(西から迫る兵火)29
尼子晴久は足利義昭の呼び出しに応じた。
案内されたのは表ではなく奥であった。
座敷には側仕え二人と右筆が控えているだけ。
どうやら内密の相談事があるらしい。
厄介だな、晴久は気を引き締めた。
挨拶もそこそこに義昭が言う。
「伊勢はどうにかならぬか」
伊勢貞孝の事だろう。
前将軍様亡き後、獅子奮迅の働きで幕府崩壊を食い止めた功臣だ。
それをどうしろと。
心底を隠して尋ねた。
「何かございましたか」
義昭が目を怒らせた。
「色々と小煩い。
押し込めは出来ぬか」
押し込めは、早い話、刑罰だ。
自宅での謹慎で、隠居の申し渡しにも等しい。
功臣をその様に扱うべきではないのだが、そこには思い至らぬらしい。
晴久は人目が無ければ頭を抱えたくなった。
伊勢貞孝は政所執事。
政所執事は伊勢家の家業とも言えた。
抱える武力はそれ程でもないが、これまでに蓄えた知識と経験、
そして深く根を張った血縁地縁は侮れない。
それを、押し込めろとは。
晴久は無難に流した。
「それで後任は」
義昭が幾人かの名を挙げた。
晴久は首を振った。
「褌に短し手拭には長しですな」
晴久は説得する事にした。
「暫く我慢なさって下さい」
期限は設けない。
このまま、グダグダにするつもりだ。
義昭は表情を固くした。
「何時まで我慢すれば良いのだ」
「当分は無理ですな。
まず優先すべき事は明智家討伐です。
それには伊勢に後方を任せねばなりません。
特に兵站です。
尼子家、畠山家、細川家、三好家、自分で申すのも何ですが、
色々と面倒なお歴々ばかりです。
その調整は伊勢殿でなければ無理でしょう」
義昭は明らかに不満顔。
でも言葉にはしない。
晴久は続けた。
「討伐前に御馬揃え、錦の御旗下賜も御座います。
暫くは我慢なさって下さい」
義昭を宥めた晴久は座敷を後にした。
背中に義昭の怒鳴り声が聞こえて来た。
思わず苦笑い。
自分にだ。
こんな事態になるとは思わなかった。
当初は管領職を目的に、義昭という神輿を担いだ。
名実ともに山陽山陰で覇を唱えるのに必要だったからだ。
武で抑え込み、役儀として治めるつもりでいた。
それが明智家討伐まで踏み込むとは、・・・。
義昭は変貌した。
将軍という立場がそうさせたのかも知れない。
しかしだ、明智家討伐は、・・・・
実兄が殺されたとはいえ、決断が早過ぎる。
誰の入れ知恵だ。
当然、伊勢ではない。
彼は幕府財政の立て直しが急務と理解していた。
だから承知する訳がない。
聞かれれば断固、反対するだろう。
明智家討伐に最も賛同するのは、実兄の明智光秀だろう。
その光秀は今は忙しい。
任された斯波家の再建に取り掛かり、
由縁の国人や地侍等にお手紙攻勢を掛けていた。
是非とも旧来の誼で仕えて欲しい。
もしくは、次男三男を出仕させて欲しい。
光秀でないとしたら、誰だ。
疑わしいのが多過ぎる。
その多くは復帰して来た幕府奉公衆だ。
足利義輝様の戦死と共に、領地に引っ込み、ジッとしていた連中だ。
彼等は義昭が将軍宣下を受けると知るや、忠義面をして戻って来た。
光秀でないとしたら、彼等か。
功を求めて義昭を説いたのかも知れない。
返す返すも三刀屋久扶の戦死は痛い。
これこそ想定外だ。
逢坂の関を確保し、それより先は地の利のある畿内の者共や、
功を欲している輩に任せる段取りでいた。
それが潰えた。
これは尼子家として痛い。
されど明智家に今のところ含む事はない。
尼子家が最優先するのは、あくまでも山陽山陰なのだ。
明智家は何れ潰すが、それは今ではない。
次代の義久が成すだろう。
尼子家としては、それまでは畿内の事情に巻き込まれたくない。
出来るだけ畿内から遠ざかろう。




