(平穏な日々)29
寺院は石垣と水堀を周囲に巡らしていたが、
それが通じるのは精々が国人衆との戦。
目の前の大軍が相手では一日として保たない。
絶え間なく放たれる矢玉で守勢の兵達が撃ち倒されると、
それと見た攻め手側が水堀に仮の橋を架けた。
多くは丸太を組んだ物だ。
水堀の幅がそれ程でもないので、それで渡るには充分だった。
丸太を織田の兵が次々と渡って行く。
そして石垣に取り付いた。
侵入を許すと門を巡っての争いになる。
それを防ごうと、守勢は懸命に石垣の防御に手を尽くした。
各所から兵を廻すが、組織だった攻勢には敵わない。
次第に数を減らして行く。
木下藤吉郎は足軽組頭として三十名ほどを率いていた。
向かい正面の守勢の姿がなくなると、配下に声掛けした。
「それ押して行け、銭をたんまり弾むぞ」
丸太を持つ者達を鼓舞した。
その丸太が水堀に架けられると、真っ先に藤吉郎自ら足を掛けた。
付いて来る人数を確認し、足を進めた。
幾人かが丸太から落ちたが、半分近くは付いて来れてる。
石垣に辿り着いた。
見上げた。
高さはそれ程でもない。
「登るぞ、一番乗りには褒美だ」
配下を競わせる。
幸い、守勢は兵が減じて、ここまで手が廻らぬ様子。
次々と石垣に取り付いた。
藤吉郎は自分に並んだ男に驚いた。
「ここで何しとる」
ここにいて良い男ではない。
彼は赤母衣衆の一人。
本来なら主君の供回りのはず。
前田利家が言葉を返した。
「知らん、足が勝手に動いた」
「殿にまた怒られるぞ」
「いつもの事だ、慣れたわ」
利家は石垣の上の敵を槍で突くと、猿の様に身軽に乗り越えた。
槍を中の敵に向け、下の家来達を叱咤した。
「遅れるな、門を開けるぞ」
味方の後続を待たずに守勢の中に飛び降りた。
「我こそは織田家赤母衣衆の一人、前田利家。
槍の錆になりたい奴は前に参れ」
前田利家は荒子前田家の四男であった。
嫡男ではないが故に気楽な立場。
それを活かして元服前から信長に付き従っていた。
信長に感化されたのか、やる事なす事、主と瓜二つ。
かぶき者で短気、手が付けられぬ武者になった。
小姓として従軍するや、初陣で首級を上げた。
信長の実弟との争いでも手加減なし。
信勝に追い縋り、その供回りの首級を上げた。
とにかく戦の度に首を刈った。
この頃より、槍の又左、そう呼ばれる様になった。
名を上げると嫉妬に駆られる者が出た。
それは信長の同朋衆の茶坊主。
信長のお気に入りの一人であった。
常々、彼の者からの言い掛かりに耐えていたが、
信長の面前での屈辱が限界であった。
その者を即座に斬り捨て、出奔した。
これにより出仕停止処分を喰らった。
それでも利家は信長一筋。
他家への仕官は念頭になかった。
それが遂に帰参を許された。
再出仕と共に、陣借りの戦功も認められ加増された。
加増により家来も少し増やせた。
これまでは荒子前田家の縁者ばかりであったが、
今回からは陣借りで知り合った者達との混成だ。
それらの者達が利家を死なせまいとして、木下藤吉郎を追い越し、
石垣から死地に飛び込んだ。
門を開けようとする利家の周りに駆け寄った。
脇目も振らずに槍を自在に振り回す利家。
自分の周りの敵が少なくなって初めて様子に気付いた。
集まった家来達に声を掛けた。
「右に回り込め」
そして目の前の坊官を一突き。
これで敵勢の勢いを止めた。
敵雑兵共は利家の鋭い穂先に恐れをなしたらしい。
スリスリと利家が前へ足を進めれば、敵雑兵共はジリジリと脇に退く。
気付くと前が空いた。
家来達に命じた。
「門へ走れ、閂を引き抜け」
咄嗟に数人が駆け出した。
木下藤吉郎と配下の足軽達も遅ればせながら加わった。
閂に手が幾本も伸びた。
利家もこれ幸いと駆けた。
家来と共に閂を強引に引き抜いた。
門が開けられた。
木下藤吉郎が素早く門から出て、大声で呼ばわった。
「一番乗り、赤母衣衆、前田利家」
☆




