(西から迫る兵火)5
小笠原長雄は陣頭に立った。
皆に見える様に、再び軍配を頭上に大きく翳した。
声を上げて、指示を下して行く。
「皆の者、愚直に敵勢を押して行く」
背後から一斉に鬨の声が上がった。
間を置かず。
「乱太鼓を打たせよ」
間を置いて。
「全ての法螺貝を吹かせよ」
背後の、与力衆を含めた手勢五千が、固唾を呑んで見守るなか、
軍配を振り下ろした。
軍勢が、小笠原の左右を、解き放たれた猟犬の様に駆け抜けた。
それを見送った小笠原はご満悦の表情を浮かべた。
彼の、本陣に残された供回りは僅か五百。
甚だ心許ないが、目的は達した。
これで敵を削るついでに味方も削れる。
勝利は二の次。
夕刻近くになって、後続の部隊から使番が二つ来た。
まずは山陰道副将の佐世清宗殿から。
「手前の間道より右回りにて、城を落として廻ります」
次は岩見衆を率いる益田藤兼殿から。
「手前の間道より左回りにて、城を落として廻ります」
これは件の、大物見の与力が口説いた結果だろう。
弓馬での功より遥かに大きな功だ。
御大将にそれを告げて、報いてやろう。
勝鬨が上がった。
そちらに目を遣ると、敵勢の旗は全て消えていた。
代わって翻っているのは、お味方それぞれの旗印、
そして一際大きな尼子の旗。
初戦で破れた両細川は再起を期した。
しかし、思う様に兵が集まらない。
尼子勢の侵攻が早く、初戦で破れたお味方衆それぞれが、
各自が治める領地へ戻れぬのだ。
これでは威令が、末端まで届かない。
対して尼子勢は手を緩めない。
両細川に味方した者達の城を、次々に攻め落として行く。
もっとも、実情は違った。
領主が戻らぬので、止む無く開城する城が多かったのだ。
楽勝の空気の中、先鋒の小笠原は警戒を緩めない。
両細川にではない。
初戦に名前が無かった両松永であった。
八木城の松永長頼、内藤一族としての姓名は内藤宗勝。
八上城の松永孫六。
共に戦の巧者と聞かされていた。
小笠原の元に、丹波各地から間断なく報告が寄せられた。
それぞれの使番が報じる多くは、成果。
「八木城を接収しました」
これには驚かされた。
松永長頼が守る堅城ではないか。
「落としたのではなく、接収か」
「城兵は一人として居りませなんだ。
土地の者の話では、松永は一族郎党とお味方する者達を連れ、
落ち延びたそうにございます」
「八上城を接収いたしました」
まただ。
松永孫六の堅城。
こちらも八木城と同様だった。
一族郎党とお味方する者達を連れて落ち延びた。
両松永の抵抗がないのは肩透かしだが、
これは山陰道勢の丹波戦の終了を意味した。
安堵して良いのかどうか、判断が分かれるところ。
本陣にて、両細川と両松永への対処を考えていると、
厄介な二人が現れた。
因幡衆を率いる山名豊数。
但馬衆を率いる山名祐豊。
両山名が、進軍速度を上げてくれ、と催促した。
両山名の苦慮は分かる。
初戦で多くを失った。
他に比べて一際大きいとも言えた。
それだけに手柄に飢えていた。
手柄で、死傷した将兵に応えなければ、器量を問われる。
両山名の行動を知ったのか、他の面々も駆け付けた。
伯耆衆を率いる南条宗勝。
丹後衆を率いる一色義道。
彼等だけではなかった。
身内と思っていた者達まで催促に現れた。
尼子勢第二陣、長門衆を率いる右田隆量。
小笠原に付けられた与力衆。
小笠原の器量が問われた。
物見を出して、両細川と両松永の動きを探らせていたのだが、
それを理由に留まる事は許されない状況に陥った。
そこへ折好くと言うべきか、折悪しくと言うべきか、
物見からの使番が来た。
「松永長頼方の旗を掲げた一行を見つけました。
女子供が含まれている事から、城から退去した者共と判断いたしました。
琵琶湖方面に向かっています」
陣中に居合わせた者達が色めき立った。
山名豊数が立ち上がった。
「松永孫六方は」
「おそらく、その前方ではないかと。
途切れ途切れではありますが、行列が長く琵琶湖へ続いています」
「速度は」
「遅い様に見受けました」
南条宗勝が言う。
「女子供や荷車で遅いだろう。
今からでも間に合うな」
右田隆量が小笠原に進言した。
「初戦では騎馬を温存しておりました。
追わせますか」




