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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第31話 新しい仲間(取引先)

 井戸の一件を済ませ、礼と歓声の渦から抜け出したふたりは、石畳を踏んでバーマスティ商会へ戻った。

 夕刻にはまだ間があるが、町の影はゆっくりと長くなりつつある。扉の前に立つと、内側で紙の擦れる音が止み、すぐに返答があった。


「どうぞ」


 扉を開けると、クロンが机の傍らに立っていた。いつもの軽い笑顔ではない。紫紺の瞳が、神妙な色でこちらを射抜いてくる。


「依頼、完了したぞ」


 ロイドが要件だけ告げると、クロンはひとつ頷き、さらりと言った。


「ああ、知っている。僕も見ていたからね」

「……来ていたのか」


 ロイドは眉をわずかに上げた。

 あの井戸の縁に、いつの間に来ていたのか。目ざといというか、商人らしい嗅覚というか。

 それとも、ロイドたちがちゃんと仕事をするのか、見張りにきていたのだろうか。


「どうぞ。座りなよ」


 クロンはソファを示す。

 ふたりが腰を下ろすのを見届けると、彼自身も向かいに座った。

 肩には余計な力が入っていないはずなのに、その視線だけは不思議と重く、受け止めるこちらの胸に圧をかけてくる。


「なあ、君たち……いや、そちらのお嬢さん。君は何者なんだい?」


 クロンはロイドではなく、ルーシャの方を向いて訊いた。

 唐突ではあったが、余計な言葉を挟まない分だけ却って潔い問いだった。


「えっ?」


 ルーシャが小さく声を漏らす。フードの縁の奥で、浅葱色の瞳がわずかに揺れた。


「井戸から光が柱みたいになっていたのは、僕も見た。それに、魔物に汚染されていた古井戸を一瞬で浄化して、昔のようにしてしまったのもね。君が只者ではないことは何となく察していたけれど、正直あれは尋常じゃない。あんなの司祭でも、いや、高司祭でも無理かも。なあ、よければ君の正体を教えてくれないか?」


 さらりとした口調の中に、興奮と戸惑いと、そして抑えた敬意が混ざる。

 ルーシャがフードの隙間からちらりとこちらを見た。その瞳の奥に、嘘でごまかすことを拒むような揺らぎが見えた。

 ロイドはクロンを見据えて言った。


「……あんたの口の堅さ次第だ」


 その言葉に、クロンは口角をわずかに上げて、目元だけで笑う。


「ふふっ。僕を誰だと思ってるんだい? 僕は商人だ。商談で出た話に関しては、守秘義務を持っている。大丈夫、誰にも言わないよ。これまで、そうやって商いをやってきたんだから」


 虚勢ではない気配があった。利を嗅ぎ分ける鼻と、それを守るための掟を持つ目だ。

 嘘をついている気配はない。


(……賭けるなら、ここか)


 ロイドは隣に向き直り、ほんのわずかに頷いた。

 ルーシャは小さく息を吸い、フードへ手をかける。布がふわりと揺れ、銀の光が部屋の空気にほどけた。長い白銀の髪が肩に流れ、浅葱の瞳が真っ直ぐにクロンを見つめる。彼女は静かに立ち上がり、礼を取った。


「名乗るのが遅れて、申し訳ありません。ルーシャ=カトミアルと申します」

「へっ……?」


 名前を聞いた途端、クロンの目があり得ないものを見た時のように一瞬焦点を失い、そして跳ねた。


「ルーシャ=カトミアル……? ルーシャ=カトミアルだって!? あの〝白聖女〟の!?」


 信じ切れないという色が、少年の面差しを一瞬で大人びさせる。彼は確認を求めるようにロイドを見た。ロイドは無言で、再び頷く。


「し、信じられない! あの伝説の聖女・〝白聖女〟様が僕の事務所にいるってこと!? そんなバカな。一体全体、何が起こってるんだい!?」


 部屋の空気がさっと張り詰める。

 ついに、名乗ってしまった。ここから先は、もう引き返せない。

 ロイドはルーシャに視線を送ると、彼女もこくりと頷いた。話しても良い、ということだろう。


「事情を話してもいい。ただ、こっちの条件としては、絶対に他言無用だということ。というか、下手をするとあんたの命も危うくなる」


 ロイドの警告とも取れる言葉に、クロンの喉がごくりと鳴った。

 嘘でも脅しでもない。

 実際に、今教会が擁するのが偽の〝白聖女〟で、ここに本物の〝白聖女〟がいることを外部の人間が知っていることそれ自体が危険だ。仮にクロンが『〝白聖女〟を見つけた』と教会に報告したとしても、口封じで消されてしまう危険がある。

 ルーシャへの対応を見ても、今の教会はそれくらいやりかねない。


「……いいとも。踏み込んだのは僕だ。ちゃんと約束を守るのが、商人だからね」


 クロンは覚悟を決めたように息を吐くと、こちらをじっと見据えた。

 そこでロイドは、言葉を選びながら語った。ルーシャが受けた神託、教会の内情、彼女に貼られた〝偽聖女〟の烙印。追手の気配や逃避行の端緒などまで、余計な彩色は避けて必要な部分だけ語った。

 唯一隠したのは、ザクソン村跡地に拠点を置いているということくらいだ。拠点を場所まで教えるのは、さすがにリスクがあり過ぎる。

 話が終わる頃、クロンは背凭れに寄らず、前のめりの姿勢のまま固まっていた。童顔に、年齢相応の陰影が射す。


「なんてこった。じゃあ、今式典に出ている聖女は偽の〝白聖女〟で、本物が逃げてきてここにいるってこと? ……教会の闇そのものじゃないか」

「だから、あんたの命も危うくなるって言ってんだ。後悔したか?」


 少しだけからかうようにロイドが言うと、クロンは薄く笑った。笑いは軽いが、目の芯は軽くない。


「……いや、知っておいてよかったよ。こっちも何もわからない状態で鉄火場を迎えるのは御免だからね。事情を知っていれば、色々対策もできる」

「対策、ですか?」


 ルーシャが小首を傾げた。クロンは頷く。


「ああ。僕の取引先には教会も含まれるからね。うっかり本物の聖女様に力を貸しているだなんてことがバレたら、知らない間に犬の餌になっていた可能性もある。助かったよ」


〝子供商人〟は目頭を押さえて、背もたれに身を委ねた。

 彼の立場からすれば、そうなっていた可能性もある。仮に〝白聖女〟だったと知らないと言っても、今の教会が耳を貸すとは思えない。

 それに、と彼は続けた。


「逆を言えば、教会から情報を抜いてくることだってできる。もし君たちの存在がバレそうになっていたら、こっそり知らせてあげられるよ」

「知らせてくれる? ってことは……!」


 ロイドが身を乗り出すと、クロンは手のひらを上に向けて穏やかに制した。


「ああ。僕は君たちに手を貸すことにするよ。あ、もちろん、〝なんでも屋〟をこれからも続けてくれるならね? それなら、僕は君たちを大切な取引先として扱う。教会の動向も調べておくよ」

「もちろんだ」

「よろしくお願いします」


 ロイドとルーシャの声が重なる。

 問題ない。お互いの利害関係をしっかりと見据えた約束だ。

 そして、こういう約束は口約束の方が良い場合もある。

 お互いの目で交わされる信頼。そういったものが、確かに彼との間に芽生えたように思う。


「まあ、僕としても仲介手数料で稼がせてもらうわけだしね。当然といえば当然さ。ただ……危ない橋を渡るのは僕も同じだ。だから、互いに利を守るために、互いの秘密を守る。そういう関係はどうだい?」


 クロンは小さく肩を竦め、おどけてみせた。

 商人の声は冷たくはない。だが、その奥底には損得を計る秤の針が揺れていて、必要な時にぴたりと止まる確かさがあった。世の中には、その秤でしか測れない信頼もある。


(上等だ)


 利で結び、約束で固め、行為で信を積む。それなら自分にもできる。

 それに、この地に詳しく顔が利く商人と繋がれたのも大きかった。ロイドたちはこの地域に来て日が浅く、何かと知らないことの方が多い。


「それと、ふたりとも。今日の井戸の件、評判はすぐ回るよ。善意の話だけじゃなく、好奇の話もね。暫くは顔を売りすぎない方がいい。依頼の受け方は僕で絞っておく」

「ああ。任せる」

「あ、それと聖女様。外へ出る時は、これまで通りフードを被ること。いいね?」

「はい」


 ふたりの返答にクロンは満足げに頷き、ようやくいつもの軽さで手を叩いた。


「よし、なら改めて。ようこそ、バーマスティ商会へ。君たちが動きやすいように、僕も動く。まずは今日の依頼の精算からだ」


 小さな卓上で、羽根ペンがさらりと紙を撫でる。

 銀貨数枚と銅貨の入った小袋が、からんと控えめな音を立てて卓上に置かれた。金の重みは生活の基盤に繋がり、紙片に走った署名はこれからの働き口を指し示す。

 ロイドは小袋を受け取り、ルーシャへ目をやった。彼女はフードを再びかぶり、内側からこちらを見て小さく笑う。


(味方は多いに越したことはない。でも……それだけじゃ、ないよな)


 剣で切り開くしかなかった道に、ひとつの案内板が立ったような感覚があった。その案内板には〝なんでも屋〟と記されているように見えた。

 頼られ、動き、応える。その往復の先に、ルーシャを守るための足場も増えていくのだから。


「じゃあ、次の依頼はまた今度、状況を見て渡すよ。君たちは今日はゆっくり休むといい。……ああ、それと。聖女様」

「はい、何でしょう?」


 ルーシャが首を傾げると、クロンが少しだけ身を乗り出して、声を落とす。


「あの白い光は、なるべく控えめにね。君の力は美しいけれど、目印にもなる。必要な時だけにしておこう。使わざるを得ない時は、人目につかない時間を狙うとかね」

「……そうですね。これからは気を付けます」


 ルーシャははっとして、肩を落とした。

 言われてみればそうだ。ただ浄化するだけなら、皆が寝静まった頃にやってもよかった。これはロイドのミスでもある。これからは気を付けねば。


「というわけで、また宜しく頼むよ。今日はゆっくりするといい」


 クロンは微笑むと、軽やかに立ち上がって扉を開いた。

 外気は昼より幾分ひんやりして、工房からの鉄の匂いと露店の甘い香りが薄く混じる。通りの向こうで子どもが笑い、遠くの塔の鐘が小さく時を刻んだ。

 ロイドは戸口で立ち止まり、振り返った。室内に残る紙と茶の匂い。その真ん中に立つ〝子供商人〟は、見かけよりもずっと醒めて、そして温かった。


「じゃあ、また何かあれば宜しく頼む」

「ああ。こちらこそ。()()()はたくさんあるんだ。頼らせてもらうよ」


 こうして、ロイドとルーシャは、バーマスティ商会の紹介のもと、今後も〝なんでも屋〟を続けることになったのだった。

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