(包囲網)14
途端に敵勢の圧力が強くなった。
勢いを得ただけではない。
敵がこちらに主力を振り向けたのが、その圧で分かった。
このままでは圧死させられる。
何としてでも躱さねばならない。
朝倉景鏡は副将の朝倉景隆を呼び寄せた。
「景隆殿、武田勢は如何かな」
武田勢五千は小谷城の明智勢に備えて、
少し離れた丘に布陣していた。
その方向からも喊声や銃撃音が聞こえて来た。
こちらもだが、向こうも気にかかった。
武田勢が潰されたら、こちらは袋の鼠、進退が極まる。
「小谷城から出て来た明智勢に必死になっておる」
「防ぎ切れるかな」
景隆は鼻で笑った。
「ふっ、武田勢は意気地がない。
我慢できなくなったら、直ぐに撤退するだろうな」
霧が薄れ、日差しが周囲を照らして行く。
景鏡は戦場を見回した。
あちらこちらで明智家の旗指物がせわしなく動き回っているのに対し、
朝倉家の旗指物の動きが鈍い。
それだけで士気が見て取れた。
このままでは低下する一方だ。
景隆が景鏡の顔を覗き込む。
「で、おん大将、どうするね」
「武田より先に退こう」
「それではワシに殿を任せて貰おうか」
「いや、景隆殿」
「遠慮するな。
ワシはもう疲れた。
潮時だ、ここを死に場所にする。
お主はもう少し長生きしろ、もう少しだけな」
景隆は名将・朝倉宗滴の右腕として数多の戦場を駆けた武将。
右腕であっただけに軍事には長けていて、
朝倉宗滴の死に際して朝倉家の軍権を移譲された。
その景隆も、五十を過ぎた事もあり、此度の出征を機に、
朝倉家の軍権を景鏡に移譲した。
軍権は朝倉宗滴が当主の名代を毎度毎度務めるようになってから、
必然的に確立したものだが、それが景隆へ、
さらには景鏡へと継承された。
朝倉宗滴にとっては軽いものだったかも知れないが、
二人にとっては重荷でしかなかった。
特に指揮下に入る一門衆や国人衆との軋轢に辟易した。
朝倉宗滴に接する態度と、二人に接する態度が真逆なのだ。
朝倉宗滴が国主の名代であるのに対し、
二人はただの使い走りとしか扱われなかった。
お陰で随分と、敵と相対する前に疲れさせられた。
さらには一乗谷から出ぬ国主の態度にも不満を持っていた。
名代だから当然とでも思っているのだろう。
軍事の一切を委ね、結果だけを求めた。
当の己はお公家様気分。
朝倉景鏡は景隆を気にかけた。
「まだまだ働けるでしょう。
二人で越前に戻りましょう」
景隆は自嘲の笑み。
「もういい。
朝倉宗滴様は死ぬまで働かされた。
あの方ですら、そうなのだ。
ワシらも似たようなもの。
死に場所は戦場しか与えられん。
だったらワシは場所を選ぶ。
ここにする」
「景隆殿・・・」
「ワシは朝倉宗滴様と同じ戦場に何度も立ったが、
同じ光景を見たことがない。
・・・。
あの方は勝つ道筋が見える、そう言われた。
あの方が亡くなってから、もう五年か。
その間、ワシは一度として勝つ道筋を見た事がない。
まあ、才がなかっただけの事なんだろうな。
・・・。
そろそろ行け。
これがワシからの最後の餞別だ」
朝倉景鏡は己の手勢を集めた。
幸い、本陣周りにいたので無傷で残っていた。
およそ千。
陣太鼓で退却を知らせるのが筋だか、それだと武田勢にも気付かれて、
先に陣を払われてしまう。
そんな迷いを見兼ねたのか、景隆が気軽に言う。
「後は任せて先に行け。
陣太鼓は少し遅らせて、ワシの部下に打たせる」
馬首を越前に向けた。
手勢を率いて退却を開始した。
少し行くと、先を競って逃げる者達に遭遇した。
旗指物から朝倉勢各隊の足軽や雑兵と分かった。
一門衆や国人衆がそれぞれの領地から賦役として徴用した者達だ。
家来ではないから、旗色が悪いとなると真っ先に逃げる。
よく見かける光景だ。
それに、急いで逃げ帰って田畑を耕さなければ年貢が納められない。
年貢は待ってくれないのだ。
それを咎める資格は自分にはない。
武田勢が布陣する丘を過ぎた。
それを見ていたのだろう。
後方で陣太鼓が打たれた。
朝倉家伝来の止太鼓。
間を置いて引太鼓。




