(平穏な日々)33
私は伊東の隣の芹沢嘉門が微かに身動きしたのに気付いた。
「そこから先は芹沢か」
芹沢と伊東が同時に頷いた。
私は芹沢に促した。
律儀な彼は伊東に軽く会釈して、私に視線をくれた。
「能登は大掃除が必要です」
意味は分かる。
一向一揆勢は明智家の統治に不要。
能登守護・畠山家に代表される武家方も、無能につき不要。
意味は分かっても、決断に躊躇はする。
末端の郷村に住む者達まで巻き込む恐れがあるからだ。
「大掃除か」
「はい、大掃除です、綺麗さっぱり」
理解した。
一番は最前線に立つ当家足軽達の被る被害。
それを最小限にするのが当主の仕事。
勝利もだが、それよりも何よりも当家の人材なのだ。
人材なくして先には進めない。
私は再び右筆に指示をした。
「能登侵攻の八番隊、吉田佐太郎に書状を発す」
と、そこで伊東が割って入った。
「殿、お待ち下さい。
これ以上、殿に汚れて頂く必要はございません」
私は伊東を振り返った。
伊東と芹沢が私に向かって、土下座せんばかりに平伏した。
まるで狐につままれた感。
伊東が頭を上げた。
「これより先、殿には綺麗なままでいて頂きます。
汚れ仕事は老い先短い我等にお任せを」
「しかしだな」
「しかしも案山子もございません。
殿は先へ進む仕事がお似合いです。
これより先はそれに専念なさって下さい。
伏してお願い申し上げます」
二人に倣って執務室に居合わせた全員が平伏した。
時が止まった様に感じた。
慌てて口を開いた。
「待ってくれ。
皆、頭を上げてくれ」
伊東のみが少し上げた。
「殿、統治するのに綺麗ごとで済まぬのは分かっています。
でもそれには限度がございます。
どす黒く汚れる必要はございません。
ちょっとの汚れで我慢下さい。
残りは我等が負います。
それを負うのも家臣の誉でございます」
「しかしだな」
「これは先逝く者の願いでもございます。
我等は貴方様の覇の一翼を担いたいのです。
それが陰の一翼であっても構いません。
どうかお聞き届け下さい」
再び頭を下げた。
彼等の言い分は分かり易い。
けど、素直には頷けない。
上に立つ者の覚悟、・・・。
室内から物音が消え、静寂に支配された。
静寂がこんなに怖いものだとは思わなかった。
唇を噛み締め、皆を見回し、ゆっくり言葉を紡いだ。
「薬草畑を作りたかっただけなんだ。
・・・。
こんな傷にはこんな塗り薬。
・・・。
この病にはこんな飲み薬。
・・・。
怪我人や病の人を助けたかっただけなんだ。
・・・。
それがこんなになって。
・・・。
人手が足りないから流民の皆を巻き込んだ。
・・・。
そして血を流させた」
唇をちょっと嚙み切った。
口内に広がる血の匂い。
私は血を舐め、皆に頭を下げた。
「私の罪を共に負ってくれるか」
伊東が皆を代表した。
「喜んで」
☆
摂津の飯盛山城。
三好長慶はここを居城としていた。
その長慶を松永久秀が訪れた。
執務室に通されると、久秀は開口一番。
「困りました」
長慶は、先触れに託された書状で大方の事情は分かっていた。
同情を禁じ得ない。
久秀の弟・長頼が苦境に陥っていた。
丹波の武将・松永長頼。
兄弟と共に三好家に仕えているが、
丹波の守護代・内藤国貞の娘婿という立場にもあった。
国貞との間で、長頼の子に内藤家を継がせるとの約があり、それが今回、
出処進退を難しいものにしていた。
というのは、突然の国貞の戦死に伴い、
長頼は内藤家の居城・八木城に移り住む事になった。
子が成人するまでの後見人という立場に置かれたが、
その子が成人しても、周囲の状況がそれを許さなかった。
下剋上の戦乱の時代、皆が皆、長頼の武勇に期待した。
お陰で、子には恨まれたが、内藤姓を名乗ることになった。
内藤宗勝。
国貞戦死の原因は管領・細川晴元方との戦いにあった。
仇は管領・細川晴元。
それと敵対する細川氏綱は細川宗家、京兆家の当主。
長頼の主・長慶は氏綱の被官という立場。
そんな関係にある長頼、内藤宗勝に、
細川二家より誘いの書状が送られて来た。
平島公方・足利義栄に与し、尼子勢との戦いに加われと。
宛先が内藤宗勝であるので、
去就を明らかにせぬ三好家への切り崩しであるのは確か。




