104:精霊使い
「そのような世迷言、信じられるか! 精霊は悪魔だ。なればクロエ、お前は悪魔の手先。一連の不作もお前の画策によるものではないのか!?」
王太子が声を上げるが、帝国の大使が首を振った。
「不作の原因となる魔力の逆流は、クロエ殿下と何の関係もありません。四大精霊とも無関係です。調査の結果、解決にクロエ殿下のスキルと四大精霊の力が必要だと判明しました。皇帝陛下と元老院の名に賭けて、間違いありません」
貴族たちのざわめきが大きくなる。誰もが判断を下せないでいる。
(時間切れね)
救世教が全軍出撃の準備を始めた以上、事は一刻を争う。
かつて水の精霊が眠っていた、今は湖である場所。世界樹の芽吹きのため、精霊たちが用意してくれた場所。
あそこを押さえられてしまえば、発芽ができるかどうか分からなくなる。
北の土地にいる領民たちの身の安全も、守らなければならない。
「父上。繰り返しますが、魔力の逆流を防ぐには、四大精霊の力を借りる以外にありません。私は私のできることをするまでです。救世教の僧兵団が我が国境を侵すなら、迎撃まではできずとも、せめて防衛を。……行くわよ、レオン」
「ああ」
クロエは身を翻して駆け出した。王城を飛び出して城門前の広場に立つ。
(風の精霊!)
呼びかければ、大鷲の声が応えた。
『聞こえている。準備はいいか? 今度こそ目的地まで送ってやるからよ』
(もう一つお願いがあるの。姿を現す時は、なるべく威厳たっぷりにして。間違っても『クソッタレ』とか『ウンコ』とか言わないでよ?)
『はぁ~~? 言わねえし! 俺様のかっこいいとこ、見せてやるぜ!』
広場に瓢風が巻き起こった。クロエの蜂蜜色の髪が吹き散らされて、宙に渦巻く。
青の雷電がバチバチと空に広がる。その只中、落雷のように空から大鷲が降ってきた。
「なんだ、あれは!」
城門の外にいた平民たちも、クロエを追ってきた貴族たちも、一様に声を上げた。
『我は風の精霊。大地の愛し子、クロエ・ケレス・セレスティアの願いに応え、大地の眠りを食い止めるべく、助力に来た』
ちょっと心配していたクロエだったが、風の精霊が堅苦しく喋ったので安心した。やや棒読みであるが、かえって人知を超えた存在らしさを演出している。
『これから我らは北の土地にて、世界樹の芽吹きの儀式を行う。精霊たちの大いなる力もて、数多の命を救うためである。せいぜい感謝しろよ、人間ども!』
「こら! 最後!」
『知るか! いい加減噛みそうだったんだよ、あの口調!』
クロエは文句を言ったものの、風の精霊は取り合わない。クロエとレオンを背中に放り投げて、大きく羽ばたいた。
「みんな、そういうわけだから! この風の精霊は善い奴よ。帝国の災害を止めるため、行ってくるわ!」
動揺する群衆に、クロエの声が空から投げかけられる。聞き慣れた王女の声は風に乗って遠くまで響いた。
「クロエ王女様……?」
「風の精霊だって? じゃああれは悪魔?」
「でも、クロエ様が善い奴だと」
「というかクロエ殿下、精霊を使役している!?」
「すごいじゃないか! 悪魔を手下にしてこき使っているんだ!」
群衆のざわめきは少々あらぬ方向へ向かっていたが、既にクロエには届かない。
青の雷をまといながら、風の大鷲は北へと飛び立った。
風の精霊は一路、北上する。東の魔道帝国よりもずっと距離が短いので、到着は間もなくだった。
村の広場に大鷲が降り立てば、大騒ぎになった。人々は悲鳴を上げて、家の中に隠れてしまう。
クロエは構わず、風の精霊の背中から飛び降りた。着地はレオンが支える。
「みんな! 驚かせたわね。でも大丈夫、この大きな鷲は味方よ。何も悪さはしないから、安心して」
「クロエ様……?」
最初に顔を出したのはロイドだった。彼はこれ以上ないほどに目を見開きながらも、天幕を出てクロエの元へ行く。
「これは、いったい」
「風の精霊よ。魔道帝国内の遺跡に封印されていたのを解放したの」
「風の精霊!?」
ロイドはぎょっとして後退りした。セレスティア人である彼は、救世教の影響を受けている。この村で暮らして徐々に価値観を改めていたが、実際に精霊――それも四大精霊のような強大な存在を目の当たりにすれば、恐怖が勝る。
しかしロイドはぐっと足に力を入れて、クロエに歩み寄った。彼にとって信じるべきはクロエ一人。彼女が安心しろと言うのであれば、従うのが当然だ。
近づいてきたロイドに頷いて、クロエは言った。
「他のみんなも聞いてちょうだい。今すぐに南のセレスティア本国へ、できるだけ西を経由しながら避難しなさい。救世教の僧兵団が迫っている」
恐る恐る様子を見ていたエレウシス人たちが、一斉に息を飲んだ。十八年前の戦争で故国を滅ぼしたのは、他ならぬ救世教。当時を覚えている大人たちは、僧兵団の恐ろしさを心に刻んでいる。
「どういうことだ! 姫さんがでかい鷲に乗って帰ってきただけでも驚きなのに、救世教だと!?」
村長が飛び出してくる。
クロエはかいつまんで事情を説明した。
「ミルカーシュが何年もひどい飢饉なのは知っているでしょう。あの不作の原因が、帝国にあったの。魔力の逆流という現象で、放っておけば大陸中が巻き込まれる大災害になる。私はそれを阻止するために、精霊の力を借りる。彼らの力で世界樹と精霊の森を復活させれば、災害を止められるのよ」
「そんな……。精霊の力を借りるから、救世教が出撃したのですか? 災害を止めるためなのに?」
ロイドが呆然としている。他の村人たちも家から出てきて、声を上げ始めた。口々に不安を訴える。
クロエは首を振った。
「大司教と救世教が、何を考えているかは知らない。でも、どんな理由があっても精霊を許す気はないようね。この土地は間違いなく戦場になる。巻き込まれないよう、今すぐに避難を」
「ここは俺たちの土地です! 俺たちも戦う!」
自警団の若者たちが叫んだ。今度はレオンが前に出る。
「駄目だ。救世教の僧兵団は、大陸最強と言われている。素人のお前たちなど、歯牙にもかけないさ。お前たちが傷つけば、クロエが悲しむ。避難して、争いが終わった後にまた戻ってきてくれ」
「レオン様……」
村人たちはうなだれた。




