第14話 はじめてのちゃんとした夕食
部屋中に、スープの香りがふんわりと広がっていた。
魔法によって元の形を取り戻したテーブルの上には、湯気を立てるスープと、干し肉を使った煮込み料理。それから、きのこや山菜をふんだんに使った素朴な副菜が並んでいた。器は見つけてきた陶器を磨いたもので、どれも簡素で見栄えはしないが、これまでの食事を思えば贅沢な夕食だ。
ルーシャが作ったのは、山菜と干し肉、根菜を煮込んだスープだった。調理器具が少しばかり整ったおかげで、食材を丁寧に炒め、出汁でじっくりと煮込むことができるようになったらしい。
「今日の恵みに、感謝を。リーファ様の導きがありますように」
お決まりの作法に従って感謝を述べてから、ふたりして食事を始める。
ルーシャと生活を共にしているうちに、自然とこの作法も身に着いてしまった。案外、影響されやすいのかもしれない。どちらかというと、〝聖女〟がそうした作法に従っているのに、何となく自分がそれをやらないのは不遜なのではないかという気持ちが強い気もするが。
ロイドはひとくち飲み、目を見開いた。
「おお……これまでのスープも美味かったけど、断然美味いな」
思わず感嘆の声がこぼれる。口に含んだ瞬間、ほのかに香ばしさが広がり、それを追いかけるように根菜の甘みが滲み出してくる。干し肉の旨味がそれらをぎゅっとまとめあげ、飲み込んだ後にもじんわりと温かさが残った。
ルーシャは嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりちゃんとした環境で作れると、全然違いますね。ロイドがお鍋とかも見つけて下さったので、助かりました。でも……」
言いかけて、ルーシャの視線がテーブル脇の荷物へと移った。
ふたりが持ってきた鞄の中には、もう食料がほとんど残っていない。この数日の移動で、神官騎士たちから拝借した食材は全て使い切ってしまった。
もちろん、ルーシャが途中で山菜やハーブを採取しながら、なるべくメインの干し肉を使わないようにしてくれたのだが……それでも、物には限りがある。それに、彼らもそれほど多くの食糧を持っていたわけでもなかった。三人分あったので、辛うじてここまで持った、というだけだ。
「食材なんだけど、明日町に出て買おうと思ってる」
「町、ですか。何という町でしょう?」
「グルテリッジ。そこそこ大きな町のはずだし、必需品は大体揃うんじゃないかな。金もあるし」
ロイドは金貨袋を取り出して、ルーシャに見せた。
幸い、神官騎士たちは食糧以外にもそこそこ金は持っていた。食糧だけではなくて、足りない家具や調理器具、ベッドマット等その他諸々生活に必要なものも買い揃えられるはずだ。
しかし、ルーシャの顔は浮かない。
「私が行っても大丈夫でしょうか……? 大きな町ですと、教会もいくつかあると思いますし」
「あー……」
……そうだった。
何だかのんびりとした雰囲気が数日続いていたから、ルーシャが追われている身の〝偽聖女〟だということをすっかり忘れていた。
「グルテリッジに有力な高司祭だとか、教会の中枢の人間はいるのか?」
「多分いなかったと思います」
「なるほど」
ロイドは顎に手を当て、考え込んだ。
〝白聖女〟ルーシャ=カトミアルが偽者だという話は、おそらく教会内部とてあまり知られたくないはずだ。彼女の追手がたった三人で、未だ他の追手に見つかっていないということを鑑みると──人目を避けたルートを通ってきたというのもあるが──あまり大規模な捜索隊は作られていないように思う。
聖女は民や一般的な司祭からすれば崇拝の的であるし、神の神託を受けるという役割もある。言わば、地位的には教皇に近い存在だ。何故彼女が偽者にされてしまったのかという理由も知られたら、ルーシャが親しくしていた〝彼〟のように、教会の行いに疑念を持つ者も出てくるかもしれない。当然、教会の統率も取れなくなる。
であれば、上層部以外は知らないと考えてもいいのではないだろうか。
「それなら……念のためフード被ってれば大丈夫じゃないか? 俺も一緒だし、気付かれないようにサポートするよ。それに……大衆浴場もあるし。風呂、入りたいんじゃないかなって思ってさ」
その言葉に、ルーシャの目が大きくなる。
「大衆浴場……? えっ、お風呂に入れるんですか!?」
続いて、嬉しそうな声が漏れ出てきた。
思わぬ反応に、ロイドは苦笑する。
やっぱり、聖女様は清潔でいたいらしい。移動中も毎日身体を拭いていたから、綺麗好きなのではないかと思っていたのだ。
「ああ。大体の町には大衆浴場がある。旅人でも入浴料さえ支払えば誰でも使えるんだ。まだここはそこまで設備が整ってないから、暫くは大衆浴場に通おうかと思ってたんだけど……やっぱ厳しいか?」
「それはもちろん、お風呂には入りたいですけど……」
ルーシャの眉が、悩ましげに寄せられた。
自分の欲求と安全と、どちらを優先すべきか考えているのだろう。
「まあ、あとは……俺ひとりだと、必要なものを全部揃えられない気がしてな。よかったら一緒に来てくれないか? 着替えとかも買っておいた方がいいだろうし」
ロイドがそこまで言うと、ルーシャも折れたのか──基、欲求に負けたのか──困ったように、微笑んだ。
「そうですね……そう仰っていただけるのでしたら、ぜひ」
お風呂に入れるのが余程嬉しいのか、ほんのりと頬を赤らめている。
ただ、教会の動きが見えない以上、風呂のために毎回ルーシャを町まで連れていくのは危険かもしれない。
(うーん……やっぱあの風呂場、何とか直したほうがいいよなぁ)
井戸の近くにあった浴室小屋を思い出す。
ベッドマットの例でもわかったが、ルーシャの〈修繕魔法〉も完璧ではない。素材が完全にダメになっていたり、石組みが崩れているなど素材そのものが原因ではない場合はやっぱり直せないらしい。
どうしたものか、と考えつつ、スープを味わって胃に送っていく。
「何だか、こうしていると修道院の頃を思い出します」
ルーシャが生活環境を取り戻した室内を見回して、ぽつりと漏らした。
「修道院はこんなオンボロだったのか?」
「そういうわけじゃないですけど。でも、何もない感じとか、外から聞こえる小さな虫の鳴き声とか……何となく、あの頃に近い感じがするんですよね」
思いを馳せるように、ルーシャは穏やかな笑みを浮かべて、窓の外へとぼんやりと見つめていた。その表情は、どこか懐かしそうで、少しだけ寂しげだった。
きっと、〝聖女〟がどうの、という大層な役割よりも、本来は質素で何もない日常をゆったり送りたかったのかもしれない。
ロイドは訊いた。
「修道院ってどんな感じの生活だったんだ?」
「修道院の頃は、朝は鐘の音で起きていました。私は野菜の収穫とか畑のお世話を任されていて、畑に行って、陽が昇る前に作業して……あ、山に山菜を取りにいくこともありましたね。私がこうして無駄に知識があるのは、そのお陰でもあります」
昔話を語る彼女は、やけに楽しそうだった。
ロイドの頬も、自然と緩む。
「昼食の後はお祈りと座学があって、それが終われば夕食の準備です。修道院は規則が多くて大変だったんですけど……でも、皆が穏やかに過ごせる場所でした」
「なるほどな。意外と、ここと似てるかもな」
ロイドが笑って言うと、ルーシャは目を丸くしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「……はい。なので私、今結構楽しんじゃってます。追われてる身ではあるんですけどね」
そうしてはにかむ彼女が可愛らしくて。胸の奥が、きゅっと締め付けられる感覚に襲われる。
慌てて彼女から視線を逸らした。
「ロイドはどうですか?」
「どうって?」
「やっぱり、こういう何もない場所は退屈でしょうか?」
「……いや、そんなことない」
ロイドは残り少ないスープに視線を落として、首をゆっくりと横に振る。
「俺も……本当はこういう時間が好きなのかも」
夕陽はゆっくりと沈み、窓から差し込む光が橙色に染まっていく。
ふたりの影が、長く、寄り添うように伸びていた。




