(平穏な日々)25
長尾家が越後衆に発令した。
上野の厩橋城を攻める、ついては兵を率いて春日山に来られたし。
出馬は一月後。
景虎自らが兵を率いて上野に向かうという。
私は猪鹿熊久に尋ねた。
「越中衆や北信濃衆はどうした」
「そちらには使番を走らせておりません」
「上野の箕輪衆へは」
「沼田城や箕輪城には定期的に使番が向かっておりますが、
これといった動きはありません」
越後衆のみか。
良くて一万五千。
箕輪衆と合流すると二万。
しかし、雪解けと共に敵・北条は厩橋城に増援の兵を送り込んだ。
それで城兵が五千に膨れ上がった。
籠城するに充分な数だ。
だけではない。
越後衆が国境を越えれば、たちどころに北条が知るところ。
下野や武蔵から迎撃の兵が向かう。
そして、城攻めの長尾勢の側面に陣取る。
前に厩橋城、一方に迎撃の北条勢。
遣り難い戦になるは必定。
それは景虎も承知のはず。
それでも動員するのは越後衆のみか。
解せぬ。
猪鹿熊久が続けた。
「長尾様の領内で気になる噂が流れております。
越中衆が当家の能登飛騨侵攻に際して、後詰を行うというのです。
真意は分かりませんが、実際にそれらしい動きがあります。
越中代官が糧秣の買い集めを行っております」
長尾家の越中代官は宇佐美定満。
景虎の知恵袋の一人である。
その彼が独断で動く事は有り得ない。
景虎から何らかの指示があったと考えるべきだろう。
越後勢は景虎が率い、上野の沼田城勢や箕輪衆と共に、
北条を上野より駆逐する。
北信濃衆はこれまで同様、南下して甲斐の武田家を圧する。
長尾家が抱える戦線はこの二つだ。
すると越中衆は、・・・どこへ向かう。
当家の後詰は、・・・聞いていない。
私は猪鹿の爺さんに尋ねた。
「当家の能登飛騨侵攻の噂はどうなってる」
「流しておりますが、これ以上になると戦になるかどうか。
有力な国人衆が雪崩を打って降伏するやも」
「それは、・・・拙いな。
戦の前に降伏されては」
爺さんが苦い顔。
お蝶と沖田が深い溜息。
猪鹿熊久が私に尋ねた。
「潰せないという事ですか」
「戦の前に降伏した者は潰し難い。
さて、どの様な塩梅にするか、誰か意見は」
猪鹿の爺さんが口にした。
「元々、能登も飛騨も人の少ない所。
無理に潰さなくても宜しいのではないですかな」
無理に潰せば荒廃すると言いたいのだろう。
確かにそうなのだ。
彼の二つの国は住民が少ない。
それでも争いが絶えないから不思議な事だ。
争いは人の性か。
大人衆はその地に、僅かだが利用価値は見出した。
能登は、整備すれば海運の要地に化けられる。
飛騨は、開拓すれば木材の供給地となる。
為に必須なのは人材、そして賦役に耐え得る民の数。
そう私に説いた。
「戦後処理は、政として上手く処理しろ、そう言いたいのだろう」
「そうです、それがご当主様の本業ですからな」
私は猪鹿の爺さんから熊久に視線を転じた。
「越後は相分かった。
尾張はどうだ、侵攻は上手く運んでいるのか」
尾張の義兄・信長が伊勢に侵攻したのは半月ほど前。
予想通り、織田軍は美濃を通って北伊勢に入った。
熊久が目を輝かせた。
「予想通り、一揆が勃発しました」
そこは喜ぶところなのだろう。
まあ、想定通りなのではあるが。
信長の想定通りに反対方向の北伊勢で一揆が起こった。
示し合わせたかの様に三河でも一揆が起こった。
「一向一揆か」
「南伊勢の旗頭は服部友貞殿、三河の旗頭は石川康正殿です。
国人衆を旗頭としていますが、共に地元の一向宗信徒総代です」
「頭は国人衆でも、首から下は一向宗か」
南伊勢は尾張との国境が確とせぬ地。
木曽川、揖斐川、長良川の三つの河川が絡み合い、
河口付近の輪中地帯の存在もあり、権益を巡って相争われる地。
権力者によって長年、血が流され続けて来た。
その地に創建されたのが願証寺。
本門寺の血縁者が入り、国人衆や地元民を取り込み、
惣一揆化していた。
三河は、本證寺、上宮寺、勝鬘寺、この三ヶ寺を拠点としていた。
こちらも似た様なもの。
本證寺には本門寺の血縁者が入っていた。
そして惣一揆を目指していた。
私は確認した。
「一揆への手当ては」
「手配り通り迎撃の軍が発せられました」
信長は周到に準備していた。
今回の北伊勢侵攻は、ただの目眩まし。
足下の一揆を誘発するのが目的であった。
その為に信長は大量の員数を動員した。
陰働きもだ。
織田家の忍びは一向一揆を煽るのに躍起になったと聞いた。
お陰様で当家は大儲け。
銭で蔵が建つ。
何故かって。
そう、当家は川船を大量に貸し出したのだ。
兵員輸送用に。
今頃は、その川船で北伊勢侵攻軍が引き返している筈だ。




