(平穏な日々)26
輝夜姫は怪しい気配で目が覚めた。
隣を見た。
愛しい人が寝入っていた。
起こさぬ様にそっと床を抜け出た。
襖障子を静かに開けた。
初夜であるというのに、続き部屋には侍女二名が控えていた。
無言で輝夜姫を見上げた。
愛しい人を起こさぬ気遣いであるらしい。
輝夜姫は言葉の代わりに目顔で示した。
察した二名が蔀戸の上部を、上に引き上げた。
途端、外から冷たい風が入って来た。
心地良い。
と、怪しい気配の正体を見つけた。
外は朝の色というより、夕の色。
そして、遠く、何かが空に浮かんでいた。
輝夜姫はそれが何であるのか思い出した。
月からの迎えの空の船。
空船が三隻。
輝夜姫が気付いた様に、先方も気付いたようだ。
こちらに向かって下降して来た。
庭先の警護の士が声を上げた。
「来たぞ、敵だ」
組頭が指示をした。
「狼狽えるな、落ち着け者ども。
来たぞ、あれが月からの迎えだ。
・・・。
弓隊、構え。
槍隊、屋根へ上がれ」
届けられた新著を読んでいると背中に声。
「何しとるん」
振り返ると正室・お絹がいた。
乳母二人がその後ろで双子を抱きかかえていた。
双子の姉の桜、弟の松千代。
バウバウ言っていて、とても機嫌が良さそう。
私は新著を閉じてお絹に表紙を見せた。
「お市の【戦鬼・輝夜姫】を読んでいたんだ」
「へえ、みゃあ書き上げたの。
仕事が早いだがやね」
「町の工房から五冊届けられている。
私とお絹、お市で三冊、残り二冊はどうする」
「ほんなら、お屋敷の者達が誰でも読める様に致しやー」
庭先で山南の料理を食していると、猪鹿熊久が足音を立てて現れた。
「尾張から一人戻りました」
熊久が後ろを振り返ると、年若い者が控えていた。
熊久の嫡男・小熊だ。
私が手招きすると、頷いて歩み寄って来た。
砂利の上なのに足音を立てない。
すると鋭い指摘が飛んだ。
「こういう場では足音を立てなさい」
側仕えの猪鹿蝶。
お蝶が実兄を叱責した。
居館で足音を立てぬのは敵の暗殺者のみ。
それを言いたいのだろう。
でも、実兄相手だろう。
言葉は選べよ。
小熊は妹に軽く頷き、私の前で跪いた。
「尾張より戻りました」
「様子はどうだ」
「南伊勢からの一揆勢と国境で一進一退です。
互いに攻め手に欠けている様に見受けました」
「三河の一揆勢は」
「三河の織田勢が総力を挙げて食い止めておるそうです」
「義兄殿は如何だ」
「当家が貸し出した川船で、大挙して長島に下られたそうです。
今頃は、一揆勢の背後に上陸された頃合いかと」
「そうなると問題は三河か。
総力は分かるが、東の遠江への手当てが薄くならぬか」
「それが、遠江に動きが見られぬそうです」
「今川にとっては巻き返しの機ではないのか」
「どうやら国人衆の掌握に手間取っているようでして」
猪鹿の親子が去ると、お絹が私に耳打ちした。
「そろそろお蝶を縁付けては」
それは考えぬでもない。
「でも誰に」
お絹がお蝶のいる方へ流し目をくれた。
山南の近くで沖田と言い争い。
何が原因か知らぬが、何時もの調子だ。
山南が私とお絹の視線に気付いたのだろう。
お蝶と沖田に注意した。
「静かに口喧嘩しろ」
お蝶が言い返した。
「静かに口喧嘩ですって、意味が分かりません」
沖田が同意した。
「俺も分からん」
何時の間に来たのか、お市が私の背中をつんつん。
「旦那様、鈍いのだなも。
二人を見りゃあ分かるでしょう」
お絹が付け足した。
「薬草は見分けられても人は駄目だがやきゃ。
本当、駄目だがやね」
姉妹が顔を見合わせて苦笑い。
近くに控えていたお園がお宮に言った。
「私達でお節介焼きますか」
「そうですね、それもお仕事ですわね」




