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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第59話︎︎僅かなふたりの時間

 騒ぎはひとしきり収まり、結局、風呂はエレナとフランがふたりで先に入り、そのあとにルーシャ、最後にロイドという順番に落ち着いた。

 浴室小屋へ案内した折、ふたりは精霊珠(エレメントジェム)に目を丸くしていた。手のひらに収まる珠から水や風、熱が生まれること──そして、それを教会が密かに作り上げていたという話に、エレナは呆れながらも感心したような顔を見せた。

 フランはというと、湯気を掻き消すほどの調子で「あたしもこれほしいー!」を連発していた。まあ、気持ちはわかる。誰だってこんなものがあれば欲しいに決まっているからだ。これをこっそりくすねてルーシャに託したエリオットには感謝せざるを得ない。……まあ、ロイドとしては色々複雑な気持ちは残っているのだが。

 今、浴室小屋の戸の向こうからは、フランのはしゃぐ声と湯のはぜる音、それにエレナが窘める穏やかな声が微かに聞こえてくる。

 ロイドはというと、リビングの隅に寝る場所を作って毛布を広げ、その上に腰を下ろしていた。板の軋みが一度、小さく鳴る。暖かな疲労が脚を伝ってゆっくり上がってくる。今日という一日の重さが、ようやく身体に馴染んでいく時間だった。


「あの……すみません。私が変なことを言ってしまったばっかりに」


 ルーシャが所在なげに両手の指を絡め、毛布の縁に視線を落とした。頬は湯気の名残か、或いは先刻のやり取りを思い出しているのか、微かに赤い。


「別に構わないよ。嘘は言ってないわけだしな」


 ロイドは苦笑で返す。

 実際のところ、嘘はひとつもない。三人入るには少し手狭だということも、それはふたりで一緒に入ったことがあるからこそわかるということも、全て事実だ。

 ふたりから見れば、ロイドが『女の子と一緒に風呂に入りたがるだけの変態野郎』に見えたとしても、大した問題では……いや、問題は問題か。クロンあたりの耳に入ったら面倒そうだ。もっとも、その一緒に入った女の子はかの〝白聖女〟なので、連中も不用意に弄る真似はしないだろうけども。

 そんな取り留めない思考を読み取ったみたいに、ルーシャがふっと笑って、ロイドの隣に腰を下ろした。木の椅子ではなく、毛布の柔らかさがふたりの距離を曖昧にする。


「なんだか、凄く静かですね」


 耳を澄ますと、浴室小屋のほうで水音がはじけ、フランのきゃあきゃあ騒ぐ声が風に削られて届く。エレナの「もう、落ち着いて入りなさい!」と子供を叱るみたいな声が続いて、小さな笑いにほどけた。

 家の中は、ふたりの気配を遠くに感じながらも、しんと静まり返っていた。今日一日中ずっと満ちていた騒がしさが、水が引くように静まっている。


「これが普通だったのにな。フランがいるとすぐにやかましくなるから困る」

「賑やかでいいじゃないですか。今日はたくさん笑いました」


 ルーシャは思い出し笑いを零す。柔らかな横顔だった。

 火の気の抜けた石窯の前で、台所に差すランプの光が彼女の頬の輪郭に沿って薄金を置く。

 ロイドは目を閉じ、今日という日を端から辿り直す。長かったのに、気づけば早かった。空腹が満ち、言葉が満ち、沈黙すら穏やかで心地よかった一日。少なくとも、ロイドにとっては初めての感覚だ。


「友達、できてよかったな」

「はいっ」


 弾む返事。だがそのあと、ルーシャはふっと目を伏せ、少しだけ寂しげに笑った。


「でも……ちょっぴり寂しいです」

「寂しい? 何で?」

「ロイドと……あまりお話できませんでしたから」


 言うなり、彼女はそっと頭を傾けてきた。

 重さというほどでもない、けれど確かな気配が肩に触れる。湯上がりではないのに、いい匂いが髪からした。こうして彼女が身体をぴたりとくっつけてくるだけで、胸の奥が跳ね上がる。

 自然に、互いの手は繋がって、指までしっかりと絡んでいた。ロイドは彼女の頭に頬を預け、呼吸のリズムを合わせる。初めての客人を迎えて張っていた糸が、ようやく解ける音がした気がした。


「……あいつらが少し離れた家を選んだのは、そういう俺たちに気を遣ってくれたっていうのもあるんだとは思うよ。邪魔したくないってさ」

「そうなんですか?」

「多分な」


 口には出せないが、さっきの「夜の声」だの何だの、あれはあれでふたりの照れ隠しだ。気遣いがなければ、あの距離の家は選ばない。


「それは……ちょっと恥ずかしいですね」


 ルーシャは耳のあたりまで僅かに色づかせ、はにかんだ。


「まあな。俺の場合、元パーティーメンバーだったから余計にだよ。恋愛とかするタイプじゃないと思われてただろうし」


 実のところ、ロイド自身もそう思っていた。呪いのせいにして、手の届くものを遠ざけてきた年月が長い。恋人も友人も、自分には縁のないものだと諦めていた。


「あんなに綺麗な女性がふたりも身近にいたのに、ですか?」


 少し拗ねたような、しかし否定を求めている声音で、ルーシャが訊いてくる。

 肩にある彼女の髪が、僅かに揺れた気がした。


「どんなに魅力的でも、関係ないよ」


 ロイドは、絡めた指先へ僅かに力を込めた。

 自分がルーシャに惹かれたのは、外見の可愛らしさだけが理由ではない。ロイドの呪いを『優しさ』だと言い切り、呪いごと包み込むことを当たり前のようにしてくれた、その在り方。腹の底の冷たい石にあたたかい手のひらをそっと添え、そこから目を逸らさずにいてくれた、その慈しむような眼差し。そういったものに、何度も何度も救われてきた。

 だから、たとえ気恥ずかしくても、こう言えばいい。


「俺はルーシャがルーシャだから、好きになっただけだからさ」

「ロイド……」


 彼女が僅かに身を起こし、正面からこちらを見る。瞳の中で光が瞬いて、すぐに穏やかに定まった。


「私も同じです。私も、ロイドがロイドだから、好きになりました」


 言葉は、酷く静かに落ちた。

 互いに視線を離さないまま、ふたりしてゆっくり瞳を閉じる。触れ合うまでの短い距離が、不思議と長かった。

 唇が重なり、離れ、また重なる。二度、三度。薄い唇から伝わる彼女の熱を感じながら、ロイドは押し倒したい衝動を必死で抑えた。エレナたちがいつ風呂から上がってくるかわからない。理性という名の細い糸が、今にも切れそうなほどの緊張でふたりを繋ぎ止めていた。

 遠くで、湯桶がこつんと当たる音がした。フランの笑い声が、霧に包まれて、微かに届く。続いてエレナのため息混じりの窘めが、どこか楽しげに続いた。

 たったそれだけの外の気配で思わずびくりとしつつも、ロイドは指先を離さずに、もう一度だけ軽く口付けた。

 ほんの束の間の短い時間。ふたりがふたりだけでいられる時間を、ふたりはただ、お互いのためだけに使っていた。

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