(美濃)6
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斎藤家の近江の方を珍しい客人が訪れた。
実家、近江の浅井家よりの使者・赤尾清綱。
居館の大広間で正式な応対を済ませた後、彼を茶室に招いた。
近江の方にとっては父・浅井亮政時代よりの付き合い。
現当主・浅井久政よりも気軽に話せる相手であった。
その赤尾が生真面目に問う。
「お方様、このまま稲葉山明智家の庇護下におられるのですか」
「傍目には庇護下に見えるかも知れないけど、五分五分の関係よ」
赤尾が身を乗り出した。
「そうは思えません。
明智家は揖斐川を越えた先には西濃城。
二月前は東濃に攻め込み、これまた東濃城。
木曽川沿いには加納城。
何れも小城で完成こそしておりませんが、
完成した暁には斎藤家を完全に凌駕します。
このまま黙ってお見過ごしなさいますか」
近江の方は冷静に聞き返した。
「小城ねえ、見て来たの」
「ええ、しっかりと」
「では分かっているでしょう。
小城でも攻め難いと」
「ええ、確かに。
しかし、大軍なら攻め落とせます」
「そう、だからどうしろと」
「美濃の国人衆を糾合して稲葉山城を取り戻しては如何ですか」
「もう無理よ、手遅れ。
血気盛んなのは集まるでしょうけど、それでも五千が精々かしら」
赤尾は近江の方を見詰めた。
「斎藤家が旗頭になって頂ければ、浅井家が後押しします」
近江の方はじっと考えた末、赤尾を睨む。
「くそったれな兄は信用ならないわ。
本当に来れるのかしら。
ああ、そうか。
六角に唆されたのね。
美濃を今以上に大いに混乱させ、
美濃衆の兵力が身内同士の戦いで削られてから、お出ましか。
六角の先鋒が浅井、なるほどね」
赤尾は赤面した。
気まずそうに言う。
「お方様、相変わらず聡くていらっしゃる。
でも、兵力差をお考え下さい。
六角は二万は優に出せます。
これに浅井が一万、合わせて三万。
義龍様のお子を守護代に就けるには、これしかないのでは」
「それならそれで、そう最初からおっしゃいな。
回りくどい物言いは、貴方らしくありませんよ。
もしかして、まだ何か隠し事が」
赤尾を両手を床について、頭を軽く下げた。
「ございません」
近江の方は虚しそうに言う。
「懲りないのかしら。
これまで何度も六角が美濃に攻め込んで来ましたが、
その度に西濃三人衆に追い返されているでしょう。
なのにまたなの、馬鹿なの」
赤尾がほとほと困ったような物言い。
「此度は六角は浅井と組みます。
三万です、これまでとは違います」
「貴方は六角の思惑は承知なのでしょう。
最初に美濃を内輪揉めで磨り潰し、次に浅井を先鋒にして磨り潰す。
得するのは一人六角だけ」
「それでも断れないのです。
浅井家のご嫡男が六角で質にとられているのです」
「父の頃は六角と互角だったのに、兄に代わったら、これですか。
くそったれの兄の為に斎藤家を犠牲にするつもりはありません。
帰って兄にそう伝えなさい」
「ですが」
近江の方の目色が変わった。
三白眼で睨む。
「くどいわね。
私にとって大切なのは我が子だけです。
その盾になってくれるのは稲葉山明智家のみ。
他は信用できません」
「義龍様の仇ですよ」
「それがどうしましたか。
私は義龍殿に望まれて嫁いだのではありません。
私が望んで嫁いだ訳でもありません。
家と家の都合です。
それでも私は律儀にも子をなしました。
どちら様にも役目は果たしたでしょう。
もう十分でしょう。
後は私の好きにさせてもらいます」
「しかし」
「しかしもかかしもありません。
義龍殿は夜露をしのぐ屋根のようなもの。
それが倒れた。
困っていたら手近に屋根を見つけた。
それだけのことです。
私が守るべきはただの一人だけです」
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