第68話 白聖女効果
広場に戻る頃には、村の空気もさすがに目を覚まし始めていた。
真ん中の井戸を囲むように、村人たちがぽつりぽつりと集まってくる。まだ朝飯前らしく、粗末な上着を羽織ったままの者や、手に鍬を持ったままの若い連中もいた。
ルーシャも既にそこにいた。子どもたちに囲まれて何か話していたが、ロイドの姿を見つけると、ほっとしたように会釈する。
ロイドも軽く手を上げて返した。
彼女がこうして笑顔を向けてくるだけで、どこか勇気付けられてやる気が出てくるから不思議だ。
「ロイドさん、お待ちしてました。これで、大体の者は集まったと思います」
村長が前に出てくる。
まだ眠たげな目をしているが、その奥にははっきりとした不安の色が浮かんでいた。
「よし。とりあえず、手短に済ませよう」
ロイドは頷き、井戸の脇の空いた地面にしゃがみ込んだ。
近くにあった板切れと、子どもが遊びで立てたらしい畑の杭をいくつか借り、土の上に村の輪郭をざっと描いていく。北側の森、南側の川、東西の出入り口。何度か村を回ったばかりだから、配置は頭に入っていた。
「ここが今いる広場。こっちが森、反対側が川だな」
川筋には指で濃く線を引き、森側は逆にぼかすように何度も擦った。
「まず、南側は川があるからか、瘴気が薄かった。んで、北と西は神殿側だからか、やっぱり瘴気が濃い。防衛の主力になる柵は北と西に集中させようと思う」
杭で北と西のラインをとんとんと叩いて示す。
若者たちが身を乗り出し、村長は顎に手を当ててじっと見ていた。
「柵は今あるやつを補強して、足りない分は、余ってる材木や壊れた荷車をばらして使っていこう。釘がないところは縄で縛ってでもいいから、とにかく〝穴〟を減らしていく。そこに、昼は一人ずつ、夜は二人一組で見張りを置いてくれ」
別の杭を数本立てて、見張りの位置を示す。
夜番慣れしていない村人たちの顔に、ざわめきが走った。
「魔物が来たらすぐ鐘を鳴らす。鐘は広場のこれを持っていこうか。音がしたら、戦える奴は北と西の柵に集まる。子どもと年寄りは……」
井戸の縁に凭れ掛かって、ロイドは村長の家の方角を指差した。
「村長の家とか、その付近の納屋にまとめて避難をさせてくれ。場所を散らすと、守る手が足りなくなるからな」
要点だけを並べていく。
説明は素っ気ないくらい簡潔だが、必要なものは全部入っていた。
村の男たちは顔を見合わせ、不安げに唇を引き結ぶ。女たちは腕に抱いた子どもの頭を撫でながら、黙って耳を傾けていた。
沈黙を破ったのは、村長の低い声だった。
「……本当に、化け物が来ますでしょうか」
その問いに込められた期待は、来ないという答えをどこかで望んでいるようにも聞こえた。
ロイドは一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げる。
「残念ながら、そう遠くないうちに来るだろうな。それも、かなりの数で」
断言と同時に、広場の空気が一段重くなる。
吐息の音があちこちで重なり、誰かの喉がごくりと鳴った。子どもが母親の服の裾をぎゅっと掴む。
その重さを、ロイドはあえて否定しなかった。
代わりに、杭の頭を指で軽く弾く。
「だからこそ、今備えておこう。来ないことを前提に動くと、来た時に一番酷い目を見るからな。無駄になったらなったで、それが一番いいよ」
乱暴な励ましは要らない。事実だけを、淡々と告げた。
自分が散々見てきた光景を、ここでは繰り返させたくないだけだった。
そこで、ルーシャが一歩前に出た。
「私の方でも、外の柵に魔除けの結界を張っておきますね。お守り代わりにはなるかと思います」
柔らかい声と一緒に、広場の空気に別の色が差し込んだ。
ここにいる少女が〝白聖女〟だとは、村人たちは知らない。だが、ルーシャがそう口にしただけで、村人たちの表情にほんの少し光が戻る。
これはもう、彼女が聖女であるが故だ。
「結界ってのは、畑を守ってくださってるあれかね?」
老人のひとりが縋るように尋ねると、ルーシャはこくりと頷いた。
「はい。あそこまで広いものは難しいですが、柵の外に簡単なものを重ねておけば、魔物が入り込みにくくなります。完全ではありませんが……何もしないよりは、ずっといいです」
ルーシャは敢えて不安を和らげるように、優しい笑みを浮かべてみせた。
村人たちは互いに顔を見合わせ、ほっとした溜息と小さな笑い声が零れる。さっきまで硬くなっていた肩が、僅かに下りた。
(さすがは〝白聖女〟ってところか)
ロイドは内心で苦笑する。
自分の説明では重くなるばかりだった空気が、彼女のひと言でぐっと和らいだ。理屈ではなく、〝守ってくれる誰か〟の存在が安心を生むのだろう。羨ましいような、心強いような、妙な気分だ。
「じゃあ、一旦今日はこれで終いだ。各自、柵の補強に使えそうなものを見繕っておいてくれ。昼前にはもう一度回る」
ロイドが締めると、村長が皆を振り返った。
「聞いた通りじゃ。ロイド殿とルーシャ殿に力を借りる以上、わしらもできることはやらんといかん。文句を言う暇があったら手を動かすぞ」
年寄りの一喝に、若者たちが気まずそうに笑い、散っていった。
こうして、広場の小さな集会は一旦解散となった。




