第56話 聖女様のお友達
台所で受け取った皿と鉢を、ロイドはひとつずつテーブルへ運んだ。
木の天板の上に、艶のある彩りが次々ひろがっていく。焼き目の美しい香草チキン、根菜と雑穀の温サラダ、森の茸のパイ、干し果実と胡桃の白いチーズ寄せ、野のハーブを浮かべた澄んだスープ、大皿には香り米のピラフ。
さらに、焼きたての小さな丸パンが籠に山のように詰まっていて、奥の皿には薄く切った燻製肉とピクルス、壺には蜂蜜バター、瓶には山葡萄のコンポートまで。石窯の熱がまだほのかに残っているのか、皿の縁が温かかった。
運び終えるたび、テーブルの空き地は急速に埋まり、座った客の手の置き場が減っていく。ちなみに、台所にはまだ料理が残っていた。昨日買い込んだ食材を、ほとんど全部使ったのだろう。
「す、すごーい!」
フランが目をまん丸にして、両手を胸の前で組み合わせた。瞳がキラキラと輝いている。
「これは、また……」
エレナも、並べられた料理を見て言葉の置きどころを探している。
戦場では見たことのない種類の包囲だ。香りと湯気が、まるで見えない軍勢みたいに押し寄せてくる。
「でも……」
「食べ切れるかな?」
ふたりが顔を見合わせ、小声で同時に漏らす。
現実的な不安だ。ロイドも同意する他なく、思わず苦笑いを漏らした。
「四人で食べるにしても、ちょっと多いな」
「す、すみません……つい気合が入り過ぎてしまいまして。む、無理せず残して下さって構いませんからね? 保存が利くものは、私とロイドで食べてしまいますので」
ルーシャは胸の前で指をもじもじと組み、気まずそうに眉を下げた。
いざ並べてみて気付いたのだろう。軽く六人、いや、七人前はある。これに加えて台所の方では、まだ鍋にお代わりがたくさん残っているというのだから、到底食べ切れる分量ではなかった。食い物に困らないのは嬉しいが、さすがに胃袋には限界がある。
「い、いえいえそんな! せっかく聖女様が作って下さったのですから、絶対に全部食べます!」
フランが慌てて背中を伸ばし、声を張って宣誓した。
気遣いが嬉しいのはわかるが、言葉の端が少し空回りするくらいには緊張している。
そんなフランを見てか、ルーシャの顔色は晴れない。喜びではなく、残念そうというか、悲しそうというか。少ししょんぼりしている。
(まあ、何が言いたいのかもある程度わかってるんだけどな)
毎日一緒にいれば、何となく考えていることもわかってくるものだ。先ほど台所で並んでいた時から、いや、フランが家に入ってきた時から彼女は悩んでいた。
その時、ルーシャがちらりと視線を送ってきた。言ってもいいだろうか、と問う目だ。
ロイドはこっそりと頷いてみせる。言いたいことは、言った方がいい。フランだって、そんなことで怒るはずがないし、何なら喜びそうなものだ。
ルーシャは安堵の色をほんのり浮かべ、ロイドに小さく微笑みを返すと、真っ直ぐフランへ向き直った。
神妙な面持ち。家事用のエプロンの紐が、胸の前で小さく揺れた。
「……フラン。食事の前に、お話があります」
「はい、なんでしょう!? 何でもお申しつけください、聖女様!」
反射のように背が伸び、声が上ずった。
訓練された返事。身体が先に礼式を思い出す。わかっていたことだが、神官は想像以上に結構縦社会らしい。
「昨日も申し上げた通り、私はもう聖女ではありません。ですから、その……〝聖女様〟というのは、やめていただけないでしょうか? あまり畏まってほしくないんです」
「えっ? ですが……」
フランの瞳が、困惑で揺れた。
習性は一朝一夕で抜けるものではない。フランにとって教皇と同等の地位にあったルーシャからそんな願いをされても困るだろう。
代わりにルーシャがゆっくりと言葉を紡いだ。
「聖女に任命されてからは、昔馴染みの人たちからも〝聖女様〟と呼ばれるようになりました。フランのように、皆畏まってしまって。もちろん、教会での階級もあるので、それは仕方のないことだったのかもしれません。でも……何だか私は、それが凄く寂しかったんです」
ルーシャは少し寂しそうに笑って、小首を傾げた。
昔馴染みの人たちがいきなりそうなってしまったとすると、何だか皆が他人扱いされているように感じたことだろう。〝聖女〟としての彼女の生活は、もしかすると想像の何倍も寂しいものだったのかもしれない。
彼女はフランを見据えて、こうお願いした。
「できれば、ロイドと同じような感じで私にも接してほしいのですけれど……やっぱり、難しいでしょうか?」
テーブルの空気が、ごく小さく揺れた。
フランは躊躇い、助けを求めるみたいに視線をエレナへ、次いでロイドへと泳がせる。
ルーシャもルーシャで、恥ずかしいのか言い回しが少し遠回りだ。これでは真意が伝わらないだろう。少し背中を押してやった方がよさそうだ。
ロイドはルーシャの言葉をもっとわかりやすい形で補足した。
「ルーシャは、フラン達と友達になりたいんだよ。こんだけ張り切って料理作ったのも、ふたりをもてなしたい一心だしな」
「え!?」
フランの驚いた顔が、ぱっとルーシャへ向く。
ルーシャは頬を赤く染め、慌てて俯いた。次いで、こっちへ睨みが飛んでくる。
「も、もうっ。言わないでください。恥ずかしいじゃないですか」
「でも、こいつ多分はっきり言わないと伝わらないぞ。教会での教えが染み付いてやがる」
ロイドの軽口に、エレナがうんうんと頷いた。
「そう、だったんですか……」
ルーシャも納得したように小さく息を吐くと、再びふたりへ向かって、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「面と向かって言うのは結構恥ずかしいんですけど……フラン、それにエレナ。よかったら、私とお友達になって下さいませんか?」
言い切った瞬間、室内の空気が一段柔らかくなった気がした。〝白聖女〟の切実な悩み。いや、聖女としてではなく、うら若き乙女の悩み事というべきだろうか。
人懐っこく、本来ならもっと人に親しまれるべき人物なのに、肩書が邪魔をして誰もが距離を置く。思えば、彼女にとっては寂しい数年だったのかもしれない。
「ルーシャ様……はい」
フランの喉が、ひとつ鳴る。頷いたその瞬間、自分が敬語を使っていたことに気付いたのか、「あっ」と小さく声を漏らして言い直した。
「じゃなくて……えっと。うん、わかったよ。ルーシャ、でいい?」
「はい!」
ルーシャのはにかむ笑顔が、音を立てずに広がっていく。その笑顔に、フランの頬がぽっと赤くなっていた。
「うぅ……聖女様を呼び捨てだなんて、教会の人に聞かれたら極刑だよぉ」
フランが両手で顔を覆い、指の隙間からこちらの反応を覗いた。
そこで、テーブルに柔らかな笑いが満ちる。緊張が解け、椅子の背にもたれる音がほぼ同時に重なった。
「エレナは、いかがでしょうか?」
「もちろん、断る理由なんかないわ。私なんかでよければ、よろしくね」
エレナも笑顔を浮かべ、右手を軽く差し出した。
ルーシャは弾むように頷き、握手を交わす。
「エレナも、よろしくお願いいたしますっ」
声がさっきよりも大分明るい。そんな彼女を見ていると、ロイドも何故か嬉しくなってしまった。
エレンもフランも、良い奴であることは誰よりも知っているつもりだ。ルーシャとも、仲良くなれるだろう。
「話が長くなってしまってすみません。冷める前に頂いてしまいましょう!」
ルーシャが背筋を正し、胸の前で両手を組んだ。
その所作は、聖職を離れた今も、凛として美しい。けれど今は、肩書きのためではなく、目の前の食卓と信仰のための祈りだ。
ロイドも、エレナも、フランも、それに倣った。手のひらの間の空気が、指先でそっと温まる。四人で息を合わせ、声を重ねた。
「……今日の恵みに、感謝を。リーファ様の導きがありますように」
言葉が静かに落ち、湯気がひとつ揺れた。家の空気が、祈りの余韻で少しだけ澄む。
最初の一皿は、香草の香りをまとったスープから。ルーシャが手際よくよそい、湯気ごと笑顔を配った。
フランは「熱っ」と舌を出して笑い、エレナは目を細めて出汁の層を探るように味わう。ロイドはそれを横目で見ながら、匙を口へ運んだ。ルーシャはというと、皆の反応を怖がる子供のようにじっと見守っていた。
我が家に初の客人を迎えての食事会が、始まった。
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