小さな波が形を変えて、人の姿になる。長い長い髪を水に浸した女性、水の精霊だ。
『四大精霊が集うのは、いつぶりでしょうか。永きにわたる眠りを覚まし、今、こうして世界樹の芽吹きに出会えること、とても嬉しく思います』
「私はどうすればいいの?」
クロエが問いかけると、大地の精霊が微笑んだ。
『……何も。お前の……中の、種子は……既に芽吹きを待っている。これまで、お前が……良く生きた証……』
彼女の胸の種子が、じんわりとした熱を放った。この種はあの秋の夜に受け取って以来、常にクロエと共にあった。
村人たちと力を合わせて過ごした時間、様々な人に出会った時を、種はよく知っているのだ。
クロエとレオンは手を取り合って、島の中央へと進み出る。
世界樹の種子は光の粒子となって、クロエの胸からこぼれ落ちた。
きらきら、きらきらと温かな光を振りまきながら、地面に落ちていく。
『世界樹よ……』
『再び芽吹いて、世界をつなげ』
『我ら四大精霊の名において』
『世界樹の芽吹きと、精霊の森の復活を』
『ここに……宣言する』
精霊たちが歌う中、種子はとうとう地面に触れて――まばゆい光をほとばしらせた。
光は天に登り、雲を貫いてどこまでも高く高く上がっていく。
同時、周囲の気配が変質した。
精霊たちの魔力がさらに濃くなり、急激に広がっていく。透明な光の傘が開かれるように、天を覆い地を変えていく。
四大精霊の歌声の中に、より小さな囁きが交じる。名もなき小さな精霊たちが、こぼれるように満ちていく。
そして芽吹きが始まった。
立ち上る光の柱の中、出てきたのは小さな小さな芽。芽から苗木へ。世界樹の成長に伴って、周囲は森へと変わった。
光り輝く森。
この世ならざる場所。
生まれたばかりの精霊の森が、命の喜びの声を上げていた。




